Author Archives: ad-akamatsu

【110】「武士道」から「人道」へ、「死」より「生」を━━価値観の転換の大事さ/8-20

 

 この夏も「戦後81年」をめぐる様々な企画がメディア上で賑わっている。そのうちテレビの映像を通じて僕が観入ったものは数多い。なかでもNHK『映像の世紀』〜8K映像で描く第二次世界大戦〜は4回にわたって、日独両国と米ソ仏英など連合国との戦いを交互に対比しつつ追ったもので、毎回息をのみつつ観てしまった。最終回の『地獄』はタイトル通りの凄まじいまでの切ない映像の連続であった。とりわけレイテ沖海戦での過酷さは「我々から文明の仮面を剥ぎ取り全員を野蛮人に変えた」と米海兵隊員が回想していたように、人間同士の争いとはいえぬ酷いものだった。今年も例年の決まりのごとく、あれこれと専らNHKTVを(ビデオに収録し)観まくった。戦争への嫌悪感を改めて強く感じた人は少なくなかったに違いない◆このうち「こころの時代」の『われ過(あやま)てり 生きろ』は異色の内容を持ったもので、ある種の救いを感じた。劇作家で精神科医の胡桃澤伸さんのひとり芝居「鴨居に朝を刻む」で始まる映像だったが、戦争の被害と加害をどう受け継ぎ、どう伝えるのかというテーマを、皆んなで一緒に考えようとする意欲的な中身だった。伸さんの祖父・盛氏が村長をしていた長野県の河野村から満州開拓に73人が出向き分村を作る。だが、戦争終結と共に、現地住民の攻撃を受ける事態になり、「集団自決」という選択を取った。やがてその事実を知った村長は自分が皆を追い込んだことに自責の念に駆られ、一年後に自宅の鴨居で首を吊り自殺をしてしまう◆そのことをずっと知らされず気付かずに生きてきた孫の伸さんがその足跡を知ってから動く。その経緯の中で精神科医で作家の中井久夫氏や詩人の金時鐘氏との出会いがあり、伸さんはこころのひだの深い人間に育つ影響を受けていく。この問題の本質は、戦前の日本政府が中国大陸奥深くにまで植民地を作ろうとした国策と、それに追従した地方自治体の長の後悔と責任感である。祖父の日誌をもとにその軌跡を探る中で、死なずに生きる選択もあったのではないかと葛藤する。「生きること」への真摯な姿勢が観るものの胸をうたずにおかなかった。「満蒙開拓」をめぐっては、昨今殆ど論じられることもないが、先年テレビで教え子から満州に渡るべきかどうかの相談を受けた結果、行ってこいと背中を押した、学校の教師が登場していた。その時の笑顔が妙に気になった。苦渋に満ちた顔をして欲しかったと思ったものだ◆また、同スペシャル『白い旗 水木しげると硫黄島』は、戦時に死なずに捕虜になることの意味を問うものだった。生きて囚われの身となることを恥とし、玉砕を選ぶことでいいのかの問題を突きつける内容だとも思えた。実はこのテーマは「武士道とは死ぬことと見つけたり」といった戦国時代から江戸期日本に定着した考え方の延長線上にあり、旧日本帝国軍人の精神の骨格を形成するものとなった。この「死の美学」ともいうべき生命軽視の歪んだ向き合い方こそ、近代日本における異形な思想として根付いたものといえよう。特攻隊にせよ、沖縄での民間人の集団自決にせよ、余りにも生命を粗末にした場面を思うにつけても、「武士道」を説いた『葉隠』(山本常朝)の罪深さを思わざるを得ない。僕はむしろ「人道とは生き抜くことと見いだしたり」が大切だと痛感する。このフレーズをこれからの日本に定着させたいと心底から思う。(2026-8-20)

