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旧正月前の台北で「観光戦略」の重要性を実感

21日から3泊4日の日程で台北に飛んできました。主たる目的は「瀬戸内海島めぐり協会」の専務理事として、現地の旅行会社にインバウンドを巡る商談をするためです。朝から夕刻まで、仲間2人と二日間で合計11社を訪れ、あれこれと意見交換をしました。旧正月前の慌ただしい季節。予想に反した肌寒い気候でコートの有難さを痛感しました。夜は日本台湾交流協會の沼田幹夫所長(大使)と公邸で懇談したり、旧知の毎日新聞台北支局長と面談。帰国直前には総統府を表敬訪問して政府高官と会談するなど充実した旅となりました▼日本への外国からの観光客はいよいよ3000万人を超えて目標の4000万人に近づきつつあります。ただ数は増えても、その内実はおそまつで、真に喜ばれているものになってるかどうかは疑問符がつきます。私の今回の訪台は、台湾人のニーズは何かを探り、彼らが満足する旅行プランを彼らに考えさせて、その実現に向けて支援する狙いを込めました。従来の日本仕立てのものの押し付けは止めることに主眼を置いた新たな試みです▼これは兵庫県と観光庁の地方創生交付金を原資にした、日本版DMOの具体的展開で、大いに注目されるものと自負しています。今回の訪問先のうち2社からは具体的なオファーがありましたし、残りの企業からも、これからの詰めを期待させる手応えを感じました。いくつかの旅行社は今春の瀬戸内芸術祭に興味を持っており、中四国や近畿圏とを繋ぐエリアに足を伸ばして、日本の魅力を満喫してもらうことが出来そうです▼沼田大使との語らいでは、具体的に彼が台湾富裕層の一行と共に四国を訪問した際の経験談を聞くことが出来ました。高松空港での入出国時の手際の悪さが指摘される一方、台湾旅行社が同行させた台湾人ガイドの見事な仕事ぶりには敬服したと言うのです。訪問先の地域的特徴は元より、詳しい歴史的背景に至るまで熟知した上で、見事に解説してくれたと聞き、日本の受け入れ方の貧弱さに身がすくむ思いがしました。また、台湾政府要人からは、日本からのアウトバウンドが昨今少ないことへの注文がつけられる一方、中国が「観光」を戦略的に使って、台湾経済の浮沈をコントロールしていることへの苛立ちが披瀝されました。両者の話から日本の「観光」政策の戦略性のなさが浮かび上がってきました。(2019-1-25)

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大衆的人気博した気骨ある保守政治家の終焉

「こんなかに公明党の人はおるか?俺のこと応援してくれんでもええで」ー12年前の選挙だったろうか。自公選挙協力で、お互いに支援をしようという申し合わせがあったのに、当の自民党の候補者が街頭演説で、公明党支援はいらない、と公言したのである。いささか驚き、慌てた。自民党所属の政治家は、普通は喉から手が出るほど欲しいはずの公明党票。それを断るという全国の自民党議員でも珍しいタイプだった。つまり、票欲しさに自身の節を曲げたくないとの強い意志が伺えた。鴻池祥肇参議院議員のことである▼この18日に神戸で葬儀があった。公明党の県代表として現役の頃に、幾たびかの交流があった懐かしいひとである。最も思い出深いのは、私が鴻池氏の応援演説で、彼と比較してこう述べた。神戸高(旧神戸一中)卒と長田高(旧神戸三中)卒。早稲田大卒と慶應義塾大卒。派手さと地味さ。垂直思考と水平思考。ことごとく相反するものを持つ二人だが一点だけ共通するものがある。それは何か。それは二人とも日本共産党が大嫌い、民主党なんかに負けたくない、この一点は二人に共通するのだ、と▼この時の演説は私の20年に及ぶ政治家生活で、秀逸のものと勝手に思っていた。ある時に、鴻池議員の部屋に行ったことがあり、あれこれと歓談した。その際に、彼曰く、君と俺との根本的違いは憲法観が違うことだよ、と諭すように言われたことを思い起こす。その時、私は面白おかしくその場しのぎの演説をするだけで悦に入っていた自分を恥じた。確かに、憲法9条を巡っては、鴻池氏と私の考え方は、改憲と加憲という風に大きく違った。自由闊達なもの言い中にも、自身の政治信条では一歩も譲らぬ気骨を持ったひとであった▼私の娘がかつて、一番好きな政治家として鴻池祥肇氏の名前を挙げた。その時には軽い嫉妬を抱いた。ご本人にいうと、「おう、俺は若いのから年増まで女に人気があるんや。キミ知らんかったんか」とご満悦だった。青年商工会議所のリーダーとして名を馳せた、政治家として酸いも甘いも嚼み分けた練達の士であった。糟糠の妻ならぬ、兄弟船の舎弟分を失って、麻生太郎元首相(現財務相)の落胆ぶりは想像するに余りある。(2019-1-19)

