【136】老いて妻と死別することの切なさ辛さ━━4人の友人の場合/12-25

 年老いて連れ合いと死に別れるというのは辛い(と思います)。この歳になると、身の回りにそうした人たちが増えてきていることを実感します。先日来、豊岡、尼崎、西宮、神戸の仲間たちとの懇談を続けてきましたが、それぞれの地でその寂しさを聞かされてきました。彼らをどう励ましていけばいいか。今のところ私がやってるのは、そういう未亡人ならぬ、老いたる独身との話し相手になったりすることぐらいに過ぎません。ですが、逆にこちらが励まされる場合もあります◆西宮の元公明党市議のKさんは少し私より歳下ですが、妻君に先立たれる前の1年間に、炊事洗濯家事万般の手ほどきを受けたといいます。この話を聞いていて深い感動を覚えました。私も、作ることから皿洗いまでの料理作法は言わずもがな、シャツの折りたたみから、服の手入れや収納、果てはトイレやお風呂の浴槽の洗い方まで、何一つしたこともなく、妻に任せっきりで50年間生きてきました。Kさん夫婦の伝授のあり様は、今も想像するだけでジーンときます。彼がさる12日に明石に来てくれ、一緒に食事をして、明石城公園を散歩して喫茶店でお茶を飲んで、〝これまでとこれからの人生〟を話し込んだ合計3時間ほどは互いに珠玉の時間でした(と思います)。別れ際に「魚の棚」の魚屋で二切れの焼き魚を買って帰った後姿も忘れられぬ一コマでした◆一方、神戸市に住むもうすぐ90歳に手が届くT元市議のケース。20日に三宮で懇談しました。様々な外部の友人たちとのグループを幾つも作って、食事を共にしながらお酒を飲み、親睦を深める中で、信仰、政治を語るといいます。時に聖教新聞であったり、公明新聞だったりするのでしょう。気に入った一節、一文を持っていって読み聞かせることもある、と。楽しそうでした。この人はとてもオシャレ。帽子ひとつにも、ステッキ一本にもそれを選んだお人柄が滲み出ているかのようです。この日、懇談の場に赴く途上歩いていて、突然通りすがりの中年の男性が、「いい帽子だねぇ」とTさんに声をかけてきたのには驚きました。こっちが「でしょう」と応じていると、そのあと数秒、当のご自分の身だしなみについてのこだわりをひとくさり。この披露には笑えました。さすが、神戸・三宮です。みんなお友だち。気安く声を掛け合うのは私も好みですから◆一方、高校時代の友人F君は奥さんをなくしてもう7-8年。当初の寂しさを紛らわせるためもあってか、〝昔とった杵柄〟のごとく絵筆を取り出し、色んなところに行って風景をスマホに撮し、それを持ち帰って傍らに置き、油絵、水彩画と描いているといいます。同じ趣味を持つ人たちのグループに入って年に2回ほどの展覧会に出品するのを生き甲斐にしているようですが、なかなかの腕前で私はとても彼の画風が好きです。近く出版予定の拙著の挿絵に使わせて貰う予定です◆また、中学校いらい60数年にわたる親友Sのケースは、胸締めつけられる思いになります。亡妻の在りし日の佇まいを思い出させる大阪のマンションには住めないと、数ヶ月後にまかない付きの池田市の老人ホームに移り住みました。4年ほど前のことです。当初は、自転車を漕いで公園に行き、青空を見上げ亡き妻の名を呼び叫んだと聞きました。その後コロナ禍に巡り合わせ、監禁状態に。今は、図書館通いの読書三昧と想像しますが、若き日に生と死について考え抜き、10年ほど前のブログに『こんな死に方がしてみたい!』という長期大型連載を書いていた男だけに、いつまでも元気でいて欲しいと思うことしきりです。4人4様です。つくづく考えます。逝くのはこっちが先、と勝手に思い込んできましたが、さて、さて。(2023-12-25)

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