Author Archives: ad-akamatsu

〝Nokinawa〟か 〝ダメリカ〟かの 日米論争

沖縄をめぐる米軍基地の取り扱い問題を考えたい。沖縄県の側からすれば、県民の意思は米軍・普天間基地を辺野古に移転するのはノーとの結論が世論調査の結果でたのだから、少なくとも、今後は米国との交渉に沖縄県も交えて三者協議の場を持てとの主張であろう。一方、日本政府側は、対外交渉は政府の専権事項なのだから、そんなことは出来ないということに尽きる。この問題、延々と続いており、解はなかなかでない。以下、極論で非現実的なことを承知で、あえて我論的自論を本音ベースで述べる▼沖縄県の主張の行きつくところは、煎じ詰めれば「沖縄独立」になり、そこを持ってしか解決出来ない、と思う。日本政府の言い分は、米国に首根っこを抑えられている現状の中で、沖縄は勝手なこと言うな、につきよう。独立なんか荒唐無稽、出来るならやってみろ、と。未だ広い意味での米軍占領下にある日本なんだ、分からんのか、とも。米国のスタンスはどこにあるか。一言でいえば、沖縄県はなんでも反対のメディアに支配され過ぎてる。実はOkinawa ではなくて 、Nokinawa ではないのか。日本政府はもっとしっかり統治しろ、といったところか▼これって、私の親しい友人の元米海兵隊幹部で政治学者・ロバート・エルドリッジ氏の主張である。先日私が友人と共催する異業種交流の会で、幾たびめかの議論を交わした際に、私はこの彼の言い分に反論。アメリカではなくてダメリカではないのか、と。ダジャレの応酬だが、私の言いたいところは、日本の置かれた立場は、どう言い繕うとも、米国の占領体制が日本全土にわたって実質的に続いており、日本の本音に対して結局ダメ出しするだけだ、と。さてどうすればいいか▼最近出た吉田敏浩『横田空域』なる書物が改めて描いているように、この国は首都圏上空であってさえ、米軍の航空管制下にあり自由に飛行出来ない。つまり、米軍支配下に未だある。それが本州では普段は見えにくいだけで、沖縄は四六時中そのことがはっきり見えているのだ。「日米地位協定」という名の縛りを緩め、少しづつでいいから、米国には日本の独立を認めるような態度が望まれる。ホストネーションサポートをしている国に、その現場に、ゲストとしてきていながらマナーが無さ過ぎる。そんなダメなアメリカではノーと沖縄は言うしかない。(2019-3-4)

 

 

 

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爽やかだった故大沼保昭さんの偲ぶ会

大沼保昭さんを偲ぶ会が2月21日の夜に東京・神田の如水会館で行われました。実に爽やかそのものの素敵な偲ぶ会でした。国際法の大家の大沼さんには、公明党の会合で講演いただいたり、公明新聞にPKO法を巡って長大な論文を書いたりしていただきました。あの「9-11」の米国での同時多発テロ事件の時に、米国人政治学者ジェラルド・カーチスさんと共に、ご自宅に招かれ(故市川書記長と一緒させていただく予定だったが、私だけになった)て、色々とお話しさせていただいたことも思い起こします▼この日の偲ぶ会では6人の代表の方々からの弔意が表明されました。トップは、国際法学者・イーディス・ブラウン・ワイスさん。大沼さんの最後の学術書であるInternational Law in a Transcivilizational World  が今後何世代もの人が読み続け、学びを得るであろう傑作だと褒め称え、その革新性を強調されました。「學びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや」との論語の一節を体現した人であるとも。ついで、建築家の安藤忠雄氏。大沼さんを自分の設計した建築物に案内すると、彼は何やかやと批判しつつも、暫くするとまた幾たびか訪れてくれたと、ユーモアたっぷりに語られました。幾つもの臓器をガンのため切除したという安藤さんに、その闘病の実態を訊いてこられたとの秘話も披露されました▼ついで読売新聞特別編集委員の橋本五郎さん。学問的厳しさをいかにたたえた人であったかを大沼さんの『戦争責任論序説』のあとがきなどを通じて指摘。併せて、死の間際まで自分の葬儀のプロデュースをし、この原稿にまで手を入れられたとウイットを込めて紹介された。最後に立った渡辺浩東大名誉教授は、長い付き合いだったが、ランチを一回共にしただけで、一度も飲んだことはなく、常に火花を散らす議論をする仲だったとのちょっと変わった、密なる二人の関係を披露。「双方不満なら良い条約」「この世に完璧なものはない」などといった大沼さんの言葉を引用し、リアリストにしてアジア主義者だった故人を心底から讃えておられました▼奥様の清美さんが、参列者への「御礼」文に、印象的なことをたっぷり書かれていました。「大沼は生前、時を無駄にすることを嫌う人でした。それは自分のこだわりにその時を割きたいためでした」「自分が納得するまで一分一秒まで時を割きたい、そしてそのために、自分のできる限りの努力をしたい」「大沼は亡くなる前『自分の人生、思い残すことはない。これも自分を支えてくれたみんなのおかげだ。幸せな人生だった』と心から感謝しておりました」「長きにわたり、完璧主義で何ともわがままな大沼とお付き合いいただきましたこと、有難く心より御礼申し上げます」と締めくくっておられた。娘の瑞穂さんが参院選に出るという時に私にも相談されました。その時の大沼さんはどこにでもいる、娘のことが心配でならぬひとりの親父さんだった。あの頃の大沼さんが懐かしい。(2019-2-26)

