【139】「私の動物観は、猫との出会いから。」━━『熊森協会』の会報に寄稿/1-15

 私は、実践自然保護団体の一般財団法人「日本熊森協会」の顧問をもう20年あまり務めています。このたびその会報誌『くまと森と人』(2023冬号)の「熊森顧問のリレー連載」のトップバッターとして寄稿した文章が掲載されました。ここではその一文を転載しますので、ご覧ください。

 にゃんにゃんじいじ── そのむかし、孫が私につけた愛称である。妻は、にゃんにゃんばあば。というのも、猫がいた我が家から娘が嫁いだ先には、犬がいた。いつの日からか、2組の爺さん、婆さんの区別をつけるため、そう呼ばれることになった。略して、ニャン爺。響きは悪くない。もう呼ばれることもない今となっては、とても懐かしい。

 かつて宍粟市一宮町の山あいの集落で演説をした際に、特設演壇の端っこにちょこんと座って聴衆の方を向いていた一匹の猫。〝票集め猫〟と睨んだわけではないが、この猫を貰って帰った時の家族の喜びといえば尋常じゃなかった。この猫との出会いが私のふつうの動物観を変えた。大袈裟なようだが、人間中心主義(人間が一番大事)から、生物主義(いきもの主義=人間だけでなく生きとし生けるも皆大事)への転換だったのだ。

 私が森山まり子さん(現名誉会長)の情熱的誘いを受けて、日本熊森協会と奥山保全トラストの2つの団体に関わらせて頂いて、はや20数年が経つ。つい先日には第9回トラスト地ツアーで、岐阜県高山市の奥飛騨温泉郷を訪れ、焼岳のふもとに横たわる原生林を、米田真理子奥山保全トラスト理事長始め仲間の皆さん20人ほどと共に登った。急な勾配の山道を行くため、予め入念な準備体操をし、熊との遭遇にも備える対策を学んだ上でのことだった。

 常日頃ウオーキングに励んでいるとはいえ、平らな道ばかり。起伏が激しく、時折り崖っぷちを歩くのとは勝手が違う。往復3時間ほどの登山は、紅葉真っ盛りの展望を楽しむゆとりはあまりなく、あたかも罰ゲームを受けているような難行苦行の連続だった。元気で若いスタッフや女性会員の心温まる支援を受けて、事故なく生還できたことは多少オーバーながら奇跡的ともいえ、感謝しかない。

 こんな私が熊と出逢ったのは一度だけ。4年ほど前、室谷悠子熊森協会会長らと一緒に、写真家で自然ガイドの安藤誠さん(熊森協会顧問)の案内で、釧路湿原から知床半島に行ったときのこと。1頭の大きな熊が川沿いで待ち受ける観光客のカメラの放列の前に悠々と登場したのである。シャケを取ってくわえる立ち居振る舞いの一部始終は、まさに舞台俳優の観客の前での演技を見るようであった。

 太古の昔からこの国の山深くに棲みつき、その生活を営んできた熊たち。昨今、人間とのトラブルが取り沙汰されているが、共存への知恵を出して行かぬ限り、日本の、世界の、地球の未来はない。あいも変わらず人間同士が憎しみあって繰り返すウクライナやパレスチナ、アフガニスタン、ミャンマーなどでの戦争。そのニュースを耳目にするたびに心痛めつつ、今のところ人と人が戦争で殺し合わぬ日本だからこそ、動物との共存、共棲の先進国たりたいと、心底から願ってやまない。(了)/2024-1-15

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