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【98】遥かなるモンゴル近景━━新旧2冊の本から日蒙関係と自身を重ね見る/6-25

 なぜ今モンゴルなのか。実は僕の関わっている一般社団法人(未来を創る新教育推進会)が8月1日に「出版記念講演会」を大阪で開く(写真左)ことになっており、その対象になっている本が『モンゴル抑留』というタイトルなのである。講演する著者は井手裕彦。元大阪読売新聞の論説委員で今はフリーのジャーナリスト。この人はモンゴルに抑留された人々のうち死亡者をこの10年ほどの歳月をかけて徹底的に掘り起こし続けて、遺族にその記録を届けるという極めて得難く重い仕事(シベリア抑留に比べて殆どこれは未開の分野)に取り組んでいる。この本は現時点までの経緯をまとめたもので、この6月半ばに著者から頂いた。と同時に僕は急に司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの『モンゴル紀行』を半世紀ぶりに読み返したくなった。ということで、立て続けに新旧2冊の「モンゴル本」を読んだことになったしだいである。講演会当日、この本に私も触れた上で挨拶をさせて頂く予定だが、ここでは、当日の予行演習をしてみたい◆モンゴルと聞くと大抵の人は大相撲の力士を思うに違いない。同国人と見紛うばかりの顔立ちと流暢な日本語に異民族であることすら忘れてしまう(因みに僕は鶴竜=現音羽山親方の姫路後援会に所属し毎春のように会っていた)ほどだ。だが、敗戦直後に生まれ育ち日蓮仏法に巡り合った僕のような人間はやはり一にも二にも「蒙古襲来」を連想する。史上初の二度に及ぶ侵略攻撃を受けながら兎にも角にもそれを防いだ歴史の記憶である。以来800年ほどが経った日蒙間の「原風景」を、大学でモンゴル語を学んだ人間として、無類の優しい筆遣いで描いてみせたのが作家の司馬遼太郎だった。1970年代半ばの司馬遼風モンゴル像はとことんこの国と人に寄り添い、読む者の「蒙を啓くタッチ」である。『坂の上の雲』で近代日本がしゃにむに軍事力を磨き上げた末、世界に追いつく姿に迫った司馬は、明治国家は描けても昭和国家の敗戦までの20年は書けない趣旨の発言を残した。とりわけ「ノモンハン事件」(モンゴル側は「ハルハ河戦争」と呼ぶ)を言語に絶する暴挙の象徴と位置付け、理由とした◆井手は、日本国政府は戦時賠償を回避する代わりに、抑留者への調査をする請求権さえ放棄してしまったと指弾している。この本は、シベリア抑留の影で忘れ去られてきた14000人のモンゴル抑留者のうち1700人の死者の「命の記録」を遺族に届けたいとする著者の誓いの言葉で締めくくられているが、日蒙「和解の歴史」への挑発的側面も併せ持つといえそうだ。司馬の本には大正期のシベリア出兵の時と昭和14年のノモンハン事件の時の捕虜のことに併せて触れたくだりが1箇所ある。一方、日本人の捕虜についてもあたかも「捕虜はお互い様」とでもいうかのように1箇所だけ触れられている。ただ、この関係を「逆縁」として「13世紀と20世紀のある期間をのぞいては、長い日蒙の歴史の上で交渉は全くなかった」としているのが印象深い。だが、井手は司馬のいう「逆縁」を歴史上の過去のものとして「見捨てることが出来ない」うえ、許されざるものとしてこだわり続ける◆全9章300頁を越えるこの本から学ぶことは実に数多い。僕は最初に①「はじめに」と、1章、2章を読み、②次に8章、最終章と「おわりに」に飛び、③最後に3章から7章へと戻った。一読者として、①ではそもそもなぜ抑留が起こったかの経緯を、2つの戦争(ノモンハン事件と第二次大戦末期のモンゴル対日参戦)から理解し②では外交的側面から日蒙の「抑留」実態を知るに及び③を通じて著者が己が人生を懸けてこの問題に取り組んできた感性に共感するに至った。読み方は人様々だろうが、僕はこんなアプローチを試みて手応えを感じたものである。これまで数多の「戦争」にまつわる本を読むと共に、歴史上の疑問を解く作業を見聞してきたが、井手の「作法」ほど「理」に叶い「感」を満たすものはないと痛感する◆僕は厚生労働省の副大臣を1年(公明党からは23年間に17人が担当)、衆院外務、安全保障委員会には1993年からほぼ20年間関わってきた。井手はこの厚労(旧厚生)、外務両省の「非情さ」を時に熱く、しばし冷静に取り上げている。僕は自らが関係した官庁の姿勢を殊更弁明する気はない。だが、新聞記者を経て政治家のはしくれに名を連ねた人間として「鈍感」が恥ずかしい。議員を務めた期間以外は井手と僕は似通った境遇にあったはずである。だが、真実を追求し抜こうとする生き様と、ひたすらに自身が知り得た所産を遺族に渡そうと「死亡記録配達人」として徹する彼の鋭敏な姿には到底敵わない。ただただ敬服するのみである。(敬称略/一部修正 2026-6-27)