 

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放置人工林を天然林化する仕組みを今こそ

日本で最もまじめに奥山を守り抜こうとしている団体ー公益財団法人「奥山保全トラスト」。その理事会が16日に開かれ、私も参加してきました。この日は平成30年度の事業報告、収支決算を承認するためのものでしたが、この一年で、5ヶ所の新たな地を取得したことが報告されました。宮崎県延岡市北川町(10ha)、熊本県上益城郡山都町(31ha)、福島県会津若松市(5ha)、岐阜県本巣市(57ha)、愛媛県四国中央市(10ha)の5ヶ所です▼これで、この財団が所有するトラスト地は、全国17ヶ所、延べ面積は2100haとなりました。それぞれのトラスト地では、人工林の間伐、広葉樹林再生、植生保護、野生動植物の調査などを進めており、平成30年度は、白山トラスト地で、自動撮影カメラの設置を行って、野生動物の撮影に成功したといいます。公益財団の資格を得てからだけでも5年。それより前の段階を加えると、十数年間の地道な奥山保全への動きを積み重ねてきており、極めて注目されるものと思われます▼戦後の政府の拡大造林政策は、伐り出すこともできないような奥山にまでスギやヒノキなど針葉樹を植えまくりました。その結果、現在では1030万haと言われる人工林のうちの3分の2もの多くが放置されたままになっています。この広大な放置人工林は、山の保水力を著しく低下させ、豪雨のたびに崩れ、人命や財産を失うに至っています。加えて、スギ・ヒノキから発生する大量の花粉により、花粉症が大発生し、国民生活を脅かしていることは言うまでもありません。「奥山保全トラスト」は、こういう事態を変革するために、実践自然保護団体の一般財団法人「日本熊森協会」と力を合わせて懸命の挑戦をしてきています▼そんな折、政府もようやく重い腰を上げて、森林整備に本格的に取り組もうとしていることは注目されます。通常国会に、「森林環境税及び森林環境譲与税法案」を提出したのがそれです。これは、住民一人につき1000円徴収し、約620億円を森林整備に充てようというものです。ただし、林野庁が公表している使途は、❶間伐(境界画定、路網の整備等を含む)❷人材育成・担い手確保❸木材利用促進、普及啓発等ーとしか挙げられていないのが気になります。肝心のスギ、ヒノキの放置人工林を天然林に替えていくとの記述がないのです。天然林化に徴収された税金が必ず使われることが確信できないということでは、画竜点睛を欠くことになりかねません。私は公明党や自民党の関係者たちに、このことを訴えてきましたが、残念なことに法案に反映されていないのです。(2019-2-20)

