【37】自立していても自律は疑わしい老人の繰り言/9-15

 その昔、9月15日は敬老の日で、世の中お休みと決まっていました。ところが今は9月の第三月曜日が敬老の日となって、15日に固定されていません。去年の2024年は16日が敬老の日で、一昨年は18日でした。偶々ことしは今日15日が第三月曜日ということで、久しぶりに敬老の日になったわけです。2003年(平成15年)から法改正されて変更になったのですが、実は、この変化、個人的にはほっとしたものでした。実は僕ら夫婦は、9月15日に結婚をしました。1973年(昭和47年)のことです。あの日、これから毎年全国の皆さんが僕らの結婚式を祝ってくれるって、冗談混じりで喜んだものでした。ですが、その後は結婚記念日=敬老の日というのは、積み重なる老いを否が応でも意識せざるを得なくなってきました。尤も、連れ添い歴50年を優に過ぎると、お互いに身も心も「不都合な真実」に直面して、どうでも良くなってくるから妙なもんです◆ともあれ今年僕は傘寿を迎えました。本人は全くといっていいほど老齢であることを意識せず、ほぼ毎朝海岸べりをゆっくりと走ったりしています。ただし、ことあるごとに物忘れの酷さを家人からあれこれ指摘され、〝老化の道〟をひた走ってるのかもしれません。そんな折、さる9日のNHKラジオ深夜便「共に歩む100年人生〜初めての老いを上手に生きる〜」を聴く羽目になりました。というのは、生活評論家で活躍中の沖幸子さんが登場すると聞いたからです。この人、東京界隈に住む姫路出身者が集う「姫人会」の仲間です。かつて姫路市長選に挑戦もした〝強者〟でもあります。上京時に時々会います。深夜起きは苦手とあって「聞き逃し配信」という便利なツールで、〝ラジオ早朝便〟として聴きました。「人生百年」の長寿時代を元気で生き抜けるか、それとも躓いて苦労するか。このあたりを乗り切る知恵をたっぷり聴かせて貰おうと意気込みました◆この番組に僕の友だちが出るというのは、笑医塾塾長の小児外科医である高柳和江さんに続いて2人目です。共に期待に違わず話は実に旨い。番組タイトル名から、年老いた者としていかに価値ある生き方をするかの秘伝を授けてくれるものと勝手に想像していましたが、話の大半は掃除や部屋の整理、整頓の仕方についてのユニークな作法の伝授でした。思えばそのはず、沖さんはドイツ直伝の掃除の作法を日本に持ち込んで起業した最初の人でした。勿論趣味の世界の拡大についてもヒントを提示してくれていましたが、概ね、誰しもが億劫になりがちな掃除や整理が楽しくなるノウハウが中心でした。聴きながらつい、これって〝女性向け〟だなあと思ってしまったのです◆家事といえば今は亡き曽野綾子さんが「段取りをし続けることが、実は老年において人間としての基本的な機能を失わせない強力な方法なのだ」「家事は段取りの連続である。頭の体操にはこれほどいいことはない」(『晩年の美学を求めて』)と印象的な言葉を残しています。若き日より家事に無関心で妻に任せっぱなしできた男たちに厳しい警鐘を鳴らしていました。本を読み終えた時は、俺もカレーやオムレツぐらい作れんとあかんなあ。風呂場やトイレの掃除もせんと、と殊勝げに思ったものでした。ところがもう沖さんの話を〝女性向け〟のもので、男の俺には〝関係ない〟と思う気持ちが出てきてしまいました。そういえば、彼女はアンカーの須磨佳津江さんと実に楽しげな〝女の会話〟をしていました。男性のリスナーたちはすっかり置いてきぼりにされていたように聞こえなくはなかったのです。ひとことでも男たちをドキッとさせて欲しかったなあとは、いつまでも自律できない爺さんの繰り言かもしれません。(2025-9-15)

 

 

 

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