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「安定」にも限度あり、との自覚ー兵庫での新春年賀会から

毎年恒例の公明党兵庫県本部の新春年賀会が11日の夜に兵庫・新神戸のホテルで開かれました。例年にも増して大勢の皆さんで場内は溢れんばかり。公明党の地方統一選候補者(70人)や、参議院選の候補者(高橋みつお氏ら)が紹介され、意気天を衝く勢いでした。首長や自民党の関係者の姿もいっぱい。今年に懸ける人たちの息吹きの総和で、一種独特のあつい雰囲気を醸し出していました▼その中で注目されたのは山口那津男党代表の挨拶。「しっかりと自公で議席を確保して、安定した政治を継続させる」と強調するとともに、「公明党が政権の安定に果たす役割は重要」だと力説しました。新年早々のNHK総合テレビ『日曜討論』でも、同様の訴えをしていたことを思い出します。キーワードは「安定」。仮に、公明党が政権から離脱したり、あるいはそこまでいかずとも、事あるごとに横やりを入れるような姿勢であったら、たちどころに政権は「不安定」になることは目に見えています。「安全、安心」と並んで「安定」は、今の政治に不可欠の指標なのです▼ただ、一方で、世間一般に、今の安倍自民党政治への「不安、不満、不信」が鬱積していることも事実です。昨年の国会で野党からの攻撃の的になった森友、加計学園と首相との不可解な関係は未だ曖昧なまま。そして、広がる一方の経済格差も庶民の生活基盤を脅かしています。過去の同政権に比べれば、相対的にましではあるものの、そこはかとない影が漂うのも否定できません。自民党内に〝安倍一強〟を牽制する動きが全く見えない中で、ブレーキ役としての公明党への期待が高いことを強く感じます▼山口代表も勿論、そのあたりは重々意識していて、「憲法改正」に向けての総理周辺の先走りを戒めつつ、〝幅広い合意〟作りをしばしば強調しています。また、消費税上げへの軽減税率の導入の持つ意味やプレミアム商品券の効果を繰り返しています。野党勢力がリアルな政策立案を示さない現状では、公明党が政権内にあって改革を着実に実行しながら、時に自民党を厳しくチェックする役割は極めて重要なのです。「安定」を呼号するあまり、庶民とかけ離れてしまう安倍自民党を無批判に許してはなりません。言い換えれば、「安定」にも〝超えてはならない一線〟、つまり限度があり、その自覚が大事ということでしょうか。安倍首相には公明党の〝寸止め〟を意識してもらいたいものです。(2019-1-13)