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2026年8月19日 · 2:48 PM

【109】「8-15」の後も対日戦をやめなかった国はどこか?/8-15

 81年前の今日8月15日。日本は長い戦争を敗北してしまった。ほとんどの普通の国民はこれで戦争は終わったと思い込んだ。昭和天皇がポツダム宣言受け入れを国民にラジオを通じて表明(8-15 玉音放送)されたのを聞いたのだから、当然だろう。しかし、戦争(局地戦闘と呼ぶべきか)は終わらず、ある意味で15日を境に、いやまして残酷なものに変わって続いた。それは別の意図を持った国による新たな戦争の継続だった。日本史を伝えるものの本には「その後も南樺太や満州ではソ連軍の侵攻が続き、犠牲者が出た。そして、9月2日の降伏文書調印により、戦争は終結した」とある。8-15に至る土壇場の経緯については旧ソ連は8-9の対日参戦から、遅ればせながら取れるものは根こそぎ頂こうと思ったのか。これを人は「火事場泥棒」と呼ぶのだろうが、「日露戦争の意趣返し」とでもいいたくなる◆「南樺太や満州でのソ連軍の侵攻」との表現は、ソ連軍のみによる攻撃と思ってしまう。だが、ソ連参戦の翌日8-10にモンゴル人民共和国(旧モンゴル)は日本に宣戦布告しているのだ。具体的な動きは定かではないが、ソ連軍と旧モンゴル軍の連合軍が満州方面では常態だったと見られる。実はこの問題については、既に書評やイベント報告などで僕は幾度か取り上げてきた。ジャーナリストの井手裕彦氏の『モンゴル抑留』に詳しい。外務省、厚生労働省など日本政府には、その実態を知りながらも究極のところは曖昧にしてきたと言わざるを得ない経緯がある。煎じ詰めれば、日本が旧モンゴルという存在を国家承認してこなかったことに原因があり、社会主義大国・ソ連のもとで第一号の衛星国になった旧モンゴルの影が極めて薄かったことが災いをした。今回井手氏の指摘があって初めて日本は旧モンゴルとも戦争をしたんだとの認識を持った人も少なくないだろう◆かくいう僕も井手氏の存在や主張を知ったのは最近になってからだが、著作を貪り読む中で多くの知識を得た。色々初めて知ったことばかりだが、最も印象的だったのは、山海関という旧満州の街で暮らしていた民間人(華北車輛社員)家族が「(領事館からの避難命令で父と)別れたのはソ連・モンゴル軍が侵攻してきた『運命の日』、1945年8月31日である」との記述(同書102頁)である。これは、井手氏が2019年11月に初めて会った民間人の死亡者の遺族(当時84歳の娘さん)から聴いた話の一部だという。ソ連・モンゴル軍が満州に侵攻してきたのが、終戦から16日も経っていたことにも驚いたが、民間人家族(母親と子供5人)が「無差別に拉致された」父親と最後の別れをした時と、その後の一部始終や民間人死亡者の遺族の心の底からの国への恨みの言葉など、いずれも強い共感を覚えずにはおかなかった◆日本がモンゴル人民共和国を国家として承認したのは1972年2月19日。事実上は1961年に国連に同国が加盟した時に関係は動き出したといえようが、日本と彼の国は疎遠な関係が続いた。全てはソ連経由だったと見られる。「抑留」についても、旧ソ連と旧モンゴルの間では、日本人の捕虜を分け合うとの「密約」があり、それに応じて全てが決められた。また、日本とモンゴル人民共和国との間には1939年に起きた「ハルハ河戦争(いわゆるノモンハン事件)」の後遺症的遺恨が双方に強く残り、わだかまりがあり続けた。モンゴル人民共和国は、1924年にソ連傘下の国として誕生していらい、「ソ連崩壊」を受けて「モンゴル国」と衣替え(1992年)、民主化したものの強固な露蒙関係に変わりはない。こうした背景もあって、日本は70年近くというもの、旧モンゴルを基本的には無視する傾向が強かったと言って過言ではない◆ようやく両国の関係に光が差し始めたのは1991年8月の海部俊樹首相の初訪問以来といわれ、未だ30年余に過ぎないのだ。しかも経済的関係重視の中での〝歪んだ歩み〟である。「抑留」にまつわる問題処理も遅れ続け、まっとうな外交関係樹立も棚上げ、後回しだったことは想像に難くない。「友好第一」はそれなりに効果をあげてはいるものの、基本はやはりご都合主義というべきだろう。先日の大阪でのイベント(『モンゴル抑留』出版記念講演会)の場で、井手裕彦氏から突きつけられた日本の対応改善について、僕の方から善処を約束したように、全てはこれからだというほかない。つまり、隠されていた「戦後処理」が新たに顕在化しただけかもしれないのだ。(2026-8-15)

 

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【108】80年経った被爆地の変貌明かす━━飯田政之『広島を伝える』を読み込む/8-10

 「非核三原則」なるものをあなたは知っていますよね。では、「新非核三原則」は?「持たず」「作らず」「持ち込ませず」━━今の三原則に代わって「持たせず」「作らせず」「使わせず」(核実験も含め)という新たな原則を打ち立てるべきだと公明党が世に問うたのは1998年。これは被爆国が掲げる原則にしては現行の三原則があまりにも当たり前過ぎる、むしろ核保有国をもっと縛る原則に変えるべきではないのかと、当時公明党の外交安保部会長だった僕が着想し、提案したものだった。あれから28年。高市早苗首相周辺から核保有の動きがほのうかがえ、首相自身も原則を堅持していると現状を表明するだけで、近未来の有り様については触れようとしない。つまり核は持たないと明言しない。僕が新原則を表明した際に、産経新聞だけが注目し、インタビューを受けた。核保有の選択肢を閉ざすべきでないとの主張を持つメデイアとしては公明党の理想主義的頑なさが気になったのだろう。だが今日の状況を見ると、公明党の先見性が伺えるといえないか。28年前に殆ど注目されなかった「持たず」の三原則を、「持たせず」の原則と強化すべきだとの新三原則への転換。歴史の流れに幻と消えたかに見えるのは、少し考え過ぎたからなのかも知れない◆今年の広島への原爆投下から81年となる「平和記念式典」をテレビで見たあと、5月に贈って戴いていた飯田政之『広島を伝える』を改めて読み直した。飯田氏は読売新聞時代に公明党番記者として活躍。僕とは党広報局長時代に付き合った仲だが、今も時々会う親しい友人だ。この本はサブタイトルに「メディア人として思うこと」とあるように、「伝える」をキーワードに①音楽②文化③ファクト④被曝の記憶⑤ローカルテレビの現在地という5つのテーマをもとに事細かに描いている。④については、「継承と表現」、「闘う被爆者と国際政治」の2つに章立てを分けており、5テーマ6章の構成になっている。ふんだんに写真、コラムが使われており、情報量がめちゃ多い。これじゃあ字が小さくて読み辛いよと、つい先日会った際にこぼしてしまった。「広島」を考える上での基礎資料が見事に提供されている。我が大学同期の60年来の畏友・福島和宏(元広島市議)も「自分の現役時代に取り組んだことも盛り込まれており、自分ごとのように読めた」と褒める◆この本の中で僕が注目したのは「被曝の記憶」をどう伝えるかに分類された2つの章だ。第4章では、ピアノ、折り鶴、原爆ドーム、歌、絵、漫画、ドキュメンタリーという7つの「継承と表現のかたち」が読むものを惹きつけた。第5章は、一転、被爆者と国際政治の動きを追う。国会の場で外交や安全保障に長く関わってきた僕としては、「埋まらない理想と現実の溝」に大きな溜息をつくしかない。僕がこの本を読み進めていく上で惹きつけられたのは、30個のコラムである。ここには彼のこれまでの人生の思い出が散りばめられており、自伝をアルバム付きで読むような趣があり実に楽しい。例えば④では東大駒場キャンパスでの音楽部の公開練習で偶々聴いたブラームスの交響曲第一番が自身の人生を変えた話が出てくるし、⑩では中学・高校生時代以来遠ざかっていた剣道に50歳過ぎてから取材先の縁で再び挑戦し、今や7段に挑戦しようという姿が描かれている。新聞記者をしながらバイオリンと竹刀を離さなかった〝音武両道〟の使い手の心象風景が分かって実に面白かった。加えて、言葉の重みについて広島カープの新井貴浩監督の「は」と「が」についての使い分けのエピソードや、日本テレビの藤井貴彦元キャスターの「言葉の筋トレ」での、毎日続ける5行日記の修練なども紹介され、とっても興味深い◆コラムを読み進めるうちに、同じ「被団協」のことを扱っているものが2つあるのに気がついた。No24の見出しは「広島の被団協は一つになれないのか」。No27の方は「世界がヒバクシャに向き合った理由━━被団協へのノーベル平和賞」。この組織体が一つになれない理由は、左翼勢力の党派的争いという古い日本政治の宿痾を反映したものである。僕もかねて広島のこの組織だけでも一つになればいいのにと思い続けてきた。そんなことを乗り越えて2年前にノーベル平和賞を被団協が受賞し得たのは、「『過去の記憶』を伝えるだけではなく、国際社会に挑み続ける営み(覚悟)」が原動力だったに違いない。組織ではなくヒバクシャそのものに世界中が向き合ったことを意味する。見出しのカタカナ表現の使い分けがニクイ。この受賞をきっかけに統合が実現していたら日本のリベラルも少しは見直されたかもしれない。2つのコラムを読み比べつつ、文章まで一本化できないものかと、つい余計なことを考え過ぎてしまった。(一部修正 2026-8-10)