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厚労省の不正統計事案の責任

先日、某民間テレビ番組で、厚労省の統計不正をめぐる一連の事案を巡って、与野党の厚生労働大臣経験者二人の「対決」討論を見ました。司会は田原総一朗氏。見応えありました。このテーマは、直接対決の個人戦(この番組)、政党間同士の団体戦(予算委)との二つの側面があると思われます。私のみるところ、軍配は個人戦では長妻昭氏に挙げざるを得ませんでした。片方の相手・塩崎恭久氏はそれなりに防戦に務めていましたが、やや問題すり替えが目立っていました▼ただ、野党側の予算委における追及ぶりはお世辞にも鋭いとは言えず、田原氏のその角度での指摘に対し、長妻氏も不承不承ながら認めていました。この問題の発端は、厚労省の役人の統計に携わる仕事そのものへの意識の低さにあると思われます。厚労省の仕事の中で、物事のベースをなす材料集めが杜撰であることの根源は、皆があまりにも誇りを持てない仕事だったということでしょう▼つい先程大臣になったばかりの根本匠氏が攻撃の的にさらされるのは、巡り合わせとはいえ、気の毒な気もしないではありません。歴代の大臣の責任が問われる所以です。やはり民間テレビの、しかも関西エリア限定の番組で元同大臣で、元東京都知事経験者の舛添要一氏が、司会者から責任を問われ、あれこれ自分の実績をあげて誤魔化していましたが、見苦しいの一言でしょう。全ての厚労省関係者が責めを負うしかないと思います▼その点は、このところ10年以上連続して同省副大臣を輩出している公明党も免罪というわけにはいきません。不肖私も副大臣をしていた時期もあります。ですが、問題の所在に気づくことすらありませんでした。私の高校同期の友人が統計学専門の東大教授で、同省のある審査会に名も連ねていた人物だっただけに、問題意識を持つべきだったと思いますが、それこそ「後の祭り」です。今後の再発防止に向けてなすべきことは少なくないのですが、過去に遡って関係者を政治家も含めて罰する仕組みも必要ではないかと思います。でなければ、結局喉元過ぎれば熱さを忘れるというのが関の山でしょう。(2019-2-15)

 

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平成天皇の背後に小泉信三塾長ー福澤研究センター准教授の講演から

姫路慶應倶楽部の新年例会が先日、姫路駅傍に出来た新しいホテルで開かれました。この日のメインは、慶應大学の福澤諭吉研究センターの都倉武之准教授による小泉信三元塾長を巡るミニ講演でした。これでこの人の講演は連続3回目。知ってるようで知らない慶應の歴史と伝統を学ぶ良い機会となりました▼小泉信三塾長といえば、戦争被災で大火傷をされた歪みひきつった気の毒な顔面が思い起こされます。私が入学した昭和40年の式典壇上におられたとのこと、同期の竹田祐一姫路慶應倶楽部前会長(まねき食品社長、姫路経営者協会会長)のこの日の挨拶で思い出しました。小泉信三は、1933年から1947年までの15年もの長きにわたって塾長を勤めました。文字通り戦前戦後の塾の「顔」であり、「象徴的存在」でした。父上の小泉信吉(のぶきち)は1987年から3年間塾長でしたから親子二代の塾長です。父が40代半ばで死んだのちに、諭吉に可愛がられたといいます。ちなみに長男の信吉(しんきち)は戦死。その生涯を父信三が『海軍主計大尉 小泉信吉』として著したことは有名です▼小泉信三はデイビッド・リカードの経済学を研究した経済学者でしたが、開戦に際し戦意高揚を訴え、戦争協力を厭わなかったと言います。戦争中の行動が後に問題視されますが、現実には、天皇に日米戦争回避を進言するなど、身近な人には「非開戦論者」と認識されていたようです。一般向け著作として著名なのは『共産主義批判の常識』。戦後、マルクス主義が跋扈し、日本共産党が大きな顔をしていた時期に、敢然とその問題点を理論的に暴いたことから、右翼反動の代表のように見られてきました。しかし、その著作における論理的展開の鋭さ、その後の歴史的経緯からも、改めて脚光を浴びていいものといえましょう。ご本人は硬式テニスをこよなく愛したスポーツマンでした▼今回、小泉信三を改めて学ぶことなったのは、平成天皇の皇太子時代の教育掛をされたこと。昭和24年に東宮御教育常時参与に就任。『ジョージ5世』『帝室論』などを教材に、帝王学を講じたとされます。平成天皇は、象徴としての天皇のあり方をめぐる深い思慮や国民を常に意識された具体的な行動を通じて、改めてその存在に賛嘆の声が高まっています。その背景に、小泉信三あり、ということを再認識しました。以上、この日の講演のエッセンスを、小川原正道著の『小泉信三ー天皇の師として、自由主義者として』(中公新書)をちょっぴり参考にして、まとめてみました。映像を使っての同准教授のわかりやすい講義に参加者は大いに満足をした次第です。(2019-2-10)

