日本総合研究所会長の寺島実郎多摩大学長が改めて今、米軍基地の「段階的縮小」と「自衛隊との共同管理」へと順次移行させるべきだと述べ、「日本が米国の『保護領』でも『周辺国』でもなく、意志を持つ独立国であることが、中国およびアジアの国々との外交を拓く前提である」(『世界』24年1月号)と強調している。これをその通りと共鳴出来るか、それとも何を今どき言っているのかと反発するかは、日本人をわかつ分岐点と言えるかもしれない。これこそ60年前の公明党の主張とピタリ重なって、私としては目が覚める思いがする◆日本が独立国家とは呼び難いことは、横田基地の米軍が空域の航空管制を握っており、羽田や成田空港に出入りする民間機の自由が奪われていることが何より証明している。米軍と自国空域を共同使用するドイツやイタリアなどでは、米軍に使用規制をかけることで、主権行使の実を上げている。日本だけがそれを出来ない事実は如何ともし難いのだろうか◆寺島氏は21世紀の日本の基点となるのは、米国との関係を再構築することであり、日米同盟の再設計は、現代の「(不平等)条約改正」に値すると断言している。この種の問題を持ち出すと、あたかも世界観を異にした異教徒、左翼イデオロギーの持ち主と見られかねない風潮が今もあることは残念ながら事実だと言える。だが、本当にそうだろうか◆かつて明治の先達が維新直後から、懸命になって欧米列強との間における不平等条約を撤廃すべく汗をかいた。戦争に負けた日本が7年の占領期経て、独立を果たしていながら、その後70年を超えた今もなお実質的に変わらぬ「被占領国家」の実態を一歩も出ていない。占領期の研究で著名な五百旗頭真神戸大名誉教授が「(日本は)経済発展と利益配分の小政治に没頭し続けるうちに、大局観に立った国家的自己決定能力を失った感がある」と述べて久しい。「国家的自己決定能力を失った」──この表現の紙背に潜む意味に戦慄さえ覚える。かつての公明党結党当時の初心を忘れられない人間にとって、今一度原点に立ち帰ろうとの思いを禁じ得ない。こうした思いに左右のイデオロギー云々は関係がないはず。自主独立国家の一員としての率直な思いに立つことが第一だと言いたい。(2024-2-16 以下続く)