【2】『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻を上梓して/5-20

★全ては熱中、夢中状態から甦ってくる?

 2022年から毎年一冊出してきた本も4冊目となった。2001年に現役代議士として書いた『忙中本あり━━新幹線車中読書録』を含めると5冊目(共著も加えると6冊目)になる。今回の『ふれあう読書』は、上下2巻に分けて百冊の本の論評と著者とのご縁を付した。長年にわたってブログ「忙中本あり」に書いてきたものから選んだものだ。お付き合いがあったり、何らかの関わりがあった懐かしい人の本ばかりである。改めて我ながらよく続けてきたなあと思う。

 25年ほど前。出版に携わってことのある親友Sが「書評は売れないよ。そもそも他人が書いた本をどう読んだかなんて、人は関心を持たない」といい、4つ下の弟が「国会議員が上京や帰京の新幹線車中で本を読むなんてこと自体、庶民大衆に反発される」と貶してくれた。また、ある新聞のコラムで「本の中身よりこれを書いた政治家が将来どんな仕事をするかどうかに興味がある」と書かれた。また、作家の半藤一利さんからは「あなたはくだらない本を随分たくさん読む人だねぇ」と呆れるように言われた。

 その半藤先生も先年、90歳で大往生された。共に死のうと戯れあった親友は80を目前に、若き日に親を手こずらせた弟は70で、この世を去った。当の僕自身は、新聞で心配された通りに大した仕事もしないまま国会議員を辞めて12年余も生きてきた。その間に書評や政治評論など書き続け、本にして出版した。現役時から信仰を根本に、新聞記者から秘書を経て政治家に転身したが、我が天職は物書きだと思う。

 人にあれこれ言われても、誰に遠慮もせずに自分が好きなことをやり続け、信ずる道を歩んできた。今僕は、我を忘れ、時を忘れることの積極的意味を考えている。すべては夢中、熱中の状態から甦るもののような気がしてならない。

★先に逝ってしまった友のための出版を考える

 さて、これから何に熱中するか。実はもう決めている。だが公表は未だしない。毎年本を出すのも良いが、ここらでじっくり大きなテーマに取り組まねばという気がしている。一年は本当に短い。あっという間に経つ。これでは国家の行末に何も思いを致さず、あくせくと当面の課題にのみ翻弄されている国会議員とおんなじだ。これでは議員を辞めた甲斐がないと、心底思う。もっと大きな仕事をせねば、生きてきた意味もないとさえ思う。

 先日勝手に僕をおいて先に逝ったSは、せっせと「死事」と称して、死とは?死ぬってことは?などと考えて、書きまくっていた。そのくせ、2年近くも寝たきりになって、もうお前とは会わないと決めて死んでしまった。悔しいといったらない。こんなはずじゃあなかった(はずだ)。彼の考えてきたことを本にしてみたい気がする。また、2人の対談電子本『この世は全て心理戦』も紙化してみたい。

 死んだら終わり、何を残しても意味がないと言ってた彼奴の代わりに、あいつが生きた証を代わって残してやりたいとの思いがするのだが。余計なお世話だと、あの世から怒りの声が聞こえてきそうだ。(2025-5-20)

 

 

 

 

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