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【97】様々なる「老いの輝き録」を追って/6-20

 山中直樹ソロリサイタル━━さる6月14日の午後、神戸・御影芸術堂でのこと。イタリア古典歌曲から6曲、歌劇のアリア2曲、カンツォーネ4曲など12曲が次々と披露されるなか、百人近い方々と僕ら夫婦は見事な声量にただ圧倒され聴き入っていました。山中さんは元々「船舶工学博士」。船を設計する仕事をしながらひたすら歌ってこられました(写真左=山中夫妻と左端はピアノ演奏の片桐えみさん)。「職場人混成合唱団指揮者を経て、神戸男声合唱団に所属。神戸浪漫コンサート、神戸文化ホール音楽祭等に出演」されると共に、「アンサンブル・フェスティバル2010で実行委員会賞受賞。第14回大阪国際音楽コンクールでアマチュア部門シルバーコース第一位受賞」などといったプロフィールを見ると、歌の合間に仕事をされてきたのかもと瞬時疑ってしまいました◆僕とのご縁はご夫人の鏡子さんと大学の同窓仲間の会でお会いしてきたことです。このご夫妻はまた無類の船好きで、自前のヨット(フリースピリット号)を操って余暇を楽しんでいます。奥方を「提督」、旦那様は「艇長」と呼び合われるとのこと。文字通りの〝おしどり夫婦〟なのです。昨秋には揃ってイギリスに3週間ほど旅をされたようです。その旅先で鏡子さんが描かれた風景画を仲間内のグループ展に出されました。その展示会に顔を出した折に今回の催しのお誘いを頂いたのです。このようなセレブ風とまではいかずとも、友人たちには色んな趣味で老後を楽しむ仲間は少なくありません。高校同期の石井道信君は、かねて年の差10才内の先輩、後輩たちとバンドを組んで楽しくやっています。遂に年を重ねて先般、「卒寿、米寿、傘寿」のトリオの巡り合わせになってしまったようですが、未だ元気に年に数回は演奏会(写真右)をやっています。これはまた、賑やかで和やかな集いです◆高校同期と言えば、ユニークなのは成川慎吉君です。かねて取得した学芸員や天気予報士の資格を活用して、県立美術館などで展示作品の説明を担ってきました。先年はある著名な画家の作品が描かれた当時の天候を知りたいと言って、わざわざフランスの日本大使館まで行って調査してきたほどですから、入れ込み様は尋常ではありません。また小学校同期の豊田秀昌君は複数の合唱団に所属して歌う一方、今年10回目となる「異文化交流の集い」(写真左)を主宰したり、毎年恒例の播磨国総社のお祭りのプロデュースをこなしています。さらに変わり種は、大学同期の尾上晴久君でしょう。75歳まで現役第一線で働いていましたから、その後の5年間というものは堰を切ったかのごとくあれこれ取り組んでいます。子供たちと一緒のお絵描きから始まって、古文書研究、英国とスペイン文学講義、最近は能楽のお稽古まで奥方と一緒に謡や仕舞いを始めた(写真右)というのです◆そんな友人たちに比べると、僕などは趣味関連はゼロ。やっているのは議員時代の延長で種々の団体のサポートだけ。議員辞職後の68歳からの10年余りに取り組んできたのは、一般財団法人日本熊森協会の顧問と公益財団法人奥山保全トラストの理事。一社)オール小売連合(AKR共栄会)の顧問と食品衛生に関わるHACCPの委員長。そして専ら原稿を書くだけの一社)安保政策研究会の理事といったところでしょうか。コロナ禍前には一社)瀬戸内海島巡り協会の専務理事として奔走しましたが今や雲散霧消の憂き目に会ってしまいました。これからは、「新しい教育を創る会」やら、ホルミシスの活用による統合医療のお手伝いなどが待っていますが、どうなることやら未知数です。ともあれ、友人たちに比べて生涯学習という観点からは何もしていないに等しいわけで、焦ります。尤も、これは未だ「準現役」なのだと思って、80代からの10年にかけることにしています。(2026-6-20)

 

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2026年6月19日 · 1:22 AM

【96】今のアメリカを読み解く2冊の本を併せ読む/6-15

 アメリカはどこかおかしい。漠然とした疑問が2冊のアメリカ発の本を併せ読んで解けた。一つは、政治制度の腐敗化と取り巻く人間の堕落。もう一つはエリートたちの国家意識の希薄化。2つは一つ。僕の「読後感」を紹介したい。

⚫︎外国の独裁、腐敗政権を顧客に宣伝を請け負い儲けまくる

 1冊目はケイシー・ミシェル『ロビイストに蝕まれるアメリカ』(小金輝彦訳)。著者は、長くアメリカ政治の「泥棒化」を追うジャーナリスト。ロビイストとは、政府や議員ら政策決定者に対して意見や要望を伝えることを職業とする人のことで、米国では建国以来大いなる影響力を行使してきた。この本では、外国代理人登録法(FARA)という法律があるのに、登録制が無視され、世界各国の独裁政権や腐敗政権を顧客にして、カネを儲けることを主眼にやりたい放題の状態が続いていることを徹底的に告発している。

 トランプの大統領初当選以後、その選挙活動にロシアが関わっていた、つまりロシアの応援を得て当選したというニュースは耳にしてきた。しかし、よもやそれはなかろうという生真面目な思いが祟ってほぼ無視してきた。だが、この本の第15章「お前は終わりだ」から、次章「共和制が危険にさらされている」までの記述を読むに至って驚愕する他ない。加えてトランプのみでなく、バイデン以前の多くの大統領たちも無縁ではないと知った。「外国の独裁、腐敗政権の代理人」と化したロビイストたちの、カネ、かね、金の攻勢の前にアメリカ政治の制度も人間も正常さを失ってきたと見ざるを得ないのである。