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仕事始めは、神戸での地域おこし戦略会議

私の仕事始めは、7日に神戸で開いた、地域おこしのエキスパートたちとの戦略会議が皮切りでした。勝瀬典雄広島大客員教授と榎田竜路ボイスアート代表社員と西山しほり(株)plug078社長の3人との顔合わせ及び議論です。これまでもしばしば触れてきたメンバーですが、私の見る限り、3人とも特筆すべきこの分野での〝手練れ〟です。私風のネーミングで紹介すると、勝瀬さんは「地域おこしの仕掛け人」。榎田さんは、「地域おこしの伝道師」。西山さんは、さしづめ「起業家作りの先導者」といったところでしょうか▼この日は榎田さんの「映像制作」を通じての地域おこしの具体的展開のさらなる発展をどう図るかが主なテーマでした。全国各地で彼は、具体的な身のこなし方やコミュニケーション力のつけ方などを通じて、自己肯定感と美意識を培う理論と具体的作法を、高校生、中学生、一般社会人らに伝授しています。それらを踏まえて、彼らに地域の著名人らへのインタビューをします。それを2分間の映像にまとめて制作するノウハウを教えているのです。ユニークな技術の在り方、展開は今や深く静かに広がって成果を上げてきています。彼のこの試みをさらにメジャーなものにすることが私の今年の課題です▼この日の会場は、新神戸駅前にあるホテルの3階。このホテルのロビーより下の各フロアーはかつては大変に賑わっていましたが、殆どのテナントが出てしまい、今や閑古鳥が鳴く寂しい場所になっています。いったいどうなってしまってるのか、というのが率直な疑問です。そういえば、三宮駅構内の「オーパ」も閉店してから随分時間が経ってるのに、塀囲いがされたまま。「神戸」の玄関口がこれでは元気が出ません。駅前再開発の流れの途上なんでしょうが、そういう説明が一切なく、街全体に勢いが感じられないのは問題です▼神戸を始めとする兵庫県の観光、とりわけインバウンドが不調なのは種々の原因があろうかと思います。ここではいちいちあげつらいませんが、今春に行われる統一地方選での各候補者の政策公約の披瀝にはここに着目したいと思います。とりわけ神戸市議選候補者、兵庫県議選の神戸選出議員の皆さんの主張には耳と目を向けてみたいと思います。地域起こしの議論をしていながら、肝心要の足元の神戸の現状に大いなる憂いを持ったまま、この日の会議を終え帰路についたしだいです。(2019-1-8)

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年賀状を書き、各紙「対談」読み比べ(下)

