参院選が自公政権の「連れだち惨敗」や、立憲、維新など既成政党の停滞傾向の中で、国民民主党、参政党の大躍進に終わり、国内政治は多党化が顕著になった。その状況下で、自民党内の「石破おろし」の動きと、永田町以外の場での「石破擁護論」が奇妙な拮抗を見せている。この背景を追う。
⚫︎「言葉がまともに通じる政治家」との評価に自信持て
毎週日曜日の毎日新聞12面に掲載される『松尾貴史のちょっと違和感』を僕はいつも面白がって読んでいる。放送タレントの松尾貴史氏が時々の政治・社会課題について徹底的に批判を加えていて、同調する気分になることが多い。概ね右も左も真ん中も既成勢力はぶった斬られているのだが、今日3日付けの「どこへ行った?あの危機感」は、いささか趣を異にしていて、このコラムそのものに「ちょっと違和感」を感じたほどだ。要するに、「石破氏退陣を求める自民党内の動き」が、逆に有権者に「辞任する必要はない」との機運を高めているフシがあると言うのだ。それは、「次の総裁、『党の顔』として挙がっている面々を見て不安を覚えている有権者が多いから」であり、石破首相は彼らに比べて、「さまざまな変節があったにせよ、言葉がまともに通じる政治家であり、意見が対立している相手でも議論がかみ合う部分が多い」というのだ。
こうした「石破首相論」は中々真っ当だ。自民党に対して厳しい眼差しを持ち続けてきている僕にとって、石破氏は頼りなげに見えるが「よりマシ」首相であり、今回の選挙の惨敗の責任を取らせて辞任に追い込み、新たな総裁を選ぶことは、「どうしようもない選択」だと思う。衆参両院の選挙に負けたらトップが責任を取るという過去の経緯と同一には論じられない背景があるからだ。「金と政治」の不始末における自民党政治の積年の責任が問われている場面が続く中での選挙結果は誰が首相であっても同じのはずだ。貧乏くじを首相に引かせた連中がそれみた事かとイキリ立つのは筋違いだといえよう。
⚫︎気になる党内保守派とメディアとの結託への意識過剰
このコラムを読んだ僕は直ちに首相に対して「これを全自民党議員は読むべきですね」と、メールを送った。そうすると数時間後に、松尾氏の連載は自分も愛読していると述べた上で「自民党『保守派』議員はそもそも読もうとしないでしょう。毎日新聞の記者こそこれを読むべきだと思います」との返事が返ってきた。昨今のメディアが自民党内保守派を煽り立てているかどうかは定かではない。だが、一部新聞メディアが保守派の台頭を待望するかの如き論調を提起しているとの認識は僕にもある。
偶々、今僕が読んでいる『対決日本史!6 アジア・太平洋戦争篇』(安部龍太郎、佐藤優)の中で、戦時下における関東軍によるメディア・コントロールがあり、全新聞社がそれに取り込まれたとのくだりがある。と同時に、大手新聞社が陸、海両軍との関係を表す旗色を鮮明にして張り合ったかの如き印象を受ける部分も印象深い。
石破首相が先の大戦下でのメディアと軍部の関係を知らぬはずはない。自分の辞任を迫る勢力が党内保守派であり、それに檄を飛ばすかの如きメディアと結託しているとの被害者意識があるのだろう。先の僕への返信メールには露骨に懸念する表現があった(私的やりとりなのであえて伏せておく)。僕は首相には一貫して、自分らしさを出すべきだと注文している。現在までのところ、首相は自民党内論理の大勢に劣勢であり、イマイチ意気地がないかのように見える。「どこへいった?あの正義感」と言いたい。ここまで来たら、かつて党内野党の最右翼だった頃の「らしさ」を取り戻せと言う他ない。(2025-8-3)