⚫︎シリコンバレーで広がる企業家とエンジニアたちの意識の落差

 2冊目は、アレクサンダー・C・カープ&ニコラス・W・ザミスカ、村井章子訳『テクノロジカル・リパブリック━━国家、軍事力、テクノロジーの未来』である。著者たちは、アメリカの防衛、情報機関の基盤をAIで構築する今をときめく企業家。これを読むに至ったのは前号で紹介したように思想家の先崎氏のTV番組での勧めによる。300頁を超す(ちなみに前掲書は400頁超え)本だが、めちゃ読み易い。読み終えて「アメリカの今」がすっきりと分かった気になる。同時に題名は「シリコンバレーの落日」にでもすれば良かったのに、と思った。このネーミングには著者たちの狙いと反することを僕が期待していることを意味する。

 この本の主たる意図は第1章「さまようシリコンバレー」に尽きている。僕風に要約すると、GAFAMと略称されるような米国のテック産業は国境を無意味なものにさえするがごとき躍進を遂げたが、今になってその推進役を担ってきたエンジニアたちは、国家への忠誠心を忘れてしまい、市場における消費のみに関心を寄せるように心変わりしてしまった。彼らを呼び覚まさせ、国家、軍事力への貢献あってこその科学技術力だということを再認識させないと、中国やロシアなど敵対国に負けてしまいかねないという危機意識の発露が窺えるのだ。それを打ち消し得てこそシリコンバレーに陽はまた昇ると言っている。こういう実態は初めて知った。

 著者たちは第二次大戦以後大きな戦争はなかったという認識を披瀝する。確かに冷戦からポスト冷戦、新冷戦などと呼ばれるこの80年間の国際政治は「大国間の戦争」を回避してきたと言えるかもしれない。だが、「平和な時代」だったといえるか。朝鮮戦争からベトナム、イラク、ウクライナ、イラン戦争に至るまで地域の名の下に括られる〝悲劇の連続〟〝不幸の連鎖〟だったのだ。「核の時代の終わり」から〝AIの時代の始まり〟へと、呼び名が変わっただけなのだ。

⚫︎〝カネの亡者〟で壊れる権力と〝平和の代償〟で揺らぐアメリカ

 1冊目を読むことでアメリカという国の中枢がカネによって自壊作用を起こしていることを知り、2冊目を読むことによって、かの国を成り立たせてきた科学技術の最前線を構成する人間の意識が〝かりそめの平和〟のもとで、希薄化しつつあることを知った。つまり、円に例えると、中心部と外縁部の双方が同時進行で腐り、弱ってきていることが分かったのである。

 前者の著者は外国の誘惑の手を招き入れるロビイストによってアメリカが壊れていく現状を描き出し、後者では、このままいくと敵対国家群との軍事力競争に負けてしまうと警鐘を乱打しているといえよう。こういった事態を前にして日本はどうするか。よその国のことゆえ我関せずでいいのか。1冊目を読めと勧めてくれた元衆議院議員の先輩は、こんな国と同盟関係をいつまでも続けていくことでいいのかと問いかけてきた。2冊目の推薦者は、日本の自立への決断を暗示させる言葉で前著を締め括っている。

 「黒船来航」で否応なく「近代化」へと目覚めさせられた日本は、「敗戦占領」の80年でどうなったのか。「2つの77年」を超えて三たび目の大きな岐路に日本は立っているのだが、高市首相はその大事この上ない転機に首相の座についた巡り合わせをどう自覚しているのか。心許なきこともまたこの上ないように見える。(2026-6-15)

 

 

 

 

 

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【95】今問われるべきは「真の保守」か?━━先崎彰容『知性の復権』を読んで/6-10

 先崎彰容(せんざきあきなか)━━1975年生まれ、未だ50歳を過ぎたばかりだが、現在の日本を代表する思想家のひとりである。これまでこの人を僕が注目してきたのは著作というよりテレビ出演━━フジのプライムニュース━━が主で、読んだものは『本居宣長』ぐらい。あとは公明党の理論誌『公明』に時たま登場するインタビュー仕立ての時評めいたものだった。そんな僕がつい先頃テレビで彼が薦める『テクノロジカル・リパブリック』を読んでたまげた。最近読んだ読んだ本の中で最も刺激を受けた。ただしそれに触れるのは次回以降に回して、ここでは先崎氏の最近作『知性の復権』を取り上げたい。これはまた滅法惹きつけられた。僕の着眼点はサブタイトルの「真の保守を問う」にある。昨今どこかに消えたように見える「リベラル」や政党の名前に急浮上したもののイマイチ判然と世に捉えられていない「中道」を問うことのほうが緊急を要するように思われるのだが、なぜ保守なのかと◆とはいえ、彼がこの本の最末尾に昨秋の「政治の混乱を眺めながら」書いたことを明かしているように、自民党の圧倒的大勝利に終わった現象を「政治の混乱」と表現しているところに僕は彼の危機意識の在りどころを感じる。この本を読み進めていく上で興味を強く惹いたのは各章の書き出し。現代人の政治意識にまつわるエピソードが面白い。先崎氏の問題意識がどこにあるか、何に関心を持ち思想家として時代の病相を診たてようとしているかがよく分かる。中でも、第5章の政治家から「時代を俯瞰するために必要な勉強」をと、講演を頼まれた時のことは興味深い。「当然のことにやっと気がついたか」の言い回しは、今の〝政治家の出来の悪さ〟を強調するTVでの発言と併せて、彼の自意識の強さを思い知らされる◆彼は今の時代の有り様について、「だれもがどこかに孤独と孤立感を抱えていて」、「わたしの最大の関心事が、わたし自身になっている。高度成長や社会変革といった夢、すなわち大きな物語のない時代が現代なのです」との認識を示している。確かに1960年〜70年代の若者だった僕らの世代などとは全く違う。彼は「資本主義の行き詰まりが行き場のない者たちを生み出し、議会制民主主義の腐敗が政治家への怒りを生み出している」と強調した上で最後に、「世界が流動化し、羅針盤を失い、即応性が求められる時代だからこそ、今、日本人は決断力をもつことによって、精神の自由を取り戻さねばならない」と結論づけている。これが何を意味するか。裏返せば、「現代日本は決断力を持たずに精神の自由を失っている」ということに他ならない。読み手によって受け止め方は異なるだろうが、僕は日本の自立を強調していると読む。それこそが「真の保守」の進む道ではないのかと◆これはひとつの大きな選択肢の提示だと思う。だが、同時に他の選択肢にも目を配りたい。僕が注目するものは2つ。一つは、リベラルに位置する斎藤幸平氏による「新しい社会主義のすすめ」とも呼ぶべき一連の社会変革の呼びかけである。この人は『人新世の資本論』で一世風靡した39歳の気鋭の経済学者だが、まったく新たなコミューン作りの方法などその主張は大いに注目される。NHK が意図的に力を入れている(と見做される)番組には惹きつけられる。もう一つは、宗教的中道の立場を誇る創価学会インターナショナル(SGI)による「世界広宣流布」の動きである。既に全世界192ヵ国に支部組織を持つこの団体の平和への着実な活動こそ現代世界における「大きな物語」に違いない。と、こう書き進めてきて、彼の狙いの延長線上にあるものとして、冒頭で紹介した「国家、軍事力、テクノロジーの未来」というサブタイトルのついた本が浮かび上がってきた。以下次号につづく。(2026-6-10)