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二足の草鞋の作家と多芸、一芸に秀でた人との出会い

このところ親しさを増して付き合っている知人、ペンネーム・諸井学さんこと伏見利憲さんが先ほど姫路文化賞・黒川緑郎賞を受賞された。この人については、既に『忙中本あり』でも取り上げた(『種の記憶』)が、電器店を営みながら小説を書いている作家である。長年にわたって姫路の同人誌『播火』に作品を発表し続けてきており、このほど姫路市で優れた文化活動を展開する個人や団体に贈られる同賞受賞者に選ばれた。それを祝おうと、石川誠先生の呼びかけで、姫路賢明女子学院短期大学の森本おさむ先生と私の3人が集まって、先日姫路市内で会食懇談を行った▼諸井さんはポストモダニズムに依拠したユニークな小説を発表する一方、『夢の浮橋』という意欲的な古典文学評論を同誌に発表し始めている(現在二回分)気鋭の作家。石川誠先生は、本業は医師ではあるが、源氏物語から馬術(国体選手)に至るまで文武両芸、諸事百範に渡って悉く極めておられ、とりわけ文学にはうるさい。このお二人の凄さはそれなりに理解しているつもりだった。そこへ森本先生という文学博士の登場である。この人、川端康成の研究において並ぶものなき存在と聞き、もはや戦意喪失したと言う他ない▼諸井さんの受賞記念を祝う会はのっけから、古典から近代文学へとお三方の話す領域は熱っぽく広がっていった。こういう場合、下手に口を挟むと怪我をする。私は専ら美味しい料理を頂きながら、時折相槌を打つことに専念した。私の実態をご存じない森本先生が「政治家でありながら、読書通で知られる赤松さんは‥‥」と水を向けられたが、「いえいえ、私ごときは‥‥」とかわすのが精一杯であったことを告白せざるをえない▼ただそんな私でも、唯一「参戦」できたのは川端康成の自殺を巡る問題であった。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫らと並んで小説家の自殺の中で、川端康成のそれはいささか異なっている。第一に自殺時が高齢(実は今の私とほぼ同じ)。第二に自殺の原因説が複数に分かれる。私は、自殺について持論を持っているので、つい口を出した。川端研究の大家を前に、である。結果は‥‥。これまで議論、懇談の場面で沈黙は屈辱とばかりに、駄弁を弄することが多い私だが、黙って人の話を聞くことの大事さを改めて知った。「九思一言」とはよく言ったものである。ともあれ、一芸に秀でた人、二足のわらじの人、多芸に通じる人といった三者三様の優れものとのひとときは貴重な経験となった。(2019-2-6)

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北方領土交渉などで意見交換ー久し振りに安保研へ

台湾から帰国した翌朝、私は友人が成田山の参道で営むカフェに立ち寄りました。京都風の雅やかな佇まいは中々の人気で、朝も早いのに観光客がぜんざいや葛きりを食べたり、外国人が写真撮影に訪れていました。数日間の外国旅の疲れをとり、気分転換するのに最適の機会でした。関空に向かわず成田に降り立つ選択をしたのは、ちょうど翌日に一般社団法人「安保政策研究会」の例会があったからです。久方ぶりに正午過ぎに会場の日本記者クラブ10階の会場に赴きました▼この会は、外務省、防衛省出身の元官僚や元新聞記者、政治家OB、中国人留学生やジャーナリストたち10人ほどが月一回集まって、時々の安全保障、外交関連の話題を巡って雑談するものです。主宰は元NHK解説委員で内閣官房副長官などを勤めた浅野勝人氏。昼食をとりながら出入り自由で拘束なしの放談会と言うものの、外交・防衛の専門家たちの見方や若い中国人の考え方が聴ける一方、ほぼ隔月に発刊される「安保研リポート」に原稿を書ける魅力に捉われてきました▼この日は私が帰国したばかりということもあり、若干の訪台報告をさせて頂きました。中国が「観光」を台湾経済のコントロールに使いつつ、台湾国内の隅々にヒタヒタと浸透していること。日本がかつての濃い関係から後退し、関心を急速に失ってきてるかに見えることなど、現地で交歓した古い友人たちから得た情報を披露しました。一年後に迫った総統選挙での民進党と国民党のせめぎ合いやそれに絡む米中の神経戦などについても話しました▼この日の本題は韓国海軍駆逐艦による火器管制レーダー照射問題と対ロシア領土交渉。韓国との一件は、栁澤元官房副長官補が解説。通常の国家としては完全に逸脱した驚くべき対応に次々と呆れ果てたとの感想が発せられました。今の韓国は無視するのが一番との見方が大筋でした。一方、ロシアとの北方領土交渉をめぐっては、浅野氏が、新聞の一コマ漫画での❶ロシアには二本指を出しながら、国内向けには四本指を出している日本政府❷日本が短距離走でいるのに、ロシアは長距離走と思ってるという両国の食い違い❸ロシア国内では、北方領土を日本に差し出すなら、プーチンを差し出せという世論ーなどを紹介。笑いを誘っていました。一方、元外務省官僚が、河野外相が国内に対し、交渉内容に一切触れずだんまりを決め込んでることに大いなる不満を表明していたのが印象に強く残りました。このテーマでの論考を近くまとめるつもりです。(2019-1-31)

