衆議院議長公邸。12月4日午後──約半年ぶりに、前衆議院議員の会が開かれました。開催者は、時の衆議院の議長。今回は額賀福志郎氏。前回は細田博之氏だったものの、去る11月10日に亡くなったために、今回は交代した新議長による招集でした。メインテーブルには前議員会の会長始め、元首相や元議長、元副議長が座ります。型通りの挨拶があり、「旧交を温める」場面が続きます。私も毎回懐かしいメンバーとの新たな出会い(例えば前回は福田康夫元首相や、明石の泉房穂前市長)があり、それなりに「面白い」集いなのですが、今回は元民主党政権の閣僚だった海江田万里、城島光力氏らとの会話を楽しみました◆話題は当然ながら、「政権交代の可能性」。岸田内閣の「支持率低下」が続く中で、一向に立憲民主党への期待感が起きてこないことへの不満を私は彼らにぶつけました。日本の政治の発展のためには「政権交代」が必要だからです。安倍晋三元首相が最初の政権での失敗から立ち直って、カムバック後に成功したことを見倣って、「立憲」も再挑戦すべし、と〝善意の焚き付け〟に精を出しました。かつて「反自民の社公民路線」を記者として取材し、のちの〝幻の政権政党・新進党〟の中核だった公明党議員のひとりとして行動した立場からすると、歯痒い思いを持つ、と。「迷走する自公政権」をしっかりさせるためにも〝野党第一党の健全化〟が不可欠です。彼らからは、後輩たちにその旨伝えているのだが、今一反応が弱いとの嘆きと、政策的側面では公明党と一致することが多かったと昔を懐かしむ言葉が相次ぎました◆これより先、午前11時からは総務省の中にある国交省・観光庁に、加藤進次長を訪ねて、「観光教育の普及」に向けての取り組み加速化を要請しました。この課題は、コロナ禍前の2019年頃までに、全国の幾つかの商業高校の現場で自発的に挑戦されてきた試みがベースになって、仕組みとして国が取り入れるべしとの機運醸成に繋がっていったものです。徳島商業高校の鈴鹿剛氏(現四国大教員)や岩倉高校の大日方樹氏ら担当教諭が軸になっての懸命の努力が実を結んでいきました。この日は、両氏に加えてアドバイザーの勝瀬典雄氏(関学大)と、私も一緒に訪問しました。2020年度には、ひとたびは、初等中等教育における観光教育の推進に関する協議会の開催にこぎつけたのですが、迫り来るコロナ禍のために後退を余儀なくされてしまっていました。それをなんとか元に戻して再出発させたいとの思いで、この日の要請になったものです。コロナ禍前の事情を知悉する同次長は、問題意識を共有し課題解決に向けて努力するとの積極的な発言がありました。鈴鹿氏らはこの日の観光庁の対応姿勢に一定の安堵感を持つ一方、今後に向けて更なる尽力を確認し合っていました。私もかねてから関わってきたテーマだけに、しっかり連携をとって支援していきたいと自覚を改めました◆夕刻5時からは西麻布の霞会館で開かれた、姫人会(東京在住の姫路出身の有志の会で、私の上京に合わせて開催)に出席しました。この日は10年ぶりぐらいに参加した平島博行・元(株)ライオン副社長と初参加の元外務省OECD大使の登誠一郎氏の挨拶を皮切りに参加者8人全員の近況報告で盛り上がりました。平島氏は、1941年生まれの82歳。定年直後の2011年にCAMINO DE SANTIAGO (スペイン巡礼の路)800キロに一人で挑戦し踏破されました。仕事一筋の47年間の人生を終え、若き日からの念願だった「誰の手も借りず、自分ひとりで何が出来るか」に69歳で挑んだお話は実に聞いていてワクワクするものでした。その旅は2011年のことで、コロナ禍の巣ごもり生活の中で9年後の2020年に『スペイン巡礼の路ひとり歩き』を上梓、出版されています。ついで偶々同い年の登氏は外務省生活で仕事として60数カ国を訪れた経験に加え、父祖の出身地姫路への思いを込めて定年後に取り組んできた観光大使を始め、姫路発展への数々の試みを話してくれました。実は登さんは、一般社団法人『安保政策研究会』の理事でもあり、私の先輩にあたる仲間です。最近は私は遠方ゆえ定例会は欠席続きですが、出席した時は舌鋒鋭い登さんの議論に感動を覚えたり、隔月発刊の「安保研リポート」で寄稿を競い合ったりしています。この2人の報告にリードされ、残るみなさんも次々とこの一年の動きを熱っぽく語ってくれました。通常、70歳過ぎの〝リタイア組〟の集いは、〝病患い談義〟に終始しがちになるのでしょうが、この日は全く違った生き生きした第二第三の人生の競い合いになりました。(2023-12-6)