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戸別訪問の解禁が政治変革に繋がる

熊本県を中心とする九州地域の大地震の連発が心底から気になります。中学、高校同期の親しい二人の友人や知人の安否を電話で訊くなど心重い日々です。21年前の阪神淡路の大震災以来、新潟、中越、東北、そして今回とほぼ5年おきに大きな地震が日本の各地を襲ってきています。かつて党理論誌『公明』誌上で安田喜憲東北大名誉教授と私が対談した際に、彼が「巨大災害の時代の到来」と言われていたことをリアルな実感を以て思い出します。そんな折、公明党議長の太田昭宏前国土交通大臣が明石にセミナーに来るとあって、参加してきました▼彼は京都大学で土木工学を専攻し、地震工学にも明るいことで知られています。私とは同い年。しかも同じ職場で数年間同じ釜の飯を食った仲間です。落選も当選も一緒でしたが、こちらは引退しても彼は益々頑張っています。嬉しい限りです。兵庫県の井戸敏三知事も昭和20年生まれで親しい友人ですが、共に現役でやってくれてるうちはこっちも張り合いがあるというものです。太田さんは相変わらず元気いっぱいの勢い漲る講演ぶりでした。惚れ惚れする演説ぶりは益々磨きがかかっていました。私が聞いた政治家の演説の中では間違いなくピカ一です。会場に参加された皆さんは恐らく勇躍歓喜して現場に散ったに違いありません▼7月の参議院選挙にむけてこれから選挙ムードは一段と高まってきます。一方、アメリカでは大統領選挙の民主、共和両党の候補者選びの予備選挙が本格化しています。先日、その選挙戦に日本人として参加している明治大学の海野素央教授のインタビュー記事を新聞で読みました。彼は8年前から同様の行為をしており、前回も同様に書かれた記事を面白く読んだものです。一軒一軒戸別訪問して自分の支持する候補者の政策や人となりを宣伝するのです。「選挙は自分の考えを他者と交わし、理解しようする機会」だと、民主主義本来の展開ぶりを高く評価しています▼日本とのあまりにも大きな差を感じ、羨ましく思いました。ご承知のように、日本の場合は個々の住宅を特別の候補への投票依頼をするべく、選挙運動として頼みに軒並みに回る戸別訪問が禁止されています。日常的な政治活動は自由なのですから、日ごろからどんどん家庭訪問をして選挙依頼やら政策談義をやればいいのですが、常にプレッシャーがかかってきます。選挙制度の最大の課題はもっとオープンな選挙戦をすることに尽きると思います。「買収に繋がる」とか、「有権者の平穏を乱す」からやるべきではないというのが”日本の常識”です。このあたりを変革することから、日本の政治が大きく変わることに繋がると私は確信しています。(2016・4・19)

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従来的な見方に安住してると怖いぞー野党共闘異聞

共産党の動向に強い興味を持ってる友人から先日、電話を頂きました。「野党共闘に熱心なこの党の昨今をどう思うか」が主たる内容でした。このところのメディアの関心事は、衆参同日選挙の有無にあり、それに伴う野党の選挙協力の行方です。共産党がこれまでのすべての選挙区に候補者を出すという「党勢拡大」姿勢一本から、他党に花を持たせる方針に変えるというのは、大変な変化に見えます、果たしてどうなるかは、誰しも関心を持たざるを得ません▼雑誌『世界』に小沢一郎さんと志位和夫さんが対談をしていたものを読みましたか。今までおよそ考えられなかった組み合わせです。尤も、このところ共産党は一部地域において自民党との協力も時々やらかしているだけに、「目的のためには手段を選ばない」手法としてはむべなるかなとの思いもします。小沢さんも落ちたものだという見方が一般的で、さしたる関心が持たれているようには見えません。しかし、今の小選挙区比例代表並立制を導入するに際して、最も熱心だったこの人は、制度の根本を熟知しているだけに、なおざりにしてはいけないと思います▼窮鼠猫を噛むとのたとえが意味するように、人は追い込まれるとただならぬ力を発揮するものです。いや、小沢氏も志位氏も追い込まれているのではなく、今こそ好機到来と欣喜雀躍しているようです。こういう時に、「なんでも反対・共産党」「政策実現の実績ゼロの党」だと言い募るだけでいいのでしょうか。確かにこれまではそうですし、民主的な議会政治になじまないものを本質的には持っている党ですから、批判そのものは間違っていません。ですが、有権者はそれに直ちに同調しないのではないかとこのたびは思われます▼民主党が政権を取った時の選挙で「一度(民主党に)やらせてみたら」がきまりフレーズでした。それと同様に今度は「共産党に一度大きく議席を与えてみたら」という風になる可能性があります。それぐらい安倍政権に危うさを感じている有権者がいると見たほうが無難です。「毒は毒を以て制す」と言いますように、自民党という毒性を消すために、共産党という毒性で対抗しようとする動きが出ないことをねがいます。公明党は薬だと私たちは思っていますが、「一服の良薬」では大状況を変化させられないとの見方もあります。「毒にも薬にもならない」民進党ではありますが、「毒」に引っ張られると、化学変化を起こし「大化け」もあり得ます。ここらあたりの話を冒頭の友人にしました。ともあれ、従来的なもの見方に安住していると、選挙では負けることははっきりしていると思います。(2016・4.16)

