「一年間は黙ってみていてくれ、その後には新鮮味溢れる県政が展開するから」との斎藤知事を推した自民党の一部勢力の言葉が印象に残っています。これを鵜呑みにしたわけではないものの、それなりの期待感を持って見ていました。しかし、斎藤知事からの発信は変わり映えせぬまま。それよりも聴こえてきたのは、「知事に会おうにも会えない」「一切門戸を閉ざして会ってくれない」「知事はよほど変わってる、変人を通り越している」との怨嗟にも似た声ばかりでした。私が所属する異業種交流会はそれなりの兵庫県のエスタブリッシュメントで構成されていますが、皆さん口を揃えて「未だに会えない」「アポが取れない」でした。私は、貝原、井戸両知事との約30年、とりわけ井戸さんとの20年は県との関係が充実していましたので、時代の転期と見て、井戸引退を機に県政との距離を置くことにしました。そんな私に入ってくる噂は、専ら斎藤知事は既成の支配層との交流は避けて、若い世代との繋がりを求めているというものでした。それを聴いて、新時代の県政構築に向けて自分らしさを出したいにしてもいささかやり過ぎだと懸念を抱いたものです◆後に、片山副知事を中心とする特別なグループの人間(かつて東日本大震災時に宮城県に出張した際に出会った4人)以外の声を知事は一切聴こうとしないようだとの情報を得て、その常軌を逸した行動パターンに呆れ返ったものです。今回の一連の事件の成り行きを知るにつけ、単に新基軸を県政に導入するとの狙いよりも、井戸前知事の色合いを一切合切排除したいとのスタンスのみが際立つ政治姿勢だったように思われます。今回の事件の発端になった元西播磨県民局長の〝パワハラ告発〟に対して即座に「嘘八百」だとして、退官に追い込んでいった流れを追うと、一部週刊誌の知事を非難する報道を無碍に否定できません。知事側近グループのおぞましいまでの動きが浮かび上がってくるばかりです。同局長が自死を選択するに至った背景を知るにつけて、片山前副知事を中心とする側近グループの罪深さに思いが至り、もはや斎藤県政は持たないということが明白のように思われます◆斎藤知事を担ぎ出す役割を担ったのは自民党の国会議員団でした。県議団は分裂したことが示すように、斎藤支持に二の足を踏む向きも多かったのです。スタートから2年を越えて漸く知事の実態が露わになるにつれ、分裂状況も収束し、(つまり知事派議員も改心してしまって)斎藤与党は維新のみになっていきました。そこに起きた今回の事件で、自民党国会議員団があれこれと口を挟む姿はあまり褒められたものではないと思うのは私だけでしょうか。政治とカネにまつわる一連の不祥事や旧統一教会事件を通してとかくの行為が指弾されてきた人たちがしゃしゃり出て、したり顔に県政批判をするのは疑問視せざるを得ません。それは決して知事を擁護するわけではなく、冷静に県政当事者の動きを見るのが重要で、外野席は静かにしておれと言いたかったのです◆そんな中、県政に通じたある人物と言葉を交わす機会がありました。彼は、県議会公明党の動きがよく理解できない、と言うのです。それが、議会に百条委員会を設置して斎藤知事のパワハラ問題などを究明するにあたって、公明党が慎重だったことを指していることは明白でした。維新と一緒になって知事擁護の態度をとるのはおかしいというものです。その疑問はいかにも「維新嫌いの人」らしいものですが、私には県議会公明党の「筋を通す姿勢」が明確に分かります。知事のパワハラを含む行状を調査追求するものとして、第三者機関を設けたのだから、まずそれを先行すべきでしょう。当初の百条委員会は屋上屋を重ねるだけで反対だとの公明党のスタンスは賢明だったと思われます。ただ、政治は生まもので刻々と事態は変化します。「副知事に続き2幹部が空席」となり、「崖っぷちの兵庫県政」が露わになるにつれ、外から見ていて、維新と一緒になって斎藤知事擁護をしているかに見えてしまうのはいかがかと思われます。暑い時期だけに、早く知事問題に決着をつける方向での公明党の敏速果敢な英断を期待するものです。(2024-8-8 この項終わり)