 

 

 

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【107】こぼれ話あれこれ━━井手裕彦『モンゴル抑留』出版記念講演会から(下)/8-5

1日の出版記念講演会での僕の持ち時間は20分。話せなかったこと、喋っても上下2回に挿入できなかったことなどが少々あります。これらを「こぼれ話」としてまとめる一方、最後に井手裕彦さんがモンゴル抑留による「死亡記録配達人」として僕の住む西明石の隣町をほぼ一日かけて遺族関係者宅を探し歩かれた部分を、番外版として報告します。

⚫︎源義経伝説と大相撲の話題

モンゴルといえば、僕らの世代で関心が高いのはなんと言っても、「蒙古襲来」です。とりわけ日蓮仏法を信奉してきた僕にとって、文永、弘安と2度にわたる蒙古の攻撃に対応された日蓮大聖人のことは忘れられません。ですが、個人的には、「ジンギスカン(成吉思汗)は義経なり」との伝説です。井手さんの本の60頁に出てきます。

「余談だが、シーボルトが唱えて以来、日本では隠れた人気がある「源義経=チンギス・ハーン説のことを話題にすると、モンゴルの人たちはこう言って顔をしかめた。『日本人はそんな荒唐無稽なことを信じているのですか』」というものです。僕なんかは作家の高木彬光さんの『成吉思汗の秘密』っていう本に取り憑かれました。義経が兄頼朝に追われて陸奥から北海道を経て大陸に渡って云々という伝説らしき話の果てにチンギスハーン(成吉思汗)になって活躍したなどという物語は、血湧き肉躍るものとして今も厳然と我が胸に宿っているのです。

さらに、モンゴル人で僕が最も付き合った人がひとりだけいます。大相撲で横綱になった鶴竜関です。彼とは僕の地元・姫路の建設会社の社長とのご縁で、毎年春場所で大阪にやって来るたびに、後援会員の皆さんと一緒にひと夜姫路での懇親会に招かれました。同じテーブルを囲んだ仲であれこれ話かけましたが、殆ど話は続かない寡黙なひとでしたが、クレバーな男の印象はありました。今は大関霧島の所属する音羽山部屋の親方として活躍中です。

⚫︎『77年の興亡』と石破茂前首相

僕は明治維新以来の日本の160年ほどの歴史を顧みる時に「77年の興亡」との視点が重要であると思い、同名の著作にも書いてきました。今回の講演会を主催した一般社団法人『未来を創る新教育推進会』は、個人的にはリカレント教育、社会全体的には歴史の学び直しを目指すものと位置付けられます。井手さんは、日本の歴史におけるモンゴルという国との関係見直しと教科書の書き直しを政府に求めていますが、そういう重要なものを取り上げさせていただくことはとても誇らしいことです。

明治維新の年(1868年)から日本の敗戦(1945年)までの77年間が第1期。1945年から「デジタル敗戦」ともいえる2022年頃までの77年間を第2期として、只今現在は2099年までの第3期に入っているとの歴史の捉え方ができます。今日の井手さんの指摘はこれからの第3期で取り組まれるべき重要なテーマです。問題は第1期のゴールである敗戦に伴う「戦後処理」が未完だという点です。第2期はそれを置き去りにしたまま経済成長一本で奔走してきたものの、後半は「失われた時代」の烙印が押されざるを得ません。第1期の決着さえつけられない中、今再びの敗戦に見舞われているということです。それをどうするか。井手さんの問題提起を突破口に事態を打開するしかないと申し上げて、今日のご挨拶とさせていただきます。

なお、蛇足ですが、私はこの団体のトップに長年の友人である石破茂前首相を招きたいと考えました。リカレント教育という歴史と個人の学び直しに相応しい人物だと思ったからです。ところが僕の依頼に「ん?僕はまだ現役なんだよ」とおっしゃって、あっさり断られました。近い将来の「首相再登板」を狙っておられるのでしょう。なら、尚更学び直しが重要なはずですが、残念でした。

🔳番外編━━西明石に「死亡記録配達人」として登場

大阪でのイベントの翌2日井手さんは岡山へ、モンゴル抑留で亡くなった人のお墓参りに行ったあと、3日には、私の住む西明石の隣り町である大久保町や小久保町にやってきました。明石に死亡記録を配達しに行く予定であることを漏れ聞いた僕はぜひ同行させて欲しいと申し出ました。