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「第三の道」「中道」への無理解を解くための闘い

先日姫路市内北部の夢前町の友人の紹介先を訪問した折のことです。70歳代半ばの御主人は私が挨拶のあとに公明党の話をしだすやいなや「あんたがたは選挙が近づくと頼みに来るが、普段は音沙汰がない」「政権党になったのだからせめて地域の神社のお祭りには参加すべきだ」などとまくしたてられました。言い分はいろいろありますが、そこは落着き、やんわりと一般論としてその非をお詫びするとともに、昨今は神社のお祭りにも積極的に参加していることを説明しました▼実は私は昨年から地域の自治会長を務めています。そうすると、秋祭りをめぐる一連の行事だけではなく、日頃なにやかやと神社にお参りすることが多いのです。そんな中、連合自治会の中でいわゆる祭りの神輿を担いで神社にやってこない自治会があることに気づきました。かつて同地域の創価学会の幹部の方が自治会長をされていた折に、お祭りには不参加の方針を持っておられたからというのがどうやら理由のようです。私自身にも確かにかつて神社仏閣を毛嫌いする姿勢がありました。しかし、今や私自身が自治会長として、祭りをはじめとする地域の行事に参加し、貢献しています。最近封切された映画『人生の約束』などを観ますと、いかに祭りが地域の絆を強めるものであるかを如実に物語って非常に迫力がありました。地域の絆向上と個人の信仰の深化と。問題を混同せぬよううまく折り合いをつけることの大事さを痛感します▼ところで、昨今の創価学会、公明党への批判はそうした生活次元のものは比較的なりを潜めていますが、論壇次元で注目すべき傾向が現れてきているように思われます。『現代と宗教がわかる本2016』や『愛国と信仰の構造』などに見られる誤解やら曲解です。前者は「安全保障法制に反対し、公明党の方針を危惧する創価学会員に聞く」という「緊急座談会」を掲載、20頁余りにわたって公明党が創価学会の平和の理念に反しているとの批判が展開されています。一方、後者は「創価学会が果たすべき役割」という見出しのもとに、短いながらも同様の疑問が投げかけられています▼これらに共通しているのは、安倍政権の持つ右翼ナショナリズム(宗教ナショナリズム)に創価学会、公明党が取り込まれようとしているとの認識であり、「本来の姿に立ち戻れ」という主張です。ここには安保法制に対して公明党がいかに歯止めをかけたかの事実認識が欠落しています。また、相も変らぬオールオアナッシングの政治観のみで、「第三の道」への視点、まなざしがありません。座して死を待つ平和観ではなく、現実的に戦争を阻止し、平和を招来させる”動的平和観”が欠如しているのです。55年体制的思考が今なお力を持ち、中道政治への理解が遅々として進んでいないのです。そこらあたりを変えるために更に対話を進めたいと決意しています。(2016・3・20)

