【100】明石市に見る新型ポピュリズムの台頭──統一地方選結果から❷/4-27

●「全責任は自分にある」と西村経産相

 今回の統一地方選挙結果で全国的に注目されたのは、日本維新の会(以下、維新)の躍進ぶりである。大阪を中心に関西エリアに根強い支持基盤を持つ政党とされてきたが、今回は全国へとウイングを広げた。次期衆院選で野党第一党の座を奪うとの目標も、現実感が増してきたことは否めない。この背景には既成与野党への不満があると見られる。

 維新は、有権者に直接呼びかける手法を多用することからポピュリズムと位置付けられてきた。その点、泉氏が市長時代に議会での合意形成に汗をかかず、むしろ直接有権者の支持を求める動きを強めてきたことはよく似ているといえよう。維新と「明石・泉党」の勝利から、「議会政治のもどかしさ」という〝時代の空気〟が読み取れるのかもしれない。

 泉氏への批判は、度重なったパワハラ・暴言に対するものだけにとどまらず、虚言癖にも及び、その人格、識見を疑う向きは広範囲に広がっていた。「怒りをコントロール出来ない病」であることを自ら認め、「(今後暴言をしないとは)正直自信がない」とまで、告白していた人物の推す候補者が、県議選でトップ当選し、市長候補と5人の市議が上位当選したのはなぜか。〝泉房穂対西村康稔の代理戦争〟で、なぜ泉氏が勝ったのか。

 このエリアの自民党支部長である西村代議士(経産相)が、市長選敗北後のコメントで、「全責任は自分にある」と述べていたが、〝候補選び〟から疑問がつきまとった。連立与党の公明党に、市長候補についてなぜこの人物なのかの丁寧な説明があったのかどうか。泉氏が擁立した対立候補がツーショットのポスターを公営掲示板にまで貼るほどの徹底ぶりだったのに、自民党側は戦略から戦術に至るまでの〝ハズレ感〟は覆いようもなかった。

 では、敗北の責めは、西村氏ひとりに被せれば済むのか。30年もの長きに及ぶ長期経済停滞、向上感なき社会実感──多くは現政権の中核であり続けてきた同氏に帰するところがあろうが、それだけではない。自民党という政権政党の、庶民大衆の苦しい生活の実態を汲み取れない政治感覚━━そこはかとなく漂う〝時代とのズレ〟とでもいうものではないのかと私には思われてならない。

 偶々、この原稿を書いている最中に、古き友から、かの名歌謡曲『高校三年生』の替え歌ユーチューブが送られてきた。その名も『年金生活生』。次から次へと昭和のスターたちの映像があの懐かしい昭和のメロディと共に登場する。込み上げてくるものを抑えられない。こんなはずじゃあなかった、との世の中の中高年の呻き声がダブって聞こえてくるのだ。(4-28 一部修正 以下つづく)

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