年賀状を書くのはなかなかしんどい。12月に300枚ほどを購入して書き始めたものの、結局年内に投函したのは半分程度。あとは頂いたものへの返事と決めていた。このため、正月三が日は勝負となってしまった。年賀状も色々。私が毎年貰う人の中で、経済評論家の大前研一さんのものは、細かい字で400字ほどびっしりと印刷されていて、読み辛いものの、読み応えがあります。今年のものには「三十年前に『平成維新』を書いて、何事も成就できずに、いよいよ平成とはおさらばします。自分自身の力の足りなさを反省すべきですが、同時に国民の平均年齢が五十を超える二〇〇五年までに改革しないと、数百年はずるずる落ちるという予言だけは当たりました」とありました。「反省すべきですが」と書いてるのは、なかなか殊勝げですが、すぐその後に、数百年先の予言をわずか15年程度で、当たったといいきるのは自信家のこの人らしいです■さて、昨日に続き新聞各紙読み比べをやっていきます。今日は、対談の読み比べです。一番注目されたのは、讀賣。かの小泉進次郎衆議院議員と橋本五郎特別編集委員の組合せ(3日付けは山尾志桜里氏)。ポスト安倍の将来の首相候補のひとりとしての呼び声が高い小泉氏と、私と同世代で、親しい五郎さんとの対決です。「問われる日本の生き方」がタイトルですが、落語、天皇、トランプ、農業、国会改革と話題はとび、面白い中味でした。小泉氏は、トランプ大統領が登場した時に、「わくわくする」とコメントしました。世間的には悪評だったようですが、私はそこに彼らしさを感じ、いい評価をしてきました。彼は改めてこの対談で発言の背景は「日本がどう生きていくか問われる時代になると確信」したからだというのです。そういう時代の主役足らんとする意気が伺え頼もしい限りです。この対談はここにもう少し焦点を絞って欲しかった気はします■もう一つ注目したのは神戸新聞恒例の新春知事対談。今年は劇作家の平田オリザ氏。この人、15年から豊岡市にある城崎国際アートセンターの芸術監督を務めるなど、この地域で芸術文化の力を生かした地域おこしに携わっています。先年読んだ本の中に、彼は「若い女性に好まれない自治体は滅びる」(『人口減社会の未来学』)と述べており印象に残っています。「文化による社会包摂」を目指すとしています。兵庫県が2年後の開校を目指す「国際観光芸術専門職大学(仮称)」の学長に予定されており、この8月には豊岡市に引っ越されるとのこと。「深い教養を備える人材育成を目指す」平田さんに対して、「4年制大学の開校は地域の悲願」という知事とのやりとりは、大いに期待感が高まります。淡路島での観光人材育成を目指してこの数年取り組んできた私は、対抗心を燃やしつつこれから見守っていきたいものと思いました■最後に、公明党の機関紙公明新聞の一面トップの対談にも注目せねばなりません。山口那津男党代表と作家の佐藤優氏との対談です。冒頭から佐藤氏は「平成という時代を思想面から整理すれば、中道主義が勝利した時代と言えます」と切り出し、「社会が変容し、公明党的な中道の価値観が周縁から中心に移ってきました」と断言しているのは嬉しい限りです。東西冷戦崩壊を資本主義の勝利としか見ない世の識者たちは目を丸くするでしょう。ここに佐藤氏の真骨頂があります。一気に読ませます。山口代表はこの対談だけでなく色んな場面で、公明党はもっと安倍自民党批判をとの声に、ひたすら「政治の安定を」と説き、幅広い民意との合意形成をと強調しています。 公明党を「人間主義の価値観で政策を創造し実現できる」党として持ち上げてくれる佐藤氏を、全国の公明党議員は裏切ってはならないと思うことしきりです。この人は、かつて私が衆議院外務委員会で鈴木宗男同委員長(当時)に対して発言(平成21年11月18日)したことを、ほぼ5年後になって著作上で取り上げました。その昔衆議院の証人喚問の場(平成14年3月11日)で、私が鈴木代議士を揶揄したこと〝詫び〟を入れたうえ、鈴木宗男、佐藤優の二人の盟友関係を称賛したことについて、です。佐藤氏は私の発言の背後に、創価学会や公明党が持つ「組織の文化」があり、「国家が何か策動しているときに一歩引いて状況を観察する。国家権力の論理とは別の価値観で動いている」(『創価学会と平和主義』)からだと評価してくれました。有り難いことです。彼についてはまだまだ触れたいのですが、今回はこの辺で。(2019-1-3)

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初日の出を拝み、各紙読み比べ(上)