 

 

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【94】切り倒される樹木の叫び━━姫路城内の原生林の悲運/6-5

 僕は十数年前に姫路市新在家で切り倒される樹木からの悲鳴を確かに聴いた覚えがあります。耳に届いたというより魂に響いたのでしょう。草木成仏、生きとし生けるものの共生を願う仏教徒だからなのかもしれません。世界文化遺産・姫路城の敷地内に存在する姫山原生林が市当局によって切り倒されていく悲しい現実を以下報告します。

⚫︎姫山の原生林が切り倒される惨事に怒るひとたち

 つい先日、小説家で電器商という二足のわらじを履く諸井学さんから同人誌・『文芸日女道(ぶんげいひめじ)』の最新号(697)が届けられた。読み始めて声を上げるほど驚いた。発行人である森本穫先生(元賢明女子学院短大教授で作家)の手になる人気エッセーの最後に、姫山原生林が切り倒されている無惨な姿が写真と共に書き表されていたからである。同先生の住まいは現場に程近い。原生林はお城の北敷地内にある土塁の上に位置する。森本さんは、かねてここいらのお濠脇に並ぶ桜並木道を散歩され、辺り一体の独特の雰囲気を楽しまれてきたという。しかし、2年ぶりに花見に行かれたこの4月3日に衝撃の惨状が待っていた。同誌には「透明な空ががらんと見えるけれど、鬱蒼として深い趣きをたたえていた一帯が、空虚な、変に明るい、ただの空間に変じてしまっている」だけで、そこは今「墓標のような棒杭が累々と屍をさらしている‥‥」といった嘆きの迸りが続く。僕は写真を見て絶句せざるを得なかった。

 コロナ禍前まで僕が住んでいた姫路での生活には密やかな楽しみがあった。東京では早朝に皇居周辺5キロを走ることを習慣にしていたが、週末は姫路城周辺の約3キロほどを走っていたのだ。とっておきの楽しみはその後にお濠の上の土塁数百メートルほどの原生林の中をひとり歩くことだった。およそ21世紀のいまに、中世を思わせるような鬱蒼とした樹林の中を行くことは殆ど奇跡に思えた。姫路城誕生の往時をも彷彿させるような風情。行き交う人と出会うことも滅多にないぐらいの秘められた場所だった。その場所が「市民にとって危険」だからとの理由だけで市当局が伐採をするという話は恥ずかしながら全く知らなかった。

⚫︎赤穂の大避神社前の海に横たわる原生林の島・生島との類似性

   自然環境の保存と地域の利便性云々といった二律背反的課題は日本全国に数多あり、とくに珍しくはない。だが姫路城敷地内にある原生林が地域住民の生活や観光客に危害を及ぼすといった想定はおよそ思いつかなかった。地元の人も、インバウンドでやってくる外国人たちもお城に上るのに精一杯で、原生林に足を伸ばすことは稀有のことであるに違いない。それをよしとして原生林散歩を密かに楽しんできた森本さんや僕などのような特異な人間だけが怒るだけと市当局は睨んだのかもしれない。つまり、無用の長物なのだから伐採しても影響はないはずと。そこには、この原生林は自然が生み出したかけがえのないもので、切り倒すと消滅してしまうとの視点が決定的に欠落している。世界文化遺産は人間の造った城郭建築だけでなく、自然が育んできた原生林も含むものではないのか。

 実はこの姫山原生林の貴重さに気づき研究を続けていた人がお城のすぐそばの坊主町に住んでいた。旧制姫路中学(現姫路西高)の教師であり、兵庫県博物学会のメンバーだった阿部良平氏(『冬の宿』で著名な作家・阿部知二の父)である。森本さんは名著『阿部知二 原郷への旅』の中で一章を割いてこの原生林にまつわる事情をも事細かに書いている。かつて同書を頂いた僕はその中にある「姫山原始林と生島」と題する阿部良平氏の報告書を改めて読み直して驚いた。姫山原生林と赤穂市の坂越にある生島の原生林がほぼ同じ価値を持つものとしての記述を発見したからである。