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旧正月前の台北で「観光戦略」の重要性を実感

21日から3泊4日の日程で台北に飛んできました。主たる目的は「瀬戸内海島めぐり協会」の専務理事として、現地の旅行会社にインバウンドを巡る商談をするためです。朝から夕刻まで、仲間2人と二日間で合計11社を訪れ、あれこれと意見交換をしました。旧正月前の慌ただしい季節。予想に反した肌寒い気候でコートの有難さを痛感しました。夜は日本台湾交流協會の沼田幹夫所長(大使)と公邸で懇談したり、旧知の毎日新聞台北支局長と面談。帰国直前には総統府を表敬訪問して政府高官と会談するなど充実した旅となりました▼日本への外国からの観光客はいよいよ3000万人を超えて目標の4000万人に近づきつつあります。ただ数は増えても、その内実はおそまつで、真に喜ばれているものになってるかどうかは疑問符がつきます。私の今回の訪台は、台湾人のニーズは何かを探り、彼らが満足する旅行プランを彼らに考えさせて、その実現に向けて支援する狙いを込めました。従来の日本仕立てのものの押し付けは止めることに主眼を置いた新たな試みです▼これは兵庫県と観光庁の地方創生交付金を原資にした、日本版DMOの具体的展開で、大いに注目されるものと自負しています。今回の訪問先のうち2社からは具体的なオファーがありましたし、残りの企業からも、これからの詰めを期待させる手応えを感じました。いくつかの旅行社は今春の瀬戸内芸術祭に興味を持っており、中四国や近畿圏とを繋ぐエリアに足を伸ばして、日本の魅力を満喫してもらうことが出来そうです▼沼田大使との語らいでは、具体的に彼が台湾富裕層の一行と共に四国を訪問した際の経験談を聞くことが出来ました。高松空港での入出国時の手際の悪さが指摘される一方、台湾旅行社が同行させた台湾人ガイドの見事な仕事ぶりには敬服したと言うのです。訪問先の地域的特徴は元より、詳しい歴史的背景に至るまで熟知した上で、見事に解説してくれたと聞き、日本の受け入れ方の貧弱さに身がすくむ思いがしました。また、台湾政府要人からは、日本からのアウトバウンドが昨今少ないことへの注文がつけられる一方、中国が「観光」を戦略的に使って、台湾経済の浮沈をコントロールしていることへの苛立ちが披瀝されました。両者の話から日本の「観光」政策の戦略性のなさが浮かび上がってきました。(2019-1-25)