平成最後の年が明けました。おめでとうございます。私は元旦の朝7時前に家を出て、姫路城のすぐ西にある男山の山頂に行きました。初日の出を拝むと共に、写真撮影をするためです(写真集に掲載)。ここには千姫天満宮があります。千姫は徳川秀忠の娘で、信長、秀吉、家康の三英傑と姻戚関係にあるという日本史最強の血筋の女性ともいえます。その千姫ゆかりの神社です。この山頂に登るにはいくつかのルートがありますが、私は108段ほどの石段を登って行きました。到着時には数百人の人々が鈴なりで今や遅しと日の出を待っていました。よろつきながらの私を追い抜いた青年が「自転車で30キロほど走ってきた」と言いますので、どこからって聞くと、「小野からです」と。「オーノー(Oh!No!)」(笑)と思わず叫んでしまいました。そこまでして来るひとがいるのですから大した場所です■初日の出をカメラに収めたあと、姫路城周辺をジョギングして私の新年は幕開けしました。帰りにコンビニで新聞を買って帰り、早速私が毎年習慣にしている各紙元旦号読み比べをしました。以下、その感想です。新聞社として新年号作りは総力戦ですが、一番力が入ってると思われるのは日経。「ニュース羅針盤」と銘打って6頁ほどにわたって、経済、社会、政治など各テーマごとに深掘りしていました。1面トップのニュース性で目を引いたのは讀賣。中国によるサイバー攻撃からインフラ機密を守るために、14分野の電子データの国内厳守を、政府が関連企業に要請する方針を固めたというものです。企画ものばかりの他社に比べて、唯一ニュース性が伺える中身でした■最も興味深く読んだのは朝日の昭和天皇の直筆原稿252首(晩年の歌など)が発見されたというトップ記事。特にその関連で、作家の半藤一利さんの社会面の解説には惹きつけられました。「國民の祝ひをうけてうれしきもふりかえりみればはずかしきかな」と「その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは」の2首には特に考えさせられました。前者には天皇の尽きせぬ悲しみを感じた半藤さんですが、後者には、岸信介元首相の死に寄せられたこの歌に、評価を感じて複雑な感情と驚きを表明しているからです。いかにもリベラリストらしい半藤さんならではの書き方です。毎日では大阪府知事、市長の出直し選挙をめぐる記事に強い関心を持ちました。とりわけ公明党の今後の動向について「14年衆院選挙の際、公認候補がいる小選挙区に維新が対抗馬擁立をちらつかせたため住民投票容認に転じた過去があり、方針転換の可能性は残る」としている点です。ここは、維新の党利党略に引っ掻き回されぬよう公明党大阪府本部の頑張りに注目したいものです■毎日の小松浩主筆の「未来へつなぐ責任」と、産経の乾正人論説委員長の「年のはじめに」は、ご両人とも旧知の記者だけに大いに関心を持って読みました。前者の「平成の30年は戦争のない平和な時代だった」との記述には少し違和感を持ちます。戦争は確かになかったのですが、巨大災害の時代であったことに触れて欲しかった、と。戦争はなくとも安全・安心・安定が脅かされた非平和な時代だったからです。一方、後者の「この国自らが厳しい選択をその都度迫られる新しき時代こそ、日本人は戦後の呪縛から解き放たれる、と信じたい」とのくだりは、少し安易な結論に思われました。日米安保に依存しきってきたのが戦後の呪縛だというのでしょうが、支配のあり方が「菊から星条旗」(白井聡)へと移行した日本はそう簡単に「永続敗戦」状態からは抜け出せないからです。(続く=2019-1-1)

