【178】「新・政権合意」こそ魅力あるものに━━自民党総裁選を前に思うこと(下)/8-30

●「コメなし騒動」から見えてくるもの

 おコメを買おうにもどこにもない、という声を家人から聞く。スーパーやコンビニなどあちこちの店内を探してもどこも同じのようだ。つい先日元農水官僚で、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹が「不作でもインバウンドでもない コメが買えない『本当の理由』」とのタイトルで、毎日新聞記者のインタビューに答えていた。それによると、歴代自民党政権の減反政策(安倍元首相の「減反廃止」政策はまやかしと断定)に主因あり、という。

 直接のきっかけは、8月初旬に気象庁が南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を出したことと無縁ではないように私的には思われる。私の周辺からは一般大衆が不自由を感じ、その原因を訝しく感じているのだから、公明党は早急に実態を調査して原因を究明すべきだとの声が出ている。国民生活の上で、問題が発生したら直ちに現場に飛び、実態を調査するというのが公明党の現場第一主義による反応だろう。

●過去12年の「連立政権」の評価をめぐって

  これから1ヶ月ほどの間、自民党や立憲民主党の総裁、代表選挙が続く。公明党も28日に投票(18日告示)を迎える。公明党も他党のような代表選挙をすべきだとの意見もある。勿論、小さな政党が代表選びの選挙を大々的にすると、団結にヒビが入るだけで碌なことがないとの考えが支配的だろう。それを踏まえた上で、あえて提起したいのは、これまでの自公連立政権、とりわけ約8年続いた2期目の安倍政権と菅政権の1年、岸田政権の3年の合計12年を総括した上で、新たな「政権合意」の準備をすべきだということである。

 この期間の見方は大いに分かれる。例えば、一般的に安倍政権については、外政は及第点だが内政面ではいわゆる〝もりかけ桜〟問題に見るように疑問符をつける向きが多い。菅政権も学術会議の人事をめぐる拒否権発動問題など内政は権威主義的傾向を疑問視する傾向が専らだ。岸田政権については、あれこれと手は付けたがいずれも実を結ばずやり過ごしたとの不評が見過ごせない。

 しかし、公明党的にはいずれについても肯定的な評価が専らである。連立政権の全体的評価は大筋それでいいかもしれない。しかし、それと自民党積年の病弊を抑え込めなかった問題は、別に見なければならないのではないか。それも含めて高評価はおかしいし、見て見ぬ振りは許されない。

 私個人としては、安倍、菅政権の9年は〝功罪相半ばする〟と見る。功と罪を仕分けする必要を感じる。岸田政権の「旧統一教会」や「政治とカネ」問題の発覚も、自民党固有の積年の体質と関わりがあると見ざるをえない。このため例えば、「岸田政権の3年」を評価するに際して、成果を羅列するだけではなく、全体像の中から岸田政権3年における「公明党の努力成果」と位置付けて、分離し抽出するものだろう。

 ●新党首の政権構想の掌握について

  自民党のトップ選びの期間が終わるのは9月27日。その翌日の28日は公明党大会。それまでに自民党の新しいリーダーとの間で「政権合意」を交わすことになるのだろうか。あまりに時間がなさ過ぎる。厳密にいうと、同じ党とはいえ、新旧の総裁の政治姿勢、政策理念は微妙に違う。それを選挙戦を通じて知悉しておかないと、今後の政権運営に支障をきたしてしまう。

 それは公明党にとっても同じであろう。山口代表の留任か、それとも新たな代表を選ぶのか。選挙になるのか、信任投票になるのか。それなりの党内議論が戦わされ、党の内外に周知されねばならない。双方のトップを選んでいく過程を睨み合せながら、短時間で合意を得ていかなければいけないからだ。政策的な側面はこれまでの経緯をおさえれば、さしたる困難はない。問題はもっと大きな政権戦略についてである。この辺りについては、自公共に、選挙戦を通してお互いに十二分な意思疎通を怠らぬようせねばならない。

 ともあれ、違う政党が一つになって明日の日本を作り上げていくためには、「二人三脚」の呼吸合わせが第一である。いささかの遺漏なきよう、取り組まれることを望みたい。(2024-8-30  この項終わり)

 

 

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