しかし、それは訪問先の相手を萎縮させることに繋がる恐れもあるので、辞退しますとのこと。より詳しく聞くと、今回の配達にはぜひ報道させて欲しいとの某TV局の取材依頼があり、その記者が同行する予定なので、赤松が行くと3人になるため、避けたいということでした。このため僕は彼が訪問先の地図をコピーするべく立ち寄る市立明石図書館に行き、手伝いを申し出る(写真上 後ろ姿はコピーする井手さんと記者さん)ことにしました。

最終的に同日夕刻、目的の遺族の方の大姪に当たる人に会えたとの嬉しい報告を聴き、拙宅にて休まれることを提案。午前11時過ぎから午後4時過ぎ頃まで5時間に及ぶ炎天下の労作業についての懇談はまことに尊いものではありました。(この項終わり 2026-8-5)

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【106】日本政府の「怠慢」を暴く━━『モンゴル抑留』出版記念講演会から(中)/8-3

井手裕彦氏の『モンゴル抑留』の出版を記念する講演会を主催した一般社団法人『未来を創る新教育推進会』の理事(副会長)を務める僕は当日講評を行うと共に、同社団の目指す理念を紹介しました。前号に続き、その際の発言を基本に追加修正したものを含めて公開します。(写真上は井手さんを囲む参加者代表。下は77年の興亡とイメージ)

⚫︎友好第一でもなく軍国主義批判でもなく、日本政府の怠慢を突く

モンゴルについて書かれた本で次に有名なのは、半藤一利さんの『ノモンハンの夏』です。半藤さんといえば夏目漱石のお孫さんと結ばれた方ですが、その娘婿が僕の親しい友人である北村経夫元産経新聞政治部長(現在参議院議員)です。この人に頼みこんで僕は20数年前に半藤さんに会ったことが忘れられません。会うなり「貴方はくだらない本を随分読んでる人ですね〜」と呆れられたからです。

事前に『忙中本あり』という2年間に300冊ほど読んだ本の読書録をまとめたものを渡していました。そんなこと言われたものでムッとした私は「政治家を知るための資産公開がありますが、それより政治家はどんな本をどう読んだかを公開した方がいいんじゃないですか?」と切り返しました。「うん。それはいいかも」との答えにホッとしたものです。

それはともかく半藤さんはご自分の本で、それまで司馬さんさえ書かなかった「ノモンハン事件」(モンゴルでは「ハルハ河戦争」と呼ばれています)について徹底的に詳しく書いていますが、やりきれないほど重苦しい本です。僕は先の司馬さんの本がモンゴルにとても優しいまなざしで貫かれた友好第一の本だとすると、半藤さんの本は、日本軍国主義の非道さを徹底的に暴き批判した本だと思っています。

これに対して、井手さんの本は、先の大戦後(1945-8-15以後)に起こったソ連とモンゴルの参戦、抑留という不幸極まりない出来事について、なぜどのような経緯で起こり、その実態を克明に明らかにしています。そして現実には、シベリア抑留とは全く違って、ソ連の影に隠れて殆ど起こっていないようにしかみえないモンゴルのケースについて日本政府の不手際を明らかにしているのです。こう見ると、3冊の中で、井手さんの本が最も優れていると言わざるを得ません。

⚫︎「77年の興亡」の第3期では「戦後処理」と個人の学び直しを

さて、今回井手さんの本を我々一般社団法人「未来を創る新教育推進会」はなぜ取り上げたのでしょうか?

それは、今までの個人、社会、国家における教育のあり様を見直す必要があるとの認識から出発している我々として、まず日本という国が他国との関係を誤った歴史として捉えている事を見直したいとの思いがあるからです。先ほど来申し上げていますように、モンゴルという国に抑留されたにも関わらず、どこでどう亡くなったのかも知られないまま死んでいった人々のことを身体を張って調査し、遺族にその経緯を報告をするとの難作業に取り組む井手さんの生き方にこそ、新聞記者からジャーナリストへの転身における個人の学び直しと歴史の見直し姿勢が詰まっていると存じます。

我々は明治維新以降三たびめの「77年のサイクル」の歴史の中に生きています。詳しくは私の書いた『77年の興亡』を元に作ったレジュメをご覧いただきたいのですが、これから始まる「第3期の77年」で、我々は社会として国として、国民あげて第2期で放置された「戦後処理」に取り組まねばなりません。でないと真の未来は開けないと確信するからです。と同時に個人の生き方として、リカレント教育に取り組み、学び直しをする必要があると思います。

その生きた見本として我々の一般社団法人のトップである相島淑美さんのこれまでの生き方を一つのモデルとしてご紹介します。この人は上智大英語学科を出て日経新聞に入社し記者になりました。ですが自分には今一つ合わないと思い、6年後に慶應義塾大学大学院文学研究科に入り直し、アメリカ建国時代から19世紀の文化、精神を研究し、英語力に磨きを掛け直し、卒業後は4年生の大学の講師になる一方、翻訳家として百冊を超える本を出版します。そしてまた6年後に、今度は関西学院大のMBAに入り直し、経営学博士号を取得されるのです。そして更に神戸学院大に准教授として転身。今は経営学部教授として、日米経営学比較とか、茶道に見るおもてなしの研究など多方面で活躍中です。私はこの人の中に学び直しの極意というか、真骨頂を見るのです。(以下つづく 2026-8-2)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【105】知られざる事実に唖然━━『モンゴル抑留』出版記念講演会から(上)/8-1

モンゴルにも日本人が捕虜となって抑留されていた━━この事実を知っている人は極めてまれです。ジャーナリストの井手裕彦さん(大阪読売新聞の元記者)が角川新書からこのたび出版された『モンゴル抑留』はこの事実を克明に追っています。私も読んだ上で、司馬遼太郎さんの『モンゴル紀行』と比較して、いかに鋭く日本とモンゴル両国に横たわる問題を描いているかについて読書録(6-25付け No.98)に書きました。昨日私の所属する一般社団法人「未来を創る新教育推進会(会長 相島淑美神戸学院大教授)が、井手さんを招いて講演会をやりました。ここでは私が述べた講評(事前にまとめたものを当日配布)を披露します。写真下は壇上での著者と私の2人です。