 「余は過ぐる大正7年ここに生育し繁茂せる樹木━━草木は除く━━の種類を調査し約四十八種」とした後、内訳を列挙、「その種類の多いのに驚いた」うえで25の科目別に分類したものを書き並べている。そして「これを赤穂郡坂越湾にありて去大正13年に指定(天然記念林)せられた生島の林相に比べて何等遜色を見ないのである」と続けているのだ。

 実はこの春、僕は赤穂の大避神社に横浜からやってきた親友に連れられて訪れ、海を挟んで目の前に横たわる生島を初めてじっくりと見た。その際に神官から生島の原生林の貴重さを様々な角度から聴いたものだった。(当ブログNo.77に掲載)

⚫︎お城本体にだけしか目を向けない姫路市長たち

 前述した同人誌に森本さんは「姫路市当局は、戦後、お城本体だけは大切に保存してきたけれど、お城のまわりに残っていた景観や街並みは、再開発という美名のもと、片っ端から破壊してきた」と書いている。川端康成研究の第一人者であるこの人は同時に「阿部知二」にも打ち込んでこられた。森本さんの我が身を切られたような痛みと悔しさが伝わってくる文章だ。

 慌てて僕は遅ればせながら姫路市関係者、報道機関に聴いてみた。姫山原生林の現状については良いも悪いも殆ど知られていない。直接的には一部樹木が自然倒壊したことぐらいである。地元紙も数年前から「もめごと」としてそれなりに取り扱ってきたようだが、残念ながら既に関心を失いつつあるように窺えた。

 姫路市長はこれまで二代にわたって大学教授経験者が続く。個人的にも親しくお付き合いしてきた前市長は今もなお僕は尊敬している。現市長は医師でもあり、学識的知見で人後に落ちるはずがない。姫路城が持つ重要な構成環境としての原生林についても熟知されているに違いない。それをさしたる緊急を要する事態が起きているわけでもないのになぜ破壊するのか。市民の安全との両立ならいくらでも手立てはあるはず。無謀さにその知性と感性を疑う。改めて「姫路で見るべきものはお城だけ」という聞き慣れた「戯言風フレーズ」がリアルに甦ってきた。(2026-6-5)

 

 

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【93】〝消えゆく運命〟に抗う小売市場━━AKR総会から/5-30

 AKR(全小売市場連合)共栄会の顧問に僕がなってから四半世紀を超える。大型スーパーの進出を前に町の小売市場が苦戦を強いられている状況をなんとかせねばと、前世紀末に当時の専務理事の河田正興さん(故人)が、仕入れと配送と保険を三位一体のものにして組み上げたのはグッドアイデアだった。大衆の側に立つ政治の担い手として政治家になった直後に、毎日新聞大阪本社の幹部だった大学同級の友人から紹介されて彼と会ったのが始まりだった。歳月が流れ、一段と小売市場を取り巻く状況は厳しい。とりわけコロナ禍の奔流に河田さんが早々に飲み込まれて逝ってしまったのが悔やまれる◆今はHaccp(ハサップ=衛生管理)委員会に関わる程度でAKR本体の運営には関わっていない僕だが、毎年の定例総会には来賓として参加して、京都、大阪、兵庫、滋賀の会員(小売店主)や、メーカー、ベンダーの皆さんを前にご挨拶をする。今年は5月26日に開かれた。今回は12星座のうち射手座(11月22日から12月21日生まれ)に関する話題と、堺屋太一氏の遺作『団塊の後━━三度目の日本』を踏まえての今の時代の捉え方を絡めて語るべく準備をした。一言でいえば、「人生は楽観的に強気でいけば道は開かれる」との趣旨だった◆この話の背景には、昭和20年11月26日生まれという僕の出生に関わる逸話が外せない。産声を上げたのは戦後だが、母がその胎内に僕を宿したのは恐らくお正月だったろう。つまり、空襲警報発令の最中に僕の誕生の原因的行為がなされたかもしれない。僕は過去に幾度となく、戦時中に身籠った母と父の楽観的生き様に感心したものだった。しかも僕の星座は、縛られるのが大嫌いな天下御免の自由人である(と言われる)射手座。おまけに血液型は世にいう自己中心的なB型とくる。こういう星のもとに生まれた僕は、戦後の占領期から高度経済成長期を楽観的に強気で生きてきた。という風な話をして、何事もクヨクヨせず悠々と生きることが大事ですよって、勇気づけたつもりである◆更に、話は堺屋さんが前述の著作において近代日本が一度目は明治維新、二度目はアジア太平洋戦争で苦悩の底に沈んだが、三度目はIT競争でまたまた厳しいという見立てに触れた上で、それを回避するために「楽しい日本」の構築を謳っていると運ぶ。この流れは拙著『77年の興亡』とほぼ同じだけに僕の得意球だ。堺屋さんが「流通の無言(=沈黙のレジ)」が平成の時代を通じて日本政府が進めてきた政策の本質だと述べながら警鐘を鳴らしていることを紹介。巨大スーパーと違って、小売市場は「賑やかなレジ」のはずだから、先行きは大丈夫だとの結論にしたつもりだ◆尤もこの日の僕の気分は動揺していた。実は神戸の小売市場の親しい経営者が「近く店を閉めざるを得ない(倒産する)」という話を会場に着くなり打ち明けたのだ。しかも「これから用があるので」と途中で帰ってしまった。予定した話の中身と直前に受けたショックとの落差が我がこころを苛んだ。小売市場への烈風は止まず、抗いは続く。(2026-5-30)

 