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富士吉田での「せんいサミット」に参加して

いにしえの昔から繊維の町として知られてきた地域がいずこも疲弊しきっています。それをなんとか打開しようとの試みが12日に、山梨県の富士吉田市ふじさんホールで開かれました。その名も「富士吉田せんいサミット」。私も参加してきました。そんな会合になんでお前が行ったのかと訝られそうですね。理由は三つほどあります。一つは、この催しを仕掛けたコンサルタント会社のアドバイザーという立場を今年から頂いているからです。要するに仕事の一環です。二つ目は、私は現役時代、繊維産業振興のための議員連盟の中心者のひとりだったのです。つまり関心がかねてあったということです。三つめは、富士山を間近に眺めてみたいという観光地への興味です▼この日のメインは、パネルディスカッション「日本の繊維産業のグローバル化にむけて」でした。日本の繊維産業を盛り上げていくための第一歩として国内繊維メーカーの優れた技術を再確認すると共に、今後のブランド化やグローバル展開の可能性についてパネリストと議論しようというもの。舞台の幕が開くと同時に驚いたのは、パネリストの多彩さです。スウェーデンから女性デザイナー3人。アフリカ系フランス人の男性一人。それぞれにスウェーデン語、フランス語通訳がつくという豪華さ。他方、日本人パネラーもパリを中心に活躍する若手デザイナー・中里唯馬さんをはじめ、国内繊維産地を代表して、富士吉田市、栃木・足利市、山形・米沢市、石川・小松地域、岩手・久慈地域から10人もの参加者が壇上に。二段に分かれてテーブルやいすが設えられていたのには目を奪われました▼この会で改めて認識したのは、日本の素材と技術力への評価の高さです。外国人デザイナーも日本の産地業者や自治体関係者も一様に語っていました。今後の展開で最も期待されるのはネットワーク化でしょう。それぞれが個別で戦うよりも横の連携を強め、お互いに繋がっていくことの大事さが強調されました。兵庫県は西脇市を中心にして播州織が有名ですが、御多分にもれず苦戦しています。ここもぜひ繋がって連携プレーをするべきだと思った次第です。この日は東日本の産地ばかりでしたが、次は西日本でも結集していきたいものです▼かつての大量生産・大量消費の時代にひと区切りがついて、個性化・差別化が進むと見られていましたが、ユニクロに代表される低価格、着易さの一大流行で結局は逆戻りの傾向が否めません。しかし、片方で高品質のブランド化も求められています。メイドイン日本で少々高くても良いものはどんどん売れるということは必ずあるものと確信します。終了後に開かれた情報交換会で、多摩美大の学生さんや地元高校生たちと会話を交わしました。漫画を入れ込んだり、デザイン性溢れる名刺を見ながら、若い世代に大いに期待したいとしきりに思いました。開会前の束の間に、新倉山浅間公園に行きました。有名な「忠霊塔」越しの富士山を観ようとしましたが、生憎の曇り空で見ることは叶いませんでした。しかし、この塔は中世や近世に作られた歴史的建造物ではなく、戦後に作られたものと知り驚きました。姫路城に平成の城下町を作ろうと提唱してきた私にとって、今からでも遅くないと意を強くしたのです。ともあれ繊維産業でも観光でも様々な意味で知恵を出し合うことの大事さを学びました。(2016・3・15)