⚫︎厚労省、外務省への厳しい指摘に対応を約束

私は衆議院議員を20年ほど務めましたが、その間に外務委員会、安全保障委員会に長く席を置き、厚生労働副大臣を一年だけやらせていただきました。ですが、残念ながらモンゴルについては何ら関わりを持たずに過ごしました。今回、井手さんの本を読ませて頂いて、厚労省や外務省がいかにも無為無策であったことを知った次第です。

実はこの本で著者は厚労省には37箇所ほど、外務省には12箇所ほど厳しい批判の刃を向けています。厚生労働省の宮崎淳文現官房長は私の元秘書官を務めてくれていました。今回彼に意見を求めましたところ「井手様にはいつも貴重な情報を提供していただいており、深く感謝しています。しっかりと気を引き締めて今後取り組みを進めていきます」とのことでした。

外務省関連については、日本とモンゴルの関係における、ソ連の影に隠れてモンゴルは交戦国になっていない歴史的事実、モンゴル軍のことが触れられていない教科書などの見直しといった重要な問題提起に、強く私は賛同します。また、日本モンゴル友好議連の長島昭久会長(衆議院議員)にこの辺りについて伝えましたところ、必ずや外務省、文科省に井手様のご意志を伝えるとともに、共々に問題解決に向けて尽力させていただきますとのご意向を表明して頂いたこともお伝えいたします。

⚫︎モンゴルとの友好に満ちあふれた司馬遼太郎の本

私は実は書評を趣味にする政治家です。モンゴルをめぐっては、司馬遼太郎さんの『モンゴル紀行』と半藤一利さんの『ノモンハンの夏』の2冊が有名です。井手さんの本を読んだのちに、この2冊をあらためて読み直し、3冊を読み比べました。

まず司馬さんはご存知のように大阪外大のモンゴル語学科出身です。根っからのモンゴル大好き人間ぶりを余すことなく披瀝しまくっています。実は『モンゴル紀行』文庫版の163頁には東京外大のモンゴル語科出身の留学生の話が出てくるのですが、この富永君という人は僕が学生時代に付き合った懐かしい友です。司馬さんは「彼の笑顔に青春を感じた」と書いています。モンゴル好きの若い同好の士を見つけた率直な喜びが彷彿として伝わってきます。

日本人捕虜の手になる国立オペラ劇場のことも出てきて、「言い難い感情を持った」とか、「国家次元の問題よりも人情としてやりきれない思いを持たざるを得なかった」などといった言い回しが出てきますが、全体としてモンゴルという国へのほのぼのとした友好感情が溢れ出ている素晴らしい本です。私は司馬さんの本では「街道を行くシリーズ」が好きですが、『アイルランド紀行』と並んで『モンゴル紀行』が大好きです。(以下つづく 2026-8-1)

 

 

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【104】「官邸がアホやから政治がでけへん」━━158日間の国会を概括する/7-26

⚫︎「党首討論会」での国民無視の虚しい風景

 誰しもが知る作り笑いの目立つ高市首相と、あまり皆が知らない苦悩の様子がありありの公明党の竹谷とし子代表。さる7月15日にテレビで観た「党首討論」での2人の女性リーダーの好対照な姿が印象に残った。全体で約1時間の中で終始わざとらしさが消えない笑顔で野党党首たちと応酬していた首相と、僅か4分間の持ち時間を「円安の影響で物価高にあえぐ家計支援を急げ」と厳しくぶつけたものの軽くいなされた竹谷氏。翌日の公明新聞の記事の「高市政権の見通し甘い 国民生活後回し 改めるべき」(時系列的には午前の中央幹事会での発言)との見出しがせめてもの慰めであった。首相就任後初めての長丁場の国会の最終盤で、睡眠時間がいかに少ないかを自ら言い出し、家事に取り組む自らのすがたを誇大に言いふらす━━こんな首相のパフォーマンスに苛立ちを覚えない方がどうかしていると思った人は多かろう。8日間の延長を含め158日間に及んだ特別国会を振り返って思うことは多い。

⚫︎監督のせいにしたプロ野球との類似性

 この通常国会、最初から異常だった。と、書きかけて、ん?おかしい、間違ったと気がついた。恥ずかしながら一瞬150日プラス1週間ほど続いたのは通常国会だと思いきや、それは一日で終わっていた。衆院選挙に突入して、その後に開かれた「特別国会」がやっと終わったのだ。召集日の1月23日に衆院解散がいきなり行われたのをつい忘れていた。僅か6か月ほど前のことが遠き昔に思われた。歳はとりたくないものである。

 ともあれ、異常続きの国会を作ったのは、異常な衆院選挙の結果だった。高市早苗自民党総裁が誕生し、通常国会招集日の〝電撃解散〟で自民党単独で3分の2を超える議席を奪った上での、自民党と維新による連立政権の誕生は過去の国会のいわゆる常識を壊し続けた。この辺りのことについては、25日付けの伊藤智永の毎日新聞コラム「土記」が痛烈だ。「何せ行政府の長が国会に出たがらない。議論を嫌い、一方的に話すか、ごまかす。議会の慣例を無視し『首相の命令や』でゴリ押ししようとする。批判には『私寝てないの』『家事も大変』『体が痛い』とSNSで愁訴する」と。

 僕は昭和44年に公明新聞政治部記者になっていらい、国会で歴代首相を見てきた。佐藤栄作さんから宮沢喜一さんまでは記者、衆議院議員候補者として。細川護煕さんから野田佳彦氏までは同僚議員として、そして安倍晋三首相が再登場して今に至るまでは一有権者として、ちょうど30人の総理を観てきたが、高市さんほど異常な人は初めてだ。なにしろ、自民党内部から、野球の監督を首相に例えて「間違ったサインを出す監督をいちいち気にしてたら試合にならない」との嘆き声が聞こえてきた。かつて「ベンチがアホやから、試合がでけへん」と皮肉った阪神のあの選手の迷言を思い出す。つい、ベンチと試合を置き換えてみたくなる。