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大衆的人気博した気骨ある保守政治家の終焉

「こんなかに公明党の人はおるか?俺のこと応援してくれんでもええで」ー12年前の選挙だったろうか。自公選挙協力で、お互いに支援をしようという申し合わせがあったのに、当の自民党の候補者が街頭演説で、公明党支援はいらない、と公言したのである。いささか驚き、慌てた。自民党所属の政治家は、普通は喉から手が出るほど欲しいはずの公明党票。それを断るという全国の自民党議員でも珍しいタイプだった。つまり、票欲しさに自身の節を曲げたくないとの強い意志が伺えた。鴻池祥肇参議院議員のことである▼この18日に神戸で葬儀があった。公明党の県代表として現役の頃に、幾たびかの交流があった懐かしいひとである。最も思い出深いのは、私が鴻池氏の応援演説で、彼と比較してこう述べた。神戸高(旧神戸一中)卒と長田高(旧神戸三中)卒。早稲田大卒と慶應義塾大卒。派手さと地味さ。垂直思考と水平思考。ことごとく相反するものを持つ二人だが一点だけ共通するものがある。それは何か。それは二人とも日本共産党が大嫌い、民主党なんかに負けたくない、この一点は二人に共通するのだ、と▼この時の演説は私の20年に及ぶ政治家生活で、秀逸のものと勝手に思っていた。ある時に、鴻池議員の部屋に行ったことがあり、あれこれと歓談した。その際に、彼曰く、君と俺との根本的違いは憲法観が違うことだよ、と諭すように言われたことを思い起こす。その時、私は面白おかしくその場しのぎの演説をするだけで悦に入っていた自分を恥じた。確かに、憲法9条を巡っては、鴻池氏と私の考え方は、改憲と加憲という風に大きく違った。自由闊達なもの言い中にも、自身の政治信条では一歩も譲らぬ気骨を持ったひとであった▼私の娘がかつて、一番好きな政治家として鴻池祥肇氏の名前を挙げた。その時には軽い嫉妬を抱いた。ご本人にいうと、「おう、俺は若いのから年増まで女に人気があるんや。キミ知らんかったんか」とご満悦だった。青年商工会議所のリーダーとして名を馳せた、政治家として酸いも甘いも嚼み分けた練達の士であった。糟糠の妻ならぬ、兄弟船の舎弟分を失って、麻生太郎元首相(現財務相)の落胆ぶりは想像するに余りある。(2019-1-19)

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「安定」にも限度あり、との自覚ー兵庫での新春年賀会から

毎年恒例の公明党兵庫県本部の新春年賀会が11日の夜に兵庫・新神戸のホテルで開かれました。例年にも増して大勢の皆さんで場内は溢れんばかり。公明党の地方統一選候補者(70人)や、参議院選の候補者(高橋みつお氏ら)が紹介され、意気天を衝く勢いでした。首長や自民党の関係者の姿もいっぱい。今年に懸ける人たちの息吹きの総和で、一種独特のあつい雰囲気を醸し出していました▼その中で注目されたのは山口那津男党代表の挨拶。「しっかりと自公で議席を確保して、安定した政治を継続させる」と強調するとともに、「公明党が政権の安定に果たす役割は重要」だと力説しました。新年早々のNHK総合テレビ『日曜討論』でも、同様の訴えをしていたことを思い出します。キーワードは「安定」。仮に、公明党が政権から離脱したり、あるいはそこまでいかずとも、事あるごとに横やりを入れるような姿勢であったら、たちどころに政権は「不安定」になることは目に見えています。「安全、安心」と並んで「安定」は、今の政治に不可欠の指標なのです▼ただ、一方で、世間一般に、今の安倍自民党政治への「不安、不満、不信」が鬱積していることも事実です。昨年の国会で野党からの攻撃の的になった森友、加計学園と首相との不可解な関係は未だ曖昧なまま。そして、広がる一方の経済格差も庶民の生活基盤を脅かしています。過去の同政権に比べれば、相対的にましではあるものの、そこはかとない影が漂うのも否定できません。自民党内に〝安倍一強〟を牽制する動きが全く見えない中で、ブレーキ役としての公明党への期待が高いことを強く感じます▼山口代表も勿論、そのあたりは重々意識していて、「憲法改正」に向けての総理周辺の先走りを戒めつつ、〝幅広い合意〟作りをしばしば強調しています。また、消費税上げへの軽減税率の導入の持つ意味やプレミアム商品券の効果を繰り返しています。野党勢力がリアルな政策立案を示さない現状では、公明党が政権内にあって改革を着実に実行しながら、時に自民党を厳しくチェックする役割は極めて重要なのです。「安定」を呼号するあまり、庶民とかけ離れてしまう安倍自民党を無批判に許してはなりません。言い換えれば、「安定」にも〝超えてはならない一線〟、つまり限度があり、その自覚が大事ということでしょうか。安倍首相には公明党の〝寸止め〟を意識してもらいたいものです。(2019-1-13)

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