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今そこにある零細市場の危機を救うために

私の住む町の中に小さな市場があります。少し前にはあちこちにこうしたところはあったのですが、最近はすっかり姿を消しています。大型スーパーの進出で次々と店じまいをしていったのですが、うちの町内にあるこの「フレッシュ新在家」という共同組合市場は今なお頑張っています。野菜、肉、魚、お菓子、パン、総菜、クリーニング屋さんがテナントや組合員としてお店を出しているのです。入口近くにお寿司屋さんがあったのですが今は休業中であったり、借り手募集中の張り紙のあるお店跡があるなどいささか元気のない雰囲気が漂っています▼実は私が顧問をしているAKR(オール小売共栄会)は、町の中にあるこういう市場を蘇えらせるためのものです。一店だけではとても大きな企業に太刀打ちできないところを共同で立ち向かおうというものです。商品を複数の市場による共同で仕入れ、配送し、保険をも掛けあおうという素晴らしい発想による仕組みです。これこそ零細、小企業を救う手だてとして注目されます。二十年ほど前からこの団体に私は関わってきており、以前からこの「フレッシュ新在家」にも加入を勧めてきましたが、なかなか受け入れられませんでした。それがこのほど加入の意思を示してきました。それだけ事態は急を告げおり、経営実態が厳しくなっているのでしょう▼実は去年、石破茂地方創生担当大臣に会って、保険を活用して零細企業の与信能力を高めるという「AKR方式」を全国展開すべきではないかとの政策提案をしました。彼は大いに関心を持ってくれました。私が現役であるなら、AKR方式の導入推進を国会の委員会の場で迫りたいところですが、残念ながら叶いません。で、後輩たちに託しています。第一弾として先日、濱村進代議士(近畿比例ブロック選出=私の後任)に予算委員会第七分科会で取り上げてもらいました。新人らしからぬ堂々とした質問ぶりでした。さすが元野村総研出身だけのことはあります。しかし、中小企業庁は、AKRのような共同組合制度を活用する必要性の認識は示しながらも、全国の小規模事業者に周知徹底する難しさを指摘するだけで、具体的な取り組みの方途は示しませんでした▼政府は今、中小企業団体中央会や、その下部機構を通じて中小企業基盤整備機構なる組織を立ち上げ、中小企業の活性化に取り組もうとはしています。これで間に合っているだろうとの安易な姿勢が垣間見えます。しかし、その成果は殆ど挙がっていないというのが実態です。AKR方式の導入こそ起死回生の一打になるということを、過去の実例を示しながら今後も濱村氏をはじめとする後輩たちに迫っていってもらうべく求めていく所存です。(2016・3・4)

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スリランカ内戦から逃れた難民の姿に見るフランスの今

フランスで昨年起こった二つの事件は現代世界を根底から震撼させています。極東の離れ小島といっていい日本列島にいると、どうしてもテロは臨場感が乏しいことは否めません。アメリカ同時多発テロの「9・11」から15年ほどが経っていますが、あれ以来世界は基本的にはテロ戦争が続いています。テレビの映像や映画を通じてしか、フランスで起こったことはどうしても他人事としか見えないのはいかんともしがたいところです。であるからこそ、積極的に映像を追うように心がけています▼最近観たフランス映画『ディーパンの闘い』は、基本的にはスリランカの「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)による同国の内戦の余波を描いているものです。2015年のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた作品ということもあって興味を持ちました。スリランカは1983年から2009年にかけて政府軍対非政府武装組織による内戦が続きました。終結してから7年ほどが経とうとしています。映画は、内戦で妻もこどもも失った主人公ディーパンが戦禍から逃れるために、同じ運命におかれた女とこども(それぞれ赤の他人)を連れて、偽装家族の形でフランスに脱出するところから始まります▼正直いって半分くらいまではおよそ退屈でした。いわゆる戦闘場面がなく、逃げのびたフランスで淡々と落ち着くまでの生活が描かれるだけだからです。心理的葛藤の妙味を味わうのが苦手で、テンポの速い活劇展開にしか興味がない向きには睡魔との闘いすら忍び寄ってきます。しかし、後半は一転。現代フランスの荒廃した社会状況に3人が巻き込まれ、目を見張る展開ぶりです。当初は壊れかけた難民親子の関係がむしろ強い絆を持つべく鍛えられていくストーリーの流れや深みある心理描写は、さすが伝統を持つフランス映画だけのことはあります▼かつての仲間から、帰国して戦いに再び参画するよう呼びかけられる場面が挿入されています。だがディーパンはそれを断り、その後のスリランカの様子は一切出てきません。一方、フランスでのイスラム過激派によるテロをめぐる状況を想起させるような動きも出てきません。舞台は少し以前のことだからです。その意味ではあくまで偽装難民の行く末は疑問だらけです。最後に家族に赤ちゃんが誕生。フランス映画らしからぬとってつけたような幸せ観が漂いますが、私的には妙な違和感を持ちました。見終えて、スリランカの今や、フランスの今に真正面から迫る映画がもっと観たい。もっと両国の真実がしりたいとの思いが募ってきます。(2016・2・23)

