「パワハラ」を始めとする、斎藤元彦兵庫県知事の行状が問題になっています。ひとりの兵庫県民として、嘆かわしき事態だと思いますので、少しこの問題について考えてみたいと思います。この人が県知事選挙に立候補するまでの背景を追いますと、ご本人の「県知事になりたい」という若き日よりの強い意志がまず第一に挙げられます。漠然とした「政治家志望」ではなく、県知事に的を絞った夢を少年の頃から持ち続けていたことを初めて知った時、私は大いに驚きました。歴代の兵庫県知事は、明治期初代の伊藤博文から昭和、平成に至るまで、立派な人物が多かったというのは、率直な印象です。とりわけ、貝原俊民、井戸敏三のお二人は個人的にも知己を得たこともあって、それなりにとても尊敬出来ました。もちろん、生身の人間ですから、個別具体的には好き嫌いの要因があるのは当然ですが。
斎藤さんが県知事選挙候補に名乗りを上げた頃の出来事の記憶をたどりますと、第一に井戸前知事が擁立しようとした前副知事に対する反発が県自民党内にあったように思われます。率直に言うと、確かに「良い人だけどパワーを感じない」と言うのが私の彼への印象でもありました。県議会の最大会派である自民党の中で、前副知事を推すことに反対する動きが強くあり、違う候補を探す流れが強まっていったようです。そんな中で、某国会議員が目をつけ強く推薦したのが斎藤さんでした。若くてパワーを感じるという人物評が専らでした。ただし、当時、大阪府庁の課長だったことから、維新の松井、吉村ツートップとの関係が懸念されたのは当然でした。
自民党兵庫県議団は、前副知事を推すグループと、新しい斎藤さんで行こうという人たちとに二分化され、選挙戦を通じて分裂を余儀なくされていきました。維新の色合いが強い人物を兵庫県知事に選んでいいのかという党派的見方を巡って混乱したのです。兵庫県議会公明党は、貝原、井戸両知事時代を通じて与党の一翼を形成してきた経緯もあり、自民党の分裂は一言でいうと迷惑千万だったはずです。ただ、井戸前知事との20年の繋がりもあり、前副知事の側を応援したのです。残念ながら選挙結果は裏目となってしまいました。
選挙が終わって、斎藤知事が誕生して半年ほどが経った頃、一向に新味が出ない斎藤県政について、県議会自民党の反乱派(斎藤県知事擁立派)の中心メンバー数人と私は懇談したことがあります。私はその際、この知事の「新しさ、凄さはどこにあるのか一向に見えない」と、苦情を言ったことを覚えています。彼らからは初の予算編成を見て欲しい、当選後1年経てば分かりますから、との返答があったのです。しかし、その後、聞こえてきた「噂話」は全く違うものでした。(2024-8-1 この項つづく)