⚫︎目に余った自維のゴリ押し

 この国会で目立ったのは、維新の横暴さである。自民・維新の連立合意に記載された法案のうち、衆議院議員定数削減法案と副首都法案は同党が強く成立を目指した。自民党は皇室典範改正案、国家情報会議設置法案、日本国旗損壊罪法案などに強くこだわった。さすがに与党だけで、少数政党に一方的に不利になる定数削減を通すことには無理があり、今国会では見送らざるを得なくなった。だがその分、維新の生命線とも言うべき副首都法案は最後の最後まで揉め続けた。土壇場では会期の再延長まで考えたようだが、無所属議員の一本釣りで2議席の差で自維与党は逃げ切った。

 首相の維新偏重ぶりは自民内にも反発を招かざるを得ないものだった。高市自民党は奇襲攻撃が功を奏し衆議院で大きな議席を得たのだが、参議院は少数与党のままである。150日間の国会会期の前半は超多数をいいことに乗り切ったものの、後半は無惨な体たらくとなった。大阪を「副首都」にして東京一極の弊害をカバーするとの建前とは別に、「大阪都」構想を蘇らせようとする維新執行部の本音はあざとい。既に過去2回の住民投票の結果で決着がついたはずのものに未だ拘り続ける。今回の国会最終盤でも、特別区設置の住民投票と地方選挙の期間が重複しないことをめぐっての攻防が焦点になった。大阪を舞台にした維新の執念は、一応のメドなど取り合わぬ雰囲気で早くも波乱含みの様相である。

⚫︎公明、立憲、中道のこれからの議論に注目

 さて野党の中核・中道と公明、立憲民主の三党のことだ。参院で自民党が過半数に足らぬ2議席を無所属から引っ剥がす離れ技をやった一方で、衆院で中道は同じ2議席が足らず内閣不信任案が提出出来なかった。出す出さぬの議論とは別に、2議席の今風悲喜交々の姿ではあった。衆議院49議席の中道では高市政権ノーへの意思表示を単独で示せないのである。

 それにしても皇室典範改正論議における衆院中道と参院立憲と公明の意思の食い違いは苛立たしいものだった。このテーマでの公明党サイドの結論は谷合正明会長の意思表明に明らかなように、とりあえずの課題に対応したから、皇位継承問題はこれから取り組むということだろう。それに対して立憲民主党は、男系男子にこだわる自民党に真っ向勝負で反対している。この対立は国民世論を反映しており、自然なものだと受け止めたい。問題はこれからである。暑い夏を返上して、三党が日本の課題解決に向けて徹頭徹尾の議論をしてくれるものと期待するしかない。(2026-7-26)

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【103】伝統的保守か現代的改革か?━━「皇室典範改正」をめぐる架空鼎談/7-20

 今国会の終盤で展開された「皇室典範改正」論議は、最重要課題なのに、早々と結論を出した感が否めません。ここでは親子3人による鼎談で問題点を明らかにしてみたいと思います。便宜上、父親が今回の法改正に賛成した立場、娘がそれに反対した立場で、母親がどちらにも決めかねている立場という風に設定しました。

⚫︎「歴史的伝統」を守ることと「男性優先」はイコールではない

母)今回の「皇室典範改正」は、皇位継承をめぐっては直接触れず、結婚後の女性皇族が皇室に残ることで負担を和らげる一方、養子縁組で皇族数を増やすという2点がポイントだった。数合わせに過ぎないと批判があるわね〜。

娘)古い考え方の保守政治家たちが21世紀の現在なのに、男系男子にしか皇位を継承できないようにする仕組みを温存しようとの意図が見え見えだわ。こんな「男尊女卑」の考えは捨てないと。お父さんもやっぱ昭和なんだね〜。

父)僕は男系男子が理想だけど、女性天皇であってもいいとの立場だね。過去の歴史で女性天皇は現に8人ほど存在したからね。だがその女性天皇のもとで男女を問わず生まれたお子を次の天皇にするという女系天皇は難しいな。

母)どうして?その理由はどこからくるの?

父)皇位継承は男系女系どちらでもいいとすると、筋が通らなくなるという危険性を孕むね。「男尊女卑」といった性別比較ではなく、歴史的伝統を優先させないと国の根本が混乱するってことかな。無原理ではね。男系男子が譲れない原則だと固執しているのではなく、それがこれまでの伝統だからって言うべきかな。

娘)それって耳障りがいいように聞こえるけど、結局は男性優位の日本社会を持続させたいってことじゃないの?

母)そうじゃなくて、お父さんが言うのは男系男子の筋を通す必要性ありってことじゃないの?でもそれにしては、皇族の養子縁組を増やすために旧宮家を復活させるという方法は苦しいわね。そんなことに応じる人いるかしら?

父)という問題は残るけれど、可能性を有した天皇候補を作っておかないと皇位継承が揺らぐということだろうな。

娘)そういう考え自体が古いのよ。もう伝統に拘らず、時の天皇の第一子を後継にすると決めた方が分かりやすいし天皇家自身も余計な苦しみを感じないですむわ。男を授からなくてはダメだというプレッシャーは残酷過ぎるよ。

⚫︎皇位継承を縛らないという政府の約束を監視せよ

母)それに関していうと、天皇、皇后はじめ皇室の生の意見も聞きたいってこともあるわ。当事者の意見を加味せずにこんな重要なことを決めていいのかって。それに今回は皇位継承問題は別だと言いながら、怪しい部分ないの?

娘)そうよ。本来は議論の対象ではなかったはずの皇位継承問題が、するっと、旧宮家出身の男系男子の子孫が皇位継承資格を持つと盛り込まれるって、絶対おかしい。立憲民主党なんかは騙し討ちって言ってる。これ正しいよ。

父)そこをまさに公明党の谷合正明参院会長が特別委員会で、政府、法制局にはっきり確認したと言ってるところだね。公明新聞の17日付に載ってる。要するに今回の改正は皇位継承制度に関する今後の議論を拘束しない、って。

娘)憲法第一条の定める「国民の総意」に基づいてできる限り幅広い合意のもとで進められるべきだって、谷合さんも言っているんだけど、現実的には政党によって考え方、態度は分かれているよ。首相や官房長官、法制局が将来の議論を縛らないと言ってること信用できる?伝統的保守を変えて現代的改革するのが中道的生き方ではないの?