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「日本版DMO」の先駆・豊岡市に刺激を受ける

先日テレビを観ていると、中国で沢山の人の関心を集めているサイトの事が話題になっていました。ある中国人女性レポーターが日本の各地を回り、様々な事を紹介していたのです。例えば、日本に旅をした中国人に訊いた質問は➀これを食べたら死んでもいいというくらいとりこになった食べ物は何か➁町の中で見た風景で一番感動したものは何か➂日本で一番好きな風景は何かーというものですが、みなさん、一番多かった答えはわかりますか?➀ラーメン➁スクランブル交差点➂田園風景でした▼中国は今が日本での旧暦のお正月。春節といってお休みのシーズンで、大勢の旅行客が日本中に溢れています。先のテレビ報道でも、”爆買い”と称する大量の消費の仕方、食べ物をあたりかまわず散らかしたままの食卓、商品をやたら触りまくったりするマナーの悪さなどが取り上げられていました。私の知人は以前に温泉宿で中国人と思しき一行と鉢合わせになり、その体の洗い方に戸惑ったとの体験談を語ってくれたことがあります。かつての日本人も似たり寄ったりだといって涼しい顔ならぬ、暖かい心でやり過ごす人もいるでしょうが、日本の観光地はそれなりの対策をとろうと今真剣になっているようです▼先日、観光庁が大阪の国際会議場で開催した、シンポジウム「日本版DMOの形成に向けて」に参加して来ましたが、なかなか啓発されました。DMOとは、Destination Manegement/Marketing Organization の略で、地域の観光のマネジメントとマーケティングを一体的に行う組織のことをいいます。観光客を誘致するための戦略策定から、マーケティングやプロモーション、品質管理などを行う事業組織で、欧米やアジアではすでに一般的になっているようです。日本では市町村の行政や地域の観光協会、そして旅行業者がそれぞれバラバラで取り組んできた傾向が強く、なかなか地域主導の戦略策定やマーケティングは行われてきていません。ようやくここにきて地域主導の「着地型観光」が注目されてきており、「瀬戸内海島めぐり協会」にかかわる私も、刺激を受けて参考にしたいと考えて参加したわけです▼シンポジウムでは豊岡市の副市長の話が一番ひきつけられました。城崎温泉を抱える同市ではこの数年でインバウンド客が倍増。見事な実績を上げています。中国などのアジアではなく、欧米の観光客にターゲットを絞るなど戦略性が光っています。ここはコウノトリの放鳥などかねて先駆性に富んだ町づくりで話題を提供してきましたが、改めて行政と地域が一体化した取り組みに目を見張る思いでした。兵庫南部の淡路島としても北部に負けない取り組みをしなければ、と決意を新たにしたしだいです。(2016・2・14)

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映画『最愛の子』を観て日中相互理解に思いをはせる

3歳児の男の子が誘拐されてしまい、必死で親が探す。その間の心の葛藤と人生模様。垣間見える社会の暗部。世の中の仕組みとの軋轢。ありとあらゆる社会的問題が提起される。3年間の悪戦苦闘の末にやっと取り戻す。しかし、そこからまたもっと深刻で新たな問題が発生し、本格的な苦しみや闇の世界の展開が始まる。はらはらドキドキしながらの二時間余り。いろいろと考えさせられ、少々疲れたが映画の面白さを堪能した。香港映画『最愛の子』を観ての感想だ▼大陸中国の今を映像を通じて知りたいと、観に行った。どこにでもある夫婦の離婚。地方の貧しい生活の実態。零細な個人商店の厳しい生活。年老いた親の面倒をみる子のつらさ。私たちの身のまわりでも日常的に見られる風景と基本的には同じだ。違うのは、基本的には一人しか子どもを持てない中国の国家政策がもたらすひずみ。人身売買などのビジネスやら子を連れ去られた親たち相互の励ましあいの会の存在などは、日本人の目と心を奪う▼親が子どもにかける思いはどんな国でも社会でも不変だなあと観入っていた時に、ふと先年の映画を思い起こした。福山雅治主演で話題を呼んだ『そして父になる』だ。こちらは、誘拐ではなくて病院のミスによるこどもの取り違えだった。そして現代日本での父親のあり方というものが問われていた。共通するのは、実の