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【92】卓球をするパーキンソン病患者/5-25

 パーキンソン病を患った昔の仲間が見事に復活した。それをFMラジオで2週(16、23日)にわたり聴いた直後の24日に、今度はNHK綜合テレビで歌手の美川憲一さんの闘病中の姿を観た。関心が重なった。そういえばあの人も、それからこの人も、と。周りに患者さんは少なくない。日本では30万人近くもいるとのことだが、実際はその3倍くらいだとも。僕の議員時代の後輩・山田哲郎さんは、4期にわたって神戸市議を務めたが、50歳代後半から原因がよくわからぬまま身体の不調を感じるようになった。あらゆる医療機関に行っても分からない状態が続いたという。数年間の苦闘の末に、ようやくパーキンソン病と判明、見えなかった敵が姿を現した。死闘が始まった◆この病は、人間の脳からの指示系統に支障をきたす難病とされ、今は確実に治す方途がないとのこと。症状的には手指が震えたり足がうまく動かないなど、動作や歩行困難をきたすことが一般的な兆候とされる。人によって様々な障害を伴うが、進行を抑えることは十分可能だ。前述の山田さんは闘病生活15年ほどの中で、運動が効果的だと自覚した。ボクシングやら卓球をやってきたというからなんともはや凄い。発症していない頃の彼を知る身からすると、パワフルな生き方が目立っただけにやり過ぎを心配する◆闘病生活の中での思いを聞いたのは、FMkiss神戸の「ひまわりラジオ」による。聞き手は参議院議員の伊藤孝江さん。かねてこの番組を注目していたが聴くのは初めて。卓球は効果的だろうとは素人考えでもわかる気がするが、ボクシングは何かの間違いではと思った。その上、これからアメフトに挑戦するというのだから。ともあれ、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしと、常識的に考えてしまう僕なんかは邪推する。だが、彼は病になって後ろ向きどころか一段と挑戦姿勢が強くなったようだ。病の実態を知ってもらい、国の様々な支援を引き出そうと国会陳情にも余念がない。市議当時のパイプを十二分に生かして縦横無尽の活躍は頼もしい限りである◆一方、パーキンソン病の宣告を受けて、何事をするにも差し障りを感じて、身体を動かすのに億劫になりがちの人もいる。テレビでのインタビューを受けていた美川さんは僕と同じ80歳。子供の時からの母親の助言「しぶとく生きる」を座右の銘に日々ストレッチに励む。放映では同病の人たちに諦めずに闘病に取り組むようメッセージを伝えていた。また山田さんの周囲の人の思いやりが大事との発信も印象深かった。高齢社会に生きる我々には容赦なく様々な不都合が押し寄せてくる。かくいう僕も先日身体の不都合部分を書き出したところ、十指に余った。我ながら呆れる。心臓、脳というエンジン部分は大丈夫だとの身勝手な自信はあるものの、手足から皮膚、眼歯など細部は心許ない。日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経は獅子吼のごとし、いかなる病障りをなすべきや」(経王殿御返事)との御書の一節を身口意に刻み、強気でいくしかないと心に誓っている。(2026-5-25)

 

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【91】3ヶ月経った新党「中道」という「政治的実験」/5-20

 立憲民主党の東京都連会長を選ぶ選挙で参議院議員の蓮舫氏が川名雄児・武蔵野市議に負けた。これまで気にしたこともない他党の組織の内部事情が気がかりになってきた。中道の塊を作ろうとの掛け声の中で、兎にも角にも「この指止まれ」に呼応した唯一の集団と言ってもいい存在が立憲民主党だから無理もない。特に蓮舫氏はあの衆院選の際に僕が参加した明石での政談演説会に応援弁士として来た人物である。僕は彼女の生の演説を初めて聞いたのだった◆新党『中道』が誕生して約3ヶ月。県下の議員OBたちの代表が集まる場に、兵庫県公明党の中核だった中野洋昌氏を呼んで最近事情を聴くことにした。彼は現在「中道」の幹事長代行。落選した立憲民主党の前衆院議員たちのヒアリングも担当しているという。細部は分からぬものの苦労ぶりはしのばれた。こちらが事前に投げた聞きたい要点は①大惨敗の戦後処理②旧公明、立憲民主両党間の政策調整③合流問題の進捗状況などだった◆僕の最大の疑問は総選挙で比例区のみに絞った公明党が解散時の24議席から28議席へと4増したことだった。立憲民主党が小選挙区で167議席から49議席への大惨敗と比較すると大いなる違和感が込み上げてきたからだ。これは既に各種報道で判明しているように、両党幹部の間でそれぞれの「棲み分け戦略」上の合意済みのことだったことが改めて確認された。つまり、両党は共に小選挙区と比例区のそれぞれで「勝てる」と皮算用をしていたに過ぎないと言うのが結論だ◆この4分の1世紀というもの主に政権与党として戦って来た公明党と、ほぼ野党として生きて来た立憲民主党とでは、政党の立ち位置が真反対で、「思考の出発点」が違うという。片や政府自民党の批判・追及一辺倒、もう一方は「責任を持って政策を実現する」ことに専念してきたのだから、と。ここいらはついこの間まで国交大臣をしてきた中野氏が最も感ずるところだろう。だが、それは小選挙区制度のもとでは当たり前のことであり、約3年とはいえ立憲民主党は政府を経験し、公明党は野党で苦労したはず。早急に今の立ち位置に慣れ親しむしかない。例えば長妻昭元厚労相の舌鋒鋭い追及ぶりは健在なのだから公明党若手が見倣うべきところは多いはず◆参院、地方議会との合流問題も前途多難はよく分かるが、ここはじっくりお互いを分かりあう努力が大事だと思われる。公明党の議員はそれぞれ創価学会の座談会で日蓮仏法を学び、庶民大衆の暮らしぶりを肌で知ってきた。立憲民主党の議員も経験をして貰うといい。また逆の場合も同様だろう。公明党出身の議員も組合活動の一端やリベラルのものの考え方を培う現場にも足を運んでいくといい。ともあれ、大いなる「政治的実験」を両党は選択した。色々あっても前進するしかないというのが僕の今の結論である。(2026-5-20)