母)確かにそこは重大ね。立憲民主党などは「総意から逸脱する」と強く反発しているわね。中道と公明と立憲民主党は同じ政党になろうと努力してしていると聞いているけど、この問題で、まとまらなかったのは残念だね。

父)そう。僕もそこはこだわりたいね。今回の改正の道筋を確認したことは大事だけど、従来から付則や付帯決議なるものの軽さは否めないからね。国会の意思を示す重いものとの認識を示したと言われても、俄かに納得し難い。

娘)谷合さんは「賛否の立場を超えて、引き続き議論を重ね、合意形成に努めていくべきだ」といってるけど、ここは合意形成を断じてやるって言って欲しいわ。いかにも与党崩れの野党めいた半端な言い方では頼りない。

父)きついね。でもそこは大事だね。まずは中道が公明と立憲民主との合意を形成するために汗をかかないと。僕は、皇室典範改正問題は、日本独自の伝統的な考え方を踏襲するか、それとも近代(現代)日本に相応しい斬新な考え方に立つかの重要な分岐点を意味すると考えている。国のかたちに関わる課題だから簡単には片付けられないね。

母)つまりこれで終わりではなく、これから始まるのね。時間をかけて大議論して国民的合意を目ざすべきだわね。日本の課題を三党が背負ってることをプラスイメージで捉えたいわ。(2026-7-20)

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【102】坑道ラドン浴にハイパーサーミアの合わせ技━━「富栖の里」での中村仁信先生の講演会から/7-15

 日本唯一の坑道ラドン浴「富栖の里」といえば兵庫県姫路市の最北部・安富町富栖にあります。ここで7月11日に大阪大学の中村仁信名誉教授(日本放射線ホルミシス協会理事長、ハイパーサーミア第43回大会会長)による講演会が行われました。演題は「放射線ホルミシスとハイパーサーミアで進行がんも延命できる」。午後3時から1時間にわたってのお話で、僕も参加(写真)してきました。実は中村先生と僕とは10数年前からの懇意な関係で、同先生に監修して貰った『みんな知らない低線量放射線のパワー』(早わかり10問10答)という電子本も発行しています。今回の講演会では、放射線ホルミシスに加えて、ハイパーサーミアという「温熱治療装置」を用いることで、より一層ガンの進行を抑えることが出来るという中身でした。沢山の症例を交えながらの分かりやすい講義で、参加した人々からは納得された様子が十分に伺えました。以下今回の講演会の内容と共に、がんをめぐる最新の話題について触れていきます◆この日の講演の最後に中村先生は「がん対策」を以下のようにまとめられました。①がんにならないためには、免疫力の向上とストレスを減らす生活習慣が大切②がん検診による早期発見、早期治療の実行が大事③がんを切除出来た人や抗がん剤、放射線治療で回復出来た人の再発予防はより重要④発見が遅れたり、治療がうまくいかなくて、進行がんや末期がんと向き合う場合、放射線ホルミシスやハイパーサーミアで元気な生存期間を少しでも長くする━━という4点です。世にいう「がん難民」にならないための必須の法則とでも言えるものでしょう。今健康であることを自覚出来る人は、多忙な日々をあれこれ悩み苦しむことはなく、毎日を明るく楽しんで暮らせている人でしょう。だが、そういう人はあまりいません。多くの人は分かっているけどやめられない「生活上の悪習慣」と慣れ親しみ、がん検診なんて無縁だという人が多いと思われます。で、気がついたら時既に遅しというケースが専らでしょう◆畏友・亀井義明氏は15年ほど前からこの坑道ラドン浴・「富栖の里」の創始者として、懸命に庶民大衆の健康増進に取り組んできました。つい先ほどは『ラドンの奇跡』なる映画まで制作して、彼の地元赤穂、姫路から大阪、東京へと試写会を行なって、放射線ホルミシスの効力を世に訴えてきました。僕もそこでの奇跡的な体験については幾つも聞いてきました。一方、ハイパーサーミアってなんだろうと思う向きが多いと思われますが、いわゆる「温熱治療」のようなものだというと分かりやすいかもしれません。大阪華僑のトップ・段為梁氏が「琉球温熱治療」の効用をかつて絶賛されていたことから、僕も少しかじったことがあります。今回中村先生は、ハイパーサーミアが①熱ショック蛋白(HSP)の増加による免疫力の強化と熱によるがん細胞壊死による腫傷の増殖を抑制する②他臓器転移再発を抑制することで、リスクを低減し延命につながるとの説を展開されていました。同先生は長年にわたってご自身が院長をされている彩都友絋会病院での様々な症例をあげつつその効果を強調されていたのです。亀井会長はこれまでの坑道ラドン浴に加えてハイパーサーミアも導入して、より一層のがん対策に効果あらしめたいと力説していました◆僕の母親は胃がんが直接の死因で60歳前に亡くなりました。父親は80歳近くまで元気でしたが晩年、膀胱がんに悩まされました。思えばがんは「親の仇」でもあります。現在のところ僕自身はがんの予兆はないとはいえ、いつ何時襲われるやもしれません。生来の楽天的で強気の生き方の人間だとはいえ、加齢と共にストレスも増してきているとの実感もあります。高校同期の親しい友で笑医塾塾長の高柳和江さんの笑いによる免疫力増説も意識しているところですが、笑っているばかりとも参りません。同世代の友人にもちらほらがん患者が出てきています。この日の講演が終わって中村先生に個別の相談にくる人たちの様子を見るにつけ、人ごととは思えませんでした。7月21日からハイパーサーミアが富栖の里にも導入されるとのこと。ひとりでも多くの人が延命の幸せを実感でき、生きていることの喜びを味わえるようになることを祈らざるを得ないのです。(2026-7-15)

