●日本の政治を変えたいとする人びととのコラボ
我のみ尊しとする泉市長の論法に辟易したのは、迷惑を直接蒙った隣接市関係者だけではない。子育て政策をむしろ牽引してきたと自負する公明党議員団などの反発は当然だった。泉氏が自身の傍若無人さを棚上げし、ことごとく議会に邪魔をされたかのごとき言い振りに、彼らは、大いに反論があり、忿懣やる方なかったに違いない。
議会を相手にせず市民大衆に直接呼びかけるパターンは、〝民主主義の異形〟としてのポピュリズムといえる。コロナ禍、ウクライナ戦争による生活不安に悩む人びとにとって、財政基盤の後先も考えぬ大盤振る舞いであっても、良しとする空気は根強い。
ポピュリズムには「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」と、「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」との2種類の定義があるとされ、「『解放と抑圧』の二つの顔を同時に持っている」(水島治郎『ポピュリズムとは何か』)と見られる。維新の創始者・橋下徹氏の政治言動にその典型が見られ、今に続く。その政治スタイルの新しいタイプが泉氏の手法だったといえよう。
市長を辞めた後も、泉氏は自身の進めてきた政策展開を、他の地域に広げたいと意欲を燃やしている。選挙前に出版された彼の著作『社会の変え方』の帯には「日本の政治をあきらめていた全ての人へ」と触れ込む。内容は、自伝の趣きもあり、次の段階に向けての宣言書のようにも伺える。
同氏の自己過信に対して、「社会の変え方」を説く前に、「自分の変え方」に意を注ぐ方が先だろうとの声は強い。だが、泉氏と違う人物がこれを説いたとしたら、どうだろうか。日本の政治に失望を抱く人びとの呻き声がここでも、またしても響き聴こえてくる。(2023-5-11この項終わり)