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【90】自民党がめざす「改憲」の論点━━「女性部」との憲法懇談から(下)/5-15

⚫︎自民党の改憲目標4項目について

 自民党が今目標にしている憲法改正テーマは次の4つ。一つは自衛隊の位置付けを明記すること。二つは緊急事態の際の対応について。三つは参議院の合区を解消すること。四つは教育への取り組みの強化である。一つ目については前回述べたように故安倍晋三首相と太田昭宏元公明党代表との間での合意が前提としてある。ただし、その後山口那津男代表になって公明党は9条加憲には慎重な姿勢になっている。(写真は党兵庫県本部女性部との勉強会)

 安倍氏は、そのあたりのことを先の回顧録で、「(山口さんが)私の前では自分の意見を言わず、いつも私の話を聞いた後、『うちの組織は難しいですね』みたいな話をする」とぼやき気味だ。と共に、改憲が「そんなに簡単でない」ことを吐露している。現実には自衛隊明記をめぐって、与党内では維新がそれだけでは不満で、軍隊としての役割まで書き込もうとする一方、自民党内には当初の公明党提案と同様に自衛隊の存在に触れるだけでいいとする意見も強い。

 二つ目については、衆議院憲法審査会での議論はかなり熟しているように見られるが、その実、最終合意は難しい。「大災害の時代」の到来で、衆院選の狭間などに緊急事態に追い込まれた際にどう対応するかで、議員任期の延長論などが台頭している。しかし、今の憲法の54条の参議院の緊急集会で事足りるとの主張も根強い。

 三つ目は参議院の選挙区割りの問題。公選法の改正で鳥取、島根両県と、徳島、高知の2つの県を合区にした。それを一転、「憲法」の土俵で議論するのはなぜか。一票の格差拡大をめぐる違憲訴訟の問題が絡むからだ。参院サイドでは「一県一議席」のこだわりから、合区には不満が強い。(尤も、この議論は道州制導入の観点からすると瑣末な議論に思われる)

 四つ目の「教育」については、国際的な水準における日本の地位の低下という深刻な問題が影を落とす。元々、日本には二組み二層の対立軸がある。一つは、知識詰め込み教育とゆとり教育の二項対立。もう一つは、戦前の垂直思考的教育と戦後民主主義の水平思考的教育の伝統的対立である。重要な論点だが、自民党的には曖昧な決着になると推測する。

⚫︎与野党の変化と共に揺らぐ「平和主義」

  国会における各政党の憲法についての対応姿勢は、長く自民党、維新の「改憲」、公明党の「加憲」、民主党の「論憲」、社民党、共産党の「護憲」などといった政党ごとのグループ分けがなされてきた。さらに今、多党化された状況下にあって、9条「改憲」には参政党、保守党、国民民主党が加わり、中道は「加憲」、公明党と立憲民主党が「護憲」に回るという風に入り乱れている。

 そんな状況下で、これまで自民党の改憲姿勢へのストッパー的役割を担ってきた公明党の野党への変化の持つ意味が大きい。10年余前の「安保法制」制定時には玉虫色決着とはいえ、集団的自衛権導入に歯止めをかけた。これは、憲法解釈の変更による実質的「改憲」に匹敵するとの評価もある。一方、与党入りした維新の積極的な軍備拡大の方向性はアクセル機能が目立つばかりだ。

 加えて、先の「武器輸出」を可とする国策転換により、非核三原則の危機的状況と相まって、日本の平和主義は危うい局面に立ち至っている。与党に公明党ありせば、見られなかった風景のはず。

⚫︎高市首相の「本領発揮」に、今こそ公明党の出番

 高市早苗首相は、明年には憲法改正の国民投票に向けて「発議」に持ち込めるように党内に指示をしたという。しかし、衆参両院議員の3分の2以上の賛成を得た上で、過半数の国民投票の賛成を得るという条件をクリアすることは到底難しい。

 同首相の国論を二分する議論をしようという姿勢そのものは評価に値する。これまでの自公連立時代に私は国家論や、安全保障や社会保障、消費税といった国家運営上の基本的な課題で国民的大論争を起こそうと呼びかけた。公明党は小さな声を聞くことに熱心でも、大きなテーマで議論することには躊躇してきたかに見えたからだ。与党内での亀裂を恐れたのだろうが、結局は日本の針路決定を遅らせ、足踏みするだけだったかに思われる。

 日本の選択は、これからも日米同盟を今まで以上に強固な基軸とする方針で行くのか、それとも欧州やASEAN各国などアジアとの協調に路線を変えるのかなど、重要な分岐点に直面している。その時に、状況対応でしかない軍事的拡大に専心するだけでは心もとない限りである。

 公明党はこれまで60年間、大衆重視、人間主義の旗のもと、「人間の安全保障」に力を込めた平和路線をリードしてきた。国際社会において超大国が相次ぎ国際法を無視する体たらくに陥った今こそ、大きな「物語」を掲げて、その独自性を発揮すべきである。新党「中道」を軸に、立憲民主党との間での三党の議論を重ねて、超大国に翻弄されることのない新たな方向性を打ち出す時である。(2026-5-15)

