衆院解散・総選挙の気運が大きく後退する雰囲気がメディアの報道で漂っています。ただ、そうはいってもいつ突発的な展開があるやもしれません。「常在戦場」という言葉、私はあまり好きではないのですが、万全の対応をすべく、先週末も動きました。10日金曜日は、兵庫全域の元地方議員のメンバーの集い(大光会)が神戸市内で開かれ、太田昭宏同会代表が出席してくれました。丹波、但馬の北兵庫エリアからは代表参加のみで、それ以外の兵庫3カ国(摂津、播磨、淡路)から、多勢の仲間が集まってきてくれました。冒頭の県代表世話人の私の挨拶のあと、兵庫2区、8区の2人の元県議から活動報告があり、太田代表の講演等へと続きました。私は、党結成60年の佳節を迎える明年(2024年)の意義を強調しました◆すなわち、1964年から前半の30年が「野党改革」に取り組んだ期間だったとするなら、1993年からの後半30年は、「与党改革」の時代といえる、との分割的捉え方を示したわけです。しかも、公明党が実際に政権の一角を占めるようになった2000年から、支援団体の母体である創価学会が創立100年を迎える貴重な年・2030年までは、ちょうど30年です。あと7年でその節目を迎えることになると、それまでの闘いの重要性を訴えました。「野党という存在」が従来、対決一辺倒だったものを、庶民サイドからの提案を繰り返すことによる変革ぶりを強調。その後、与党になってからは、政権運営における改革に取り組んでいることについて、意識して友人たちに訴えることの大事さを指摘しました◆太田代表は多面的な角度から、我々の日常についてのアドバイスを力説しました。なかでも、地域の友人、知人と会う際に、ただ会釈しあいさつするだけでは足らない、あと10秒でも20秒でも言葉を交わすことが大切だと言われたのです。いかにも太田さんらしい、極めて率直でわかりやすい助言です。どうしても、忙しさにかまけてさっと行き交うだけで終わってしまうことの多い我々の弱さを指摘されたようで心に残りました。また、人生の総仕上げにあたって、師弟の絆の重要性を述べられる一方、それぞれの原点に立ち返って、若き日のこころざしに思いをいたすことを訴えられたことも骨身に沁みたしだいです◆12日の日曜日は堺市内で開催された関西合同三田会(慶應義塾大学卒業生の集い)に出席しました。これは14ある地域三田会が毎年持ち回りで開くことが恒例になっているのですが、2020年に開催予定だった泉州三田会がコロナ禍を乗り越えようやく3年ぶりに開かれたのです。大阪16区の支援に行くいい機会だと捉えた私は、姫路慶應倶楽部の一員として勇躍参加してきました。伊藤公平塾長の世界の大学を意識した現役塾生の奮闘を支えるリアルな闘いを促進してほしいとの訴えや、堺市博物館の白神典之学芸員による「古墳と戦国時代の都市町の成立」から、たった1人の堺生まれの総理大臣・鈴木貫太郎の終戦時における奮戦ぶりの話は極めて印象的でした。終了後は、堺東に住む20代前半の親戚の女性を呼び出して、会場近くの居酒屋で懇談しました。彼女は1年前に大学を出て、今は堺市内企業で3DCGを使った設計に従事するIT技術者です。孫ほど歳の違う若くて現代センスに満ち溢れた女性との語らいは、つい現実政治を忘れるほど興味深々の中身でした。別れ際に「山本かなえ」の魅力をしっかり語りましたが、もっと突っ込んで切り結ぶべきだったとチョッピリ反省をしたしだいです。(2023-11-13)