【167】沖縄戦の「記憶風化」と若者への仄かな期待──6-23「沖縄慰霊の日」をめぐって/6-24

 先の大戦の敗北を決定づけた「沖縄決戦」。これこそ現在の沖縄をもたらした大きな分岐点だと捉えられます。6-23は、戦没者を悼み、平和を誓う恒例の「沖縄慰霊の日」でしたが、この日の行事を含めて、一週間前の沖縄県議選の結果など、あれこれと考えさせられました。まず、第一には、県議選結果での本土との「逆転現象」をどう見るかについてです。自民党の派閥による政治資金集めの「裏金事件」の発覚で、21日に実質的に閉会した通常国会は、「政治改革論議」一色となりました。「政治資金規正法」〝改正騒ぎ〟に終始したのです。この動きの中で政権への批判は高まる一方で、首相への支持率はついに20%を切るまでに下落しています。先の衆議院3小選挙区補欠選挙での完敗(出馬回避も含め)など、各地の諸選挙戦での自民党の退潮傾向は覆うべくもありませんでした◆ところが沖縄県議選では、自民党と公明党が議席を前回よりも伸ばし玉城デニー知事与党の立憲、共産などが後退、「過半数割れ」になってしまいました。この結果は、自公政権への「不満と疑惑」があたかも沖縄県では消えたかのように見えます。沖縄県特有の地域事情によるもので、直接的には国政での自民党の不人気が連動しなかったのです。諸悪の根源を在日米軍基地の存在や自衛隊の沖縄県への集中傾向に求めてしまいがちな沖縄県下の野党の対沖縄選挙戦略の偏向性の結果というべきかもしれません。公明党の場合4年前は、コロナ禍がもたらした県民生活の急変を重く考え、手堅く候補者を絞って挑みました。それを今回は元に戻しただけとの見方があり、また本土での自民党の不始末の連動を極力避けた選挙選の結果ともみえます。与野党共に、沖縄県の特殊性を鑑みて、基地問題と県民生活と中央の政治腐敗などの相関関係について、綿密な結果分析が必要でしょう◆第二には。「沖縄慰霊の日」におけるテレビ番組の受け止め方の問題です。メディアは「沖縄戦」を毎年取り扱いますが、観る方はおざなりになっていないかどうか。今回もNHKスペシャル『〝戦い、そして、死んでいく〟〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録』やETV特集『私と先生とピアノ』などが放映されましたが、私自身ビデオに録画を取り置くのが精一杯でした。ただし、過去に観た番組で強く印象に残ったものを改めて観ました。3年前の作家目取真俊氏(『水滴』で芥川賞受賞)に対するインタビュー構成の番組『こころの時代━━死者は沈黙の彼方に』です。担当記者が辺野古基地を海を隔てた場所から、「この位置から現状をどう見ますか」と何気なく聞いたことに、目取真氏は怒りを込めて、「どう見ますか?!こういう事態にしたのはあなた方日本人でしょう。安倍、菅政権がもたらしたもので沖縄人は苦しんでいるんです」などと、厳しく言い放ったことが強く印象に残っています。あの時、沖縄の抱えている問題について、本土人と沖縄人との深いミゾを痛切に感じたものでした。ややもすれば、「沖縄戦」がもたらした悲惨な事実など、今に続く「基地被害」を直視しない傾向が本土側にはあります。「意識の風化」を反省せざるを得ません◆三つ目は、23日の沖縄慰霊の日の式典での高校生のスピーチの素晴らしさです。宮古高校3年生の仲間友佑君が「これから」と題する詩を約5分ほど見事にノー原稿で朗読していました。あの沖縄戦から79年が経とうとする今、世界では依然として戦火が絶えない今をしっかりと捉えた上で、戦火が終わらないのなら、平和が地上にもたらせられるまで、僕らは祈りを繋げていこうといったものでした。聞いてるものの心を激しく打ちました。それを挟んだ知事と首相の講演が、相変わらずの中身を、ただ棒読みしているだけだったことと対比して、少なからぬ希望を抱くことができました。若者やその後に続く多くの子どもたちの未来に期待したい、との強い思いが沸々と湧き上がってきたのです。(2024-6-24)

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