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天皇誕生日を京都で過ごし、対話したあれこれ

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冬の吉野で見た地域振興と高校生たちの芽生え

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和田山で、但馬・丹波地域を仲間と語り合う

兵庫県北部に位置する但馬方面は早くも雪の訪れがやってきています。ただ未だ本格的な冬の季節ではなく、嵐の前の静けさならぬ豪雪前の小春日和。そんな穏やかな天候のなか、15日の午後、播但線に揺られること2時間足らず、寺前で乗り換えて和田山まで行ってきました。公明党のOB議員の仲間たちと会うためです。五つの国で出来ていると言われる兵庫県ですが、但馬は他の4地域に比べて、観光の分野では一歩先んじている趣きがあります。とりわけ、豊岡市、篠山市(来年5月からは丹波篠山市)、朝来市の三市は城崎温泉、古民家集落、天空の城など観光客を惹きつけるスポットを有しており、人気を集めています。それぞれの地域及び隣接市に住む元市議会議員3人ととお昼を食べながら、種々懇談をしましたが、なかなか楽しいひとときでした■豊岡市というと、コウノトリ、城崎温泉、円山川がすぐに思い浮かびますが、今では兵庫でも有数の外国人が訪れる地です。西日本きっての豪雪地でもあり、雪深いところでもあります。そのくせ夏場は猛烈に暑くなるという寒暖の差が激しいことでも知られます。観光、中でもインバウンド客にとっては、雪に温泉。しかも風情ある街並みが人気の秘密でしょう。昨今、急速に観光地としてのイメージアップには中貝市長の手腕によるところが大きいとの見立てで元市議と私の見立ては一致しました。観光地としての発信力には、経済界からの助っ人が本領を発揮したようです。私的には先年、日本海沿岸に広がるジオパークに魅力を感じました。尤も、これは豊岡地域だけではなく、鳥取との県境に位置する香住、浜坂地域にまで及んでおり、壮大な歴史を感じさせる風景が見ものです■朝来市は、豊岡市よりももう少し南で姫路とも近い距離関係にあります。ここは天空の城と呼ばれる竹田城跡が有名です。私が播但線に揺られて和田山に向かった時も、竹田城の最寄り駅でどっと人が降りました。ここにも先年、現役時代に事務所スタッフ連中と一緒に行きました。ご存知のように、ここは城跡といっても何もなし。ただ小高い丘が残るのみです。ですが、霧に包まれた中に浮かぶ幻想的な城の姿(ポスター写真)は夢幻のごとく、人の想像力をいやが上にも掻き立てます。一年のうちに何日見られるか、分からないのに、皆さんあわよくばと、駆けつける姿はいじらしいばかりです。これはひたすら映像力の勝負でしょう。この城跡近くに住む元議員は、地元ではあるけれどもこれだけには頼れない、とリアルな観光力発信に秘策を練ろうとしています■もう一人の元議員は、丹波市在住です。ここはつい最近、隣接する篠山市の市長が市の名称を丹波篠山市と変更したいということを争点にして、ひとたび市長職を退任し、改めて市民投票にかけた上で、市長選挙を実施し、当選。念願叶って丹波篠山市となりました。丹波市側からすると、「どうでもいいことです」といたって冷淡ですが、篠山市としては真剣です。ここは陶芸の里としても知られ、また古民家が集積した古い街並み・商店街が魅力的(ここも以前に訪れ感銘を受けました)です。もちろん篠山城もあります。近年NPO法人の活躍でDMOとしての実績をあげており、兵庫の中では大いに観光客集めに気を吐いています。丹波市からすると、山間に囲まれた同市よりも篠山地域は外に開かれた分、人の訪れに有利だとちょっぴり悔しそうでした。ともあれ但馬・丹波地域は過疎地域が多く、限界集落的な町村がひしめいています。ここいらをどうするかが一握りの観光地を宣揚するよりもより重大な課題です。私は今淡路島の観光を中心に瀬戸内海方面から近畿、中四国一帯の振興を考えていますが、日暮れて道遠しの感は否めないだけに、あれこれと刺激を受ける、いい語らいのひとときでした。(2018-12-17)

