北朝鮮の愚行に「暴挙だ」との反発だけでいいのか

北朝鮮が去る六日に三年ぶり四回目の「核実験」をやったとの報道が世界をかけめぐりました。これは「初の水爆」ではないかとの見方や、2000年以降に核爆発を伴う核実験を実施した国はこの国だけということもあって、大きく取り沙汰されました。北朝鮮のこうした動きが「核廃絶」を待望する世界の流れに逆行することであり、断じて許容できないことはいうまでもありません▼ただ、だからといって、外は国連やら米国などの核保有大国が、内にあっても与野党がこぞって「許せぬ暴挙」というだけではいかがなものでしょうか。いや、「中国に説得させる」「経済制裁を加えよ」といった対応を迫るとの主張もあります。もっとも、これとて毎回のことで、効果はさほど期待できません。却って孤立化を招き一層の危機的状況に陥るだけとの懸念をするもあります。そんな折も折、朝日新聞7日付一面の「天声人語」欄と「折々のことば」欄を合わせ読みました。これは妙に好対照をなす記事で、強い印象を受けました▼「天人」は、「国際社会での孤立を深めるだけなのに、なぜ暴走するのか」と強調する一方、「世界を驚かす愚挙」との至極まっとうな糾弾ぶり。25年前に天人子が平壌に行った際に握手を交わした、かの国の独裁者と一女性市民の両者の手のひらの感触の違い(温かい柔らかな手と冷たく荒れた手のひら)を比較しながら、北の指導者が「狼藉を働く度に」、「女性の荒れた手が思い出されて悲しくなる」と結んでいました。読み終えて、ひょいとその左上にあるコラムを見ると、谷崎潤一郎の『刺青』の言葉を引いて、鷲田清一さんが面白いことを言っているのです▼それは「世の趨勢からあえて外れるのは損得勘定からすれば『愚』であろう」が、「世の習いにすり寄らない、そんな生き方をも懐深く抱擁する社会は、危機をしたたかにくぐりぬける別の選択肢を用意しているともいえる」と。次元を異にするものの比較であるとは分かっていながら、無視することは出来ず、考えさせられました。北朝鮮が世界の生き方から逆流する「愚」を犯しながら、米国を始めとする国家群に対抗するべく、別の選択肢を用意しているとはおよそ考えられません。しかし、核大国に対して虚勢を張ってでも肩を並べようとする生き方に、「断じて許せぬ」とただ情緒的に反発しているだけでは、こっちのほうも「懐深く抱擁する社会」とはとても言えないような気がしてならないのです。ここは彼我のとことんまでの「知恵比べ」ではないでしょうか。(2016・1・11)

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