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【89】「改憲」と「護憲」の〝閉塞状況〟を破る「加憲」━━「女性部」との憲法懇談から(上)/5-10

 先頃の憲法記念日を前に、公明党兵庫県本部の議員OG(女性部)の皆さんから今の憲法をめぐる状況をかいつまんで話して欲しいとの依頼を受けた。明後5月12日にその機会はやってくるが、その前に以下、上下2回に分けて、かつて公明党憲法調査会座長を務めた僕の「体験談風憲法論」のさわりを述べてみたい。まず(上)では中曽根康弘、土井たか子、塩野七生、安倍晋三といった4人の「巨人」たちとの思い出話から始める。ついで、(下)では現時点での「憲法事情」に触れる。

⚫︎中曽根康弘さんとの思い出

 今80歳を生きている僕にとってこれまで出会ってきた政治家の中から最も印象深い人物を挙げろと言われたら、中曽根康弘元首相になろうか。ただし引退後の彼である。〝青年将校風〟剥き出しのギラついた若かりし頃ではなく、85歳で衆議院議員を引退される前後の、枯れた頃の中曽根さんだ。あらゆる意味で貫禄があった。

 現役時代の中曽根さんとは、僕が秘書をした市川雄一元公明党書記長との委員会での教育論議などを拝聴し感想を述べことがある。市川さんを「彼は勉強家だね」と褒められたのが記憶に残る。また、引退前後の憲法に関する会合で幾度かお会いする機会があったことを懐かしく思い出す。

 ある会合で、僕が党を代表して話す機会があった時のことだ。公明党も「護憲」でずっときましたが、最近は脱皮しましたと切り出した。時代が変化する中で、今の憲法が誕生した頃には想定されていなかった「環境権」や「プライバシー権」などといったとり残された課題があり、それを書き加えるべきだという意見が台頭していると続けた。

 そして、「これは加憲という立場です。かけんと、かいけん(改憲)は一字違い。もうあと一歩まで来ました」とやった。その時中曽根さんはじめ居並ぶ自民党の連中はずっこけ気味に大笑いしたことを覚えている。冗談めかした発言だが当たらずといえども遠からず、護憲と改憲の深い溝を埋める知恵の一歩だと当時の僕は自負したものである。

⚫︎土井たか子さん、塩野七生さんとの語らいから

 一方、「護憲」の象徴的存在だった元日本社会党委員長の土井たか子さんとはこんな会話をした。ある日の憲法調査会が終わったあとの衆議院別館の出口でのこと。僕は「憲法は不磨大典のものではないでしょう?時代の変化に対応して新しい権利を加えることが必要です。そう思いませんか?」と挑んだ。これに対して土井さんは、「あなた方はそんなこと言ってるけど、本音は9条改正でしょ。見え見えだわ。そんなことは許しません」と、きっぱり。

 当時の僕は国民主権、基本的人権、恒久平和の憲法3原理には触らないで、今に生きる日本人が自らの手で憲法を定めるために見直す作業が必要であると確信していた。そのためには改憲、護憲で左右が一歩も譲らぬ対立姿勢であり続けることは不毛以外の何ものでもないと思っていた。あらゆる手を尽くして憲法改革の道を探ろうと考えた。そんな僕にとって「ダメなものはダメ」との土井さんの態度は「孤高の人」というより、「石頭の御仁」に思われた。

 また、名著『ローマ人の物語』全15巻で一世風靡した作家・塩野七生さんとはローマで会った。衆院憲法調査会の欧州調査団の一員として21世紀初頭にかの地を訪れた時のことだ。塩野さんは開口一番、日本の政治家の皆さんが日本の憲法について調査研究するためにわざわざイタリアにまでやって来られて、日本人の私に会おうっていうのだから‥‥と、口ごもられた。その後どう続いたかは定かでない。皮肉めいた言い振りゆえ言わずもがなってことだったろう。ともあれ、あの時塩野さんは、憲法改正の手続きが現行の規定ではあまりにハードルが高過ぎると言って、まず憲法96条の「改正」条項を改めるべきだと強調されたものだった。

⚫︎安倍晋三さんとのやりとりへ

 公明党は1999年末に憲法調査会を発足、太田昭宏会長の元で党内議論を活発に行なっていった。憲法制定当時には想定されてなかった権利を加えることを提唱しようとの考え方が強かった。それは左右両勢力がツノ突き合わす事態を打開するのが第三の勢力として当然の役割だとの自覚からである。3年後の2002年秋過ぎには「環境権」が具体的な対象として浮上した。

 やがて9条についても自衛隊の存在を加えて明文化することがあっていいとの考えを、当時外交安保調査会長を兼ねていた僕は議論俎上にあげた。かねて自衛隊の幹部候補生たちとの懇談の場で、違憲の存在のまま置き去りにされていることへの強い不満を突きつけられたことが心の底にわだかまっていたからだ。2006年9月に党代表になった太田氏も9条2項に新たに付け加えることに乗り気だった。僕ら2人の考えは完全に一致した。

 この発想は太田氏から自民党総裁である安倍晋三氏に伝えられた。安倍氏には渡りに舟だったに違いない。案の定、〝くいついて〟きた。その辺りの呼吸については彼の回顧録に詳らかだ。「公明党を説得できない限り、憲法改正は前に進みません。太田昭宏前代表は理解があって、例えば自衛隊明記についても、戦力不保持などを定めた9条2項を維持するのであれば問題はないという考えでした」と書いている。(2026-5-10  下につづく)

 

 

 

 

 

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