【77】友遠方より播州路に来たりて分かったこと/3-10

大学時代の旧友が細君と共にさる3日に播州路にやってきた。彼は三重県伊勢の出身で今は横浜に住む。若き日より京滋阪奈和の関西5府県には足繁く訪れたようだが、兵庫とは比較的に縁が薄かった。ところが完全にリタイアして年金生活に入ったこの5年ほど、ちょっと様子が違ってきた。播磨の奥深さに開眼したかのようなのだ。今回はお目当ての「京都旅」の前に、赤穂から高砂へと行くから付き合ってくれとの前触れ。喜んで同行役を引き受け手練れの車係を2人手配した。初の奥方連れに粗相は許されない。彼女は花嫁の時は厳密には未だ女学生だった。披露宴ではみな驚き呆れ羨んだものである。以来半世紀。かつての乙女は気品溢れる熟女に変身していた。茶と花の道は言うに及ばず香道を嗜むも達人の域で、時にフランスなどで腕前(鼻前か)を披露されてきたと聞く◆赤穂での運転は古くからの創価の友・Oさんにお願いした。この人は水彩画、油絵から随筆、詩に至るまで多彩な趣味を持つ。昨年、念願だったエッセイ集『萩簾』を上梓されたばかりだ。旧友には既に紹介済みで気心合う仲である。姫路で一緒した僕らは、Oさんと坂越駅で合流し、大避(おおさけ)神社に。私は厳かな古めかしいこの神社のことも、更に僅かな海域を挟んで熊がうずくまって睨んでいるように見える生島(写真)についても共にその来歴を知らなかった。僕らとほぼ同年輩の宮司さんから、大避神社の御祭神が聖徳太子との縁深く、雅楽や能楽の祖と崇められていること、生島に葬られたのち大避神社に祀られたことなど歴史の数々を教えて貰った。加えて毎年10月に繰り広げられる「坂越の船祭」の由来なども知った。神殿前の社の天井部分に掲げられた数多の額像や陳列された貴船の姿にしばし見惚れたしだいである。小雨降る中の帰り道。神社の山門前の坂道を経て見やった生島は、来た時と違って優しい母熊が横たわってるように見えた◆次に瀬戸内の海が一望出来るはずの(この日は生憎見えず)小高い丘の上のホテルに移動し、4人で「海の幸」を楽しんだ。Oさんが師事する詩人・谷川俊太郎の著作『旅』(絵=香月泰男)を肴に小宴は盛り上がった。ここ数年水彩画を嗜み始めた旧友がその道の先輩と絵を語らう姿は、門外漢の僕にはチョッピリ眩しかった。食後の訪問先は大石神社。鳥居の前の歩道脇に並ぶ47義士の石像。初めて目にした夫人は喜びの声を女学生のように上げていた。2時には赤穂を離れ、加古川へ。ここでは我が公明党の後輩で長年苦楽を共にしてきたY君の運転で、高砂神社から松右衛門生家跡、十輪寺を経て鶴林寺への2時間コース。これまた、殆ど僕が訪れぬままに時が経った名所旧跡ばかり。高砂神社と鶴林寺は兎も角も後はなし。我が畏友は事前に関係する書物類を十二分に学んでいたように思えた◆このコースになぜ松右衛門生家跡か。これは彼が玉岡かおる『汎神 北前船を馳せた男』を読んだために違いない。工楽松右衛門なる人物は廻船業を営みながら帆布(松右衛門帆)を発明するなど、日本の海運業界を支えたという。高砂が生み出した得難い庶民の英雄であるのに、恥ずかしながら僕は殆ど知らなかった。高砂神社には松右衛門の銅像、十輪寺には玉岡さんの文学碑(写真)があった。この地域には友人、知人も多くいてしばしば歩きまわっていながら、神社仏閣の類にとんと足を踏み入れる習慣がなかった。旧友は各地の歴史的建造物を、昔から今まで飽くことなき好奇心で追いかけ続けている。その彼が「播磨」を賞賛する。とても文化的素養の高いひとを沢山生み出している地だと。一方、デビュー当時から親しい仲の玉岡かおるさんは、次々と播磨が生み出した人物を描いている。残念ながら僕はその小説群に挑んできたとは言い難い。2人と僕との生き方の比較を通して、改めて自分の拙さを思い知らされゾッとした。西明石への帰りの車中、数日来の風邪による寒けもぶり返してきたようだ。(2026-3-10)

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