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【101】溢れ出す追憶と連想と知的興奮━━川成洋、吉岡栄一編『英米文学の愉楽』を読んで/7-10

 英米文学が好きで好きでしようがない研究者たち12人による書評論考集である。英文学者でスペイン研究家の川成洋法政大名誉教授から勧められた。読むほどに様々な連想が浮かび知的刺激を受ける。川成さんと僕のご縁は、公明新聞記者時代に原稿依頼をして以来のことだから、かれこれ50年越し。80歳代半ばにして次々と本を執筆し、合気道など複数の武道の鍛錬を常に怠らぬ紛れもなき文武両道の達人である。まず「はしがき」をしっかり読んで欲しいとの注意書きが添えられていた。「実用英語」にばかり走り、削り取られる一方の現代日本の「英学教育」の悲惨な現状への怒りが漲っていた。書評を「政治家の趣味」にしてきたと密かに自負する僕にとって、先達の切り拓いた森林の中に分け入るような期待と緊張感に駆られた◆やっぱり川成洋「ジョン・コーンフォードとスペイン内戦」から読み始めた。コーンフォードなる人物がイギリスの「途方もない知的名家」の家系に生まれ育ち、21歳の若さで戦死した詩人だったことも、筋金入りの共産党員で「スペイン革命」の担い手たらんと「戦う参加者」になったことも知らなかった。勿論1930年代のイギリスが、スペインを舞台に左右双方の全体主義が激突した内戦に巻き込まれるかたちでの「政治の季節」にあったことは分かる。1936年夏に彼は軍に入隊。戦いの中で傷病を負いバルセロナからひとたびロンドンに帰還する。そこで40日間のスペインでの戦場体験を「マゴット・ハイネマンへ」「アラゴンからの手紙」など3篇の詩に描く。青春の只中を生死を懸けて戦った詩人の「戦場体験」が胸を打たぬわけがない。これまでスペイン内戦についてはJ・オーウエルやA・ヘミングウエイらの小説や映画で「観念的体験」をしてきた。だがそれも死と隣り合わせた青年詩人の「生への渇仰」と「死への恐れ」、愛する人への胸掻きむしられる想いなどの〝詩的迫真性〟には遠く及ばない。僕ら「ベトナム戦争世代」にとって彼の国の〝非情事態への受動的加担〟という負目は今も引き摺る。一方、早逝の悼みは、高校2年生時に心臓病で斃れた天風会の畏友・西園寺健弘や20代後半で散った未完の女検事・川上磨姫ら同期生を追憶の彼方より引き戻す◆次は、吉岡栄一「コンラッドの『ノストローモ━━ある海辺の物語』論」である。ジョセフ・コンラッドの著作では『闇の奥』を随分前に読んだだけ。かつてベルギー領コンゴにおける悪辣非道な植民地主義の展開をめぐって、英国を含めた先進資本主義国家全体の罪を問うのか、それともレオポルド2世の例外的行為と見るのかの論争があった。吉岡氏はコンラッドが搾取される現地の黒人への同情心と共に、ヨーロッパの植民地主義のありのままの実態を糾弾した姿勢を進歩的として明解に論及している。実はこのテーマは、ナチのホロコーストとコンゴでの大虐殺との比較論(前者の陰に隠れて後者が無視されている)などの問題を孕んでいて無視できない。かくいう僕自身もヒトラーの残虐の前にレオポルトの巨悪を見逃し「コンゴの惨劇」を失念していた。また『闇の奥』は名映画『地獄の黙示録』と、かの立花隆の謎めいた論考「誰もコッポラのメッセージが分かっていない」を〝キリスト教の闇〟という課題と共に連想させる。『ノストローモ』に関する吉岡論考の終盤はオーウェルとコンラッドの比較論が展開され興味深い。文末の「つづく」の3文字が次号への大いなる期待を招く◆未読の本の書評陣列の中で惹き込まれたのは山本長一「ファビュレーターとしてのイシグロ、マードック、特にムラカミの物語性について」だ。村上春樹とカズオ・イシグロのものは映画を含め随分馴染んできた。山本氏はマードックを加えた三者が三様の物語性を誇っていると高く位置付け、それぞれの作品の「本歌」を探し当てた上で、入れ子細工的に組み込まれた小さな物語の成り立ちを描き出す。その試みを「三点測量」と銘打って20頁ほどにわたりめくるめくような展開をして見せてくれ読む者を飽きさせない。とりわけ僕にとって遠い日の半端な理解に終わっていた村上の『騎士団長殺し』の解読はあたかも手品師の種明かしの趣きのようだと錯覚するほどだった。イシグロの映画化された作品群についてもディック・ミネや中山大三郎らの懐かしの名曲の記憶を呼び覚まさせつつ、答えが分からなかった問題集を解きほどくように提示してくれてこぎみいい。他方、最終編に登場する長尾輝彦「新渡戸稲造と英文学」は、若き日に「われ太平洋の橋とならん」と誓った新渡戸の壮大な心意気が伝わってくる。僕は福澤諭吉『学問のすすめ』は、実は「交際のすすめ」でもあると読み換えている不肖の読み手に過ぎないが、日本の英学の道を切り拓いた福澤の後に新渡戸が続いた故にこそ今があると心底実感できた◆手元に放送大学の教材『世界文学への招待』が新旧2冊ある。最新の2022年版にはイギリス文学はおろかアメリカ文学に関する講座すらない。前号の2016年版はアメリカ文学ものが2つも並んでいたのに。これだけをもって英米文学への関心の退潮を論ずる傍証にするつもりはないが、激動する世界の今に英米文学の側からの発信を期待する者たちにとって訝しさは否定できない。この本は「構築」という研究グループの努力の賜物だが、5冊目にして僕は初めて存在を知った。今からでも遅くない。英米文学を庶民大衆の嗜みの一翼とする作業のささやかなお手伝いをさせて頂こうと思うに至っている。(2026-7-10)

 

 

 

 

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