「政治家は小説をもっと読んで欲しい」との声は今に始まったことではないが、先日の僕の「出版記念交流会」に来賓挨拶に立ってくれた小説家の玉岡かおるさんも同様の趣旨の話をされた。終わって、おすすめの小説は?と聞いたところ「『国宝』です。映画もよく作られています。ぜひ」とのこと。直ちに、映画を見たのち、小説も読んだ。劇場には猛烈な暑さにも関わらず、駆けつけた熱心な映画ファンでいっぱい。3時間という長丁場に、緊張感漲るシーンの連続。見応えがあった。一方、2冊分の小説を読むのに5日ほどかかったが、よく作られていたと思う。未読の人にはおすすめしたい。尤も、歌舞伎の好ききらいで、受け止め方はいささか違うだろうが、それでもなお大いに刺激的な小説である◆様々な読み方があろうが、僕は歌舞伎役者が芸を極めることは命懸けであるというストーリーを通じて、あらためて「人間の一生の何たるか」を考える機会になった。「我いかに生きるか」を考えぬいた挙げ句、「狂って自殺するか、何らかの宗教を選ぶか」との選択になるとの特異な見立てに、僕も惹かれた時期がある。多くの人はそこまで思い詰めず、適当に楽しい生き方に埋没するうちに歳を経るものだと気付くのにそう時間は掛からなかった。だが、改めてこの小説の主人公・喜久雄の狂ったと見紛うほどの境地に到達したラストシーンにでくわすと、懐かしさと共にどこか忘れかけていた羨ましさが蘇ってくるのだから不思議だ◆この小説では、歌舞伎の世界における師弟関係の中での2人の弟子の壮絶な戦いが根幹をなす。やくざの息子と世襲の血を引く息子という2人の弟子の戦いの過程の上で、師の交通事故、糖尿病による失明、襲名口上での吐血といった事件・事故が続く。その中で、「嫉妬」の嵐からの世襲の弟子の出奔、復帰後の両足の壊死などという悲劇が息もつかせずに展開する。人間の「生老病死」という「一生劇」の中でいかに「病」が重要な障害足りうるかを思い知った。とともに、仏教において「地獄界」から「仏界」までの十の境涯の範疇に位置付けられていない「嫉妬」という生命状態をコントロールすることの難しさをも改めて自覚するに至った◆とても熱中させられる面白い小説なのだが、幾つかの疑問点も指摘せざるを得ないところがある。その最大のものは、冒頭に出てくる主人公の父親が暴力団相互の抗争の中で、舎弟ともいうべき身内の男から射殺されることである。なぜそうなったのかが明かされないまま、小説はズンズン進む。いや、父親を殺した憎むべき下手人がその後の主人公の人生においてむしろ「恩人」という位置付けへと転換(全く説明のないまま)する。この奇妙なストーリー展開に、読者は最後まで伏せられた楽しみとして惹き込まれるのは間違いない。実は僕もいつどんな形で種明かしがなされるのか期待した。ところが、最終章では?50年もの間秘されてきた真実が死に至る病の床にある父の「仇にして恩人」の口から吐露されるのだが、「小父さん、もうよかよ。親父ば殺したんは、この俺かもしれん」と、逆に長い間世話になったとの「礼」で終わる。これをどう読むか。「国宝」になろうかという人物はさすが違うということなのか?俗っぽい小説の読み方しか出来ない我が身からすると、作者のこの態度には「拍子抜け」「裏切り」と写ってしまう。それならそれで下手人の心理描写や仇への恨みの思いが伏線に描かれないと。この部分が大きく災いして素直に巻をおけなかったことは告白しておきたい。さてすでに読まれたあなたはどう思われるか?これから読まれるあなたは?ぜひ聞いてみたいものだ。(2026-8-5)