【143】世界の戦争をどうする━公明党結党60年と原点(外交編)❶/2-13

●「平和構築」へ今再びの心意気を

 ロシアからウクライナへの侵略に端を発した戦争状態はやがて3年目に入るが「停戦」は一向に見えてこない。中東・パレスチナでのハマスのイスラエル攻撃を皮切りにした紛争も一段と激しさを増す。第二次世界大戦後の「米ソ冷戦」から「米の一極支配」を経て、世界は今、「米中対決」含みで「多極・無極化状態」にむかいつつあるかに見える。この80年近く「日米同盟」堅持を基軸に、米国と伴走・背走してきた日本。果たして、「世界の平和」に貢献し得る存在たり得ているのか。混迷する状況下に、改めて「激動続く世界の中の日本いかに生きるか」を考えてみたい。

 今から60年前。日本は「米ソ対決」の狭間に生きざるを得ないという国際情勢を反映して「自社対立」の最中にあった。その年11月に結成された公明党は、イデオロギー偏重の不毛の安保体制の中で「第三の道」を選択し、「平和の党」を志向した。その道行きの第一歩は、「在日米軍基地総点検」から始まった。無駄な基地の返還を迫るべく、議員と党員が一体となり、まずは在日米軍基地の「実態調査」に立ち上がったのだった。

 この行為をどう位置付け、どう見るか。米軍という巨大極まる存在に立ち向かうなどということは無謀なパフォーマンスに過ぎない、「蟷螂の斧」もいいところだなどの批判が相次いだ。だが、自主独立国家の中に、他国の基地が多数存在するといった現実を直視する上で、重要な楔を打つ役割を果たした。段階的とはいえ、日米安保条約の解消も目指した第一歩だった。

 一定の成果を得て、やがて「点検」は姿を消し、公明党も「日米同盟堅持」「自衛隊存続」に切り替えた。これは政党として「成熟化」を意味したのかもしれない。しかし、米軍基地の存在に慣れ切ることは独立国家として「堕落」に繋がるのではないか。

 沖縄・普天間基地の辺野古への移転をめぐって、沖縄県当局との軋轢から国交相の代執行が問われる場面が続く。この10年余というもの公明党の大臣が一貫してその任に当たる事態の報道に、せめて苦渋に満ちた表情を見せて欲しいとの声がある。時にみせる笑顔での対応ぶりはあまりにやるせないというのだ。安全保障をめぐる国家と県民との深い溝。容易には解決し難い難題と向き合う日々が今日も明日も果てしなく続く。(2024-2-13  以下つづく)

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