毎年8月になると、6日、9日、15日を中心に昭和20年からの歳月を数えて、新聞やテレビなどのメディアが「アジア太平洋戦争」にまつわる「敗戦・終戦」の特集記事や特別番組を報じる。今年は80年の節目とあって、一段と力がこもっていたように思われる。僕は敗戦直後の年の11月に生まれた。NHKを中心に幾つもの「特番」を観て、改めて「戦争の悲惨さ」を身に沁みて感じた。ここでは昭和20年に生まれ、後に政治家となった者として、敗戦後80年の今が「戦間期」の終わり、つまり〝新たな戦争〟の始まりにならぬようにするために、まず何が必要かの課題を考えたい。
⚫︎近づく「戦間期」の終わり
「戦間期」という言い方は普段あまり聞かない。戊辰戦争を期に明治維新以降、国内戦争は西南戦争をもって終わる。以後、日本は大陸を舞台に日清戦争、日露戦争で清(中国の前身)、旧ロシアと戦って一応の勝利を収めた後、第一次世界大戦でも戦勝国になった。その後20年足らずの僅かな「戦間期」を経て、昭和6年9月の満州事変を期に、日中戦争に突入し、いわゆる「アジア太平洋15年戦争」の当事者になり、米国を始めとする連合国と地獄の戦闘を繰り返した。沖縄で歴史上初の地上戦を米軍と展開した後、本土決戦も辞さぬ構えを見せた挙句に。2発の原爆を広島、長崎に投下されて命脈を絶たれた末に、一国が滅亡し米国の占領支配の下におかれる。以来、戦争を経験しない「戦間期」が80年もの長きにわたって続いている。
2022年のウクライナへのロシアの侵略以降、明らかに世界は第三次世界大戦の「助走期」に入ったと見られる。今のところ、アジア全域や太平洋沿岸地域では直接の戦禍はなりを潜めているかに見えるものの、一触即発の危機のタネは随所に伺えよう。「戦間期」の終わりを警告する発言は私が知る限り、外務省出身で今はキヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦氏が最も目立っているようだ。僕自身が最初に彼の発言を目にしたのは今年の産経新聞新年号の正論大賞受賞記念対談だった。彼はそこで、戦間期の終わりが近いことを予測した上で、第一次世界大戦の際のように、「勝ち組」に回れるような日本の振る舞いが大事だと強調した。この、現状認識は、同氏らしいユニークなもので注目されよう。
⚫︎戦争回避の話し合いと軍事力の行使
戦間期が終わるという意味は軍事的な衝突が現実に起こるということを意味する。宮家氏は「軍事力で自国を守るのは、世界の常識です」と強調すると共に、「力で現状変更しようとしている(相手国がある)のだから、力でしか止める方法はない。話し合いで効果があるなら、中東などで戦争は起きませんよ」と断定。その後、「例えば、専守防衛を厳格に解釈し、『反撃能力は相手の攻撃がなければできない』とする公明党は危ういんじゃないですか。また、ともに連合の支援を受ける国民民主党や立憲民主党にしてもどうか」と発言している。
彼がここで言いたいのは、国際的に厳しい状況の中で、現政権が少数与党である上に、与党の一翼を担う公明党も野党の中心勢力も、いざという場面で頼りにならない、結局は保守勢力がしっかりせねばならないということであろう。それを「今の日本は、健全な保守勢力が、20世紀型の保守政党から21世紀型の保守政党に脱皮しないといけない」と表現していた。
僕は宮家氏の発言を読んで、世間に誤解を与えるものだと思った。公明党は紛争や戦争が日本周辺で発生する危険に対しては、予防外交に徹した上で、ギリギリまで「話し合い」による解決を先行させるスタンスであることは間違いない。戦端が開かれたら「力」がものをいうが、開かれるまでは、とことん「話し合い」である。それを「危うい」と表現されると、極めて無責任な存在だと勘違いされる。それなら、話し合いを早々に放棄して、力づくに持ち込む方が真逆な意味で「危うい」といえよう。
そういう意味合いも含めて、僕は「公明党の中道主義の21世紀型の展開が必須だと(宮家さんの主張を)読み替えました」と、やんわり抗議した。これに対し、「大変失礼しました。軍事力の適切な使用にアレルギーのない中道保守の存在がカギになると思います」との返信が届いた。これはまたこれで掘り下げた議論と相互理解が必要なのだが、公明党がカギを握っているとの認識の表現で、よしとしたい。
⚫︎多党化の中で「戦争と平和」をめぐる本格的論議を
あれから7ヶ月、参院選の結果を見ると、事態は微妙にかつ着実に変化した。軍事力をどう使うかをめぐる政党の立ち位置の分布図はどうなったか。建て前と本音入り混じる状況を見定めないとならない。
このあたりについて、徹底した議論を与野党を越えて積み重ねる必要が早急にある。いわゆる「安保法制」を制定してから既に10年が経ち、その具体化としての「安保3文書」の実行も緒に着いた。「集団的自衛権」の議論も自公だけの、しかも担当者だけの秘密討議で国民一般に公開されていない。
だからこそ、僕は自公間で引き続きの議論が必要だと主張してきた。今日の多党化の状況では、自公だけでは収まらない。政権を担う可能性のある政党と早急に議論を開始する必要がある。(2025-8-15)