今回の総選挙で、自民党が得た比例得票数は、21026139票(36.72%)。一方、中道は10438801票(18.23%)。ほぼ半分です。しかし、議席数は316に対し49。6対1の現実。ここから出発したいと私は思います。小選挙区比例代表並立制という選挙制度がもたらした現実を前に、嘆くだけでなく、党が出来てから僅か20日ほどで、中道改革連合(中道)と投票所で書いた人がこれだけいるということに驚き、喜びたいのです。自民党は結党されて70年。中道は1ヶ月にも満たない。にもかかわらず、と。これって、痩せ我慢に聞こえるでしょうか。
⚫︎選挙総括という名の「ものがたり」
「敗軍の将は兵を語らず」といいます。斉藤鉄夫氏と並んで選挙後の記者会見に臨んだ席で、野田佳彦共同代表は、「万死に値する」と敗北の責任を表現しました。戦国時代ならずとも、封建制の世なら即刻切腹する場面でしょうか。今回の衆院総選挙の特殊性は、誰しもが認めるように、自らの支持率の高さを「時は今」と判断した、高市早苗首相が電撃的に通常国会召集の日に解散したことに尽きます、その結果、戦後政治史上初めての一党で3分の2の議席を自民党は獲得し得たのです。特殊なやり方で解散したので、結果もとても異常なものになったというわけです。以下、敗軍の将に成り代わって、一兵卒(支持者)が勝手な見立てを語ってみます。
高市首相の「奇襲」に対して、「奇略」で応じたのが野田、斉藤の立憲民主、公明両党のツートップでした。衆院におけるそれぞれの党を解党して「中道」という名の新党の下に結集する、二つの党が合併するということではなく、幅広く政党、政治家に参加を呼び掛けるものでした。これは斬新なアイデアに見えます。60年にわたって公明党の支持者、政党機関紙記者、議員として動いてきた私にとってあたかも〝血湧き肉躍るものがたり〟の始まりでした。
これは「戦略なきは座して死を待つものなり」との孫子に由来することわざを惹起させ、奇襲に対抗するに十分な対応策だと思えました。野田、斉藤両氏の頭にはかつての新進党の蹶起がよぎったはずです。2人は数少ない新進党を経験した生き残りですから。両代表は高市首相の〝大博打解散〟への対抗策として、「中道」の旗を振りかざす新党結成に踏み切る〝でっかい賭け〟に踏み切ったのでしょう。しかもその具体策は、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」との諺を地でいくもので、両党はこれまでの所属政党を捨てて、立憲は小選挙区に集中、公明は比例区に専念したのです。
⚫︎「中道」理念を改めて広げる戦いの出発
この「奇略」実は当事者を除いて殆どの両党関係者は知らなかったはずです。いつどのような経緯を辿って表に出てきたかはやがて明らかになるはずでしょうが、私など近い将来、立憲民主や国民民主との関係構築が自公政権離脱後のカギだとは思っていても、直ちに新党を作るという発想はなかったのです。つまり、できっこないと端から思い込んでおりました。ところが先の会見の場で野田氏は去年の秋ごろから考えていたと口にしたのです。
2つの世界大戦を経て、人類は国際連合や国際法など平和構築への仕組みを、知恵を絞り、こころを尽くして作りあげてきました。しかし大戦後80年が経って今や世界は真逆の方向に進んでいます。自国の勢力圏拡大に奔走する2、3の大国によって世界は無惨にも無法状態と化しつつあるのです。この状況の中で、日本の政治は手をこまぬいているだけの状態を続けており、物価高に喘ぐ国民大衆をよそに、政治家がカネの使い方で世の不審を買うという情けない事態から抜け出せないでいまず。これを打開するために立ちあがろう、それが「中道」の最初の発想だったのでしょう。
しかし、あまりにも時間が足らなかった。中道の意味あいや、なんで今自分の党をなくしてまで、と言ってる間に時は過ぎた。もっと時間があればなどと、愚痴をいういとまはありません。この選挙結果分析もその辺りについては敢えて触れないつもりです。「中道」理念を落ち着いて広げるとの「新たなものがたり」を求め探す旅に出る時は今だと思うからです。(以下次号に続く 2026-2-10)