【131】「人生の師」の逝去の報に接して我が胸に去来すること/11-20

●病気、親の信心、就職問題など解決への助言

 池田大作先生が亡くなられたとの報に接して、2日目の朝があけました。いつかはこの日が来るということは念頭にありながら、きっと創価学会創立100周年を迎える2030年までお元気でいてくださると、勝手に漠然と思い込んできたのです。先生と直接お会いした懐かしい日々のことを思い出しています。

 直接私が先生とお会いして言葉をかわせた機会は、全部で7回ぐらいでしょうか。1回目は昭和43年4月26日。「慶大会」発足の日のことです。肺結核闘病中だった私は率直に悩みを吐露しました。それに対し、①100万遍の唱題②温かいものをを食べる③夜更かしをしないなど具体的なアドバイスをご自身の体験を交え話して頂きました。未入会だった両親のこと、就職問題など悩みを洗いざらい披歴した私に懇切丁寧に指導して頂きました。肺結核を経験した女医さんに直接会うように手配もしてくださいました。2回目は、同年10月8日の第2回慶大会で。歓談中に先生が私の顔を見て、「元気になったじゃないか。いい顔色してる」と言っていただき、「ありがとうございました。(肺結核は)治りました」と報告できました。3回目は、本部職員(党機関紙局)に採用していただいた翌44年4月16日のこと。偶然たまたま本部玄関前でお会いし、入社出来たこと、母親が私の折伏で入会したことを報告出来ました。聞いて下さった先生は「そうか。それは偉いじゃないか」と、喜んで下さり、入社祝いに「マルマンハーレー・ガスライター」を頂きました。この一連の顛末はすべて詳しく回顧録に書いていますが、私が23歳、先生40歳の1年間のことです。

 4回目は、昭和52年の中野兄弟会の際に、私が参加者への挨拶の中で「昭和48年の結成時には役員として裏方をしていましたが、今は区男子部長になりました」と報告したところ、ご自分の席から「おーっ、それは凄いじゃないか」と、声を挟んでくださったのです。はっきりと耳に残っています。

 衆議院議員に推薦を受けて出馬する直前に「関西は当選させてくれるよ」との励ましを受け、一転落選して再挑戦することになったときには、「今度こそだな」との優しい言葉を頂きました。そこからさき、当選してからの三回ほどの出会いの場面は、恥ずかしいことばかり。要するに、私のいたらぬ人間性、生意気な姿勢などについて徹して厳しいご指摘の連続でした。お褒めの言葉を頂いたのは、衆議院予算委員会での福田首相とのやりとり(2008年)の直後でした。関西来訪中だった先生がテレビでこの放映を偶々ご覧になって、「赤松の質問は面白いじゃないか」と言われていたというのです。そばにおられた西口良三さん(当時総関西長=故人)から電話でお伝えいただいたのですが、後にも先にもこの時の電話に勝るほど嬉しいものはありませんでした。

●トインビー博士から先生が託されたバトン

 先生とお出会いしてから53年ほどの間で忘れられない最大のことの一つは、小説『人間革命』第4巻「疾風」の章を通して、まさに御書と本の一節を身で読んだと実感できたことでした。伸一青年が若き日に経験したこと━━親が信心反対の身で肺結核を患ってしまい、親には言えない、言うと師を恨むに違いないと悩んでいた。その時に『開目抄』の一節を読み、現在の自分を大聖人から肯定していただいた思いがした。━━と全く同じ体験をして、しかも、冒頭に述べたように、その悩みを先生に直接話せたのです。「父母の家を出て出家の身となるは、必ず父母をすくわんがためなり」との日蓮大聖人の開目抄の一節。聖教連載中の小説のそのくだりを読みながら、自分は先生から今の自分を肯定していただいた思いになり、感涙にむせびました。「煩悩即菩提」とはあの日の喜びそのもののことでした。それこそその後の私のすべてを決めたできごとだったのです。

 両親、姉弟3人の5人家族全員を私の折伏で入会させ、その連れ合い、子どもたちもみな会員に誘いましたが、これは大きな私自身の生涯に渡る誇りです。

 「これからの7年」が私たちだけでなく、地球上の人類にとっての勝負の期間であることは言うまでもありません。個人的には、小説『新・人間革命』第16巻「対話」の章でのアーノルド・トインビー博士の言葉を拳拳服膺して生きることだと誓っています。お2人の対談の最後の場面で、博士はこう語っています。

 「したがって私に言えることは、これだけしかありません。━━ミスターヤマモトと私とは、人間がいかに生きるべきか、見解が一致した。あとは、あなたが主張された中道こそ、今後、あなたが歩むべき道なのです。一言一言に魂の重みがあった。伸一は、〝私の分まで行動してほしい〟と、博士からバトンを託されたような思いにかられた」

 今度は私たちが先生からバトンを託されたような思いにかられています。

 博士から先生が託されたバトンとは、日蓮仏法の中道主義を指していると思いますが、私は、公明党の政治家のひとりとして、中道政治をどう実現するかについても含まれていると、解釈を広げています。具体的な自分の使命は、後輩たちの後押しをすることだと自覚しています。と同時に、先生が我々にかつて指し示して下さった政治的理念━━「地球民族主義」「等距離中立外交」「人間性社会主義」など━━の具体的肉付けを着実にかたちにしていくことだ、と思っています。(2023-11-20)

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