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観光による地域活性化をテーマに東京から徳島へ

先月末に上京して、国会周辺で二日間動いた後、空路徳島へ。県南の美波町で地域振興をテーマに一日半、現地視察をしたり議論に参加してきました。実はこれ、観光人材に実業高校生を活用しようとの、今私が主に取り組む狙いの具体的実践です。合計三泊四日の盛りだくさんの旅だったのですが、その報告を簡単に要約します。まず、今回の旅の第一日目は、主目的からは外れた番外編。前衆議院議員の会に出てきました。これは年に二回、衆議院議長の招待で行われるもので、毎回第一部は講演会、第二部は議長公邸での懇親会となっています。今回の講演は、医師の帯津良一氏(帯津三敬病院院長)による、はちゃめちゃに面白い健康談義でした。最も印象に残っているのは、各地の講演でハグが好きと彼がいうものだからか、終了するとそれを求める女性たちが列をなす。お一人おひとりとハグをすることが最大の楽しみだというものです。また、毎夜6時半から病院にある食堂の片隅で、3人の女性たちー外科医、看護師、栄養士ーと時間差でそれぞれとお酒を酌み交わすことを習慣にしている、などといったお酒と女性にまつわる妙な話題を次々に披露。様々な識者、文化人の箴言を織り交ぜながらの、飽きさせぬお話しは実にユニークで味のあるものでした■翌日からが本番。観光庁の地域振興課長らとの観光人材育成に向けての第一回目の実務者協議。今回の旅の要です。これには、地域おこしのプロ・勝瀬典雄氏(広島県立大客員教授)、徳島商業高校の鈴鹿剛教諭、岩倉高校の大日方樹教諭らと私も参加しました。実業高校では現在、様々な形で観光人材の育成とでもいうべきものに取り組んでおり、それを活用しない手はないというのがこの協議に至る発想の原点です。この分野での現時点での政府の取り組みはいささか薄弱という他なく、即戦力としての実業高校生の活用は焦眉の急というのが私の見立てです。この日の協議には、徳島商業高校の女子生徒(校内模擬会社Com Comのメンバー)二人も特別参加。終了後に彼女たちが今取り組んでいるカンボジアとの交流活動の現状を紹介してくれました。約20分ほどの二人のプレゼン力は凄いの一言。改めて高校生パワーに魅せられました。夜は、東京在住の姫路出身者有志で構成される姫人会(きじんかい)に出席。元東京工大副学長、元厚生労働省麻薬課長、元姫路副市長、医学博士(産婦人科医)らの面々と旧交を温めました■翌朝は、空路一時間で徳島入り。美波町まで二時間ほど車を飛ばしました。途中で、「地域活性化伝道師」の異名を持つ榎田竜路氏(アースボイス代表・北京電影学院客員教授)や北海道士幌高校の杉本忠宏教頭らと合流。現地では、森林の中での遊びの空間やログハウス作りのモデル地を視察しました。ここでは美波地域活性化協議会(鈴木健宏代表)のメンバーら地域住民の皆さんが揃って対応をしてくれました。この一年あまり、NPO法人雪花菜(おから)工房との連携をとりつつ、徳島県の肝いりのもとで地域おこしに取り組んでいるところです。現地視察を終えたのちに、町役場に場所を移し、産業振興課長らの前で、勝瀬、榎田両氏の考える地域活性化策を聞きました。私も地域一帯となっての取り組みに期待を寄せる挨拶をしたしだいです。夜は、榎田氏のもう一つの「伝道師先」である奈良県吉野町から駆けつけた県立吉野高校の教諭二人や吉野町役場の木のまち推進室長らも加わっての賑やかな懇談を行いました■最終日となった翌朝は、今回徳島に集った観光人材育成の手練れの皆さんと一緒に、徳島商業高校に足を運び、高校生たちの課外授業の現状をつぶさに見せてもらいました。腹式呼吸の練習に始まり発声練習、プレゼンの具体的展開など実に見事な活動ぶりにはまさに目を見張る思いがしたものです。私は別れ際に、カンボジアとの交流に取り組むことの重要性に言及。かつてかの国が内戦で疲弊しきった姿だった時に、日本がPKO(国連平和維持活動)に手を初めて染めた経緯を簡略に述べました。あれからほぼ30年が経った今、日本の高校生たちが国境を越えた地域おこし活動に手を差し伸べることは大いに意義深い、と。以上のように、地域活性化、観光振興に向けて積極的に汗を流す高校生たちの姿は、心底から頼もしさを感じさせるものでした。世には殆ど知られていない高校生の観光現場での果たす役割について、改めて大いなる期待を抱きながら、淡路島を経て高速バスでの帰路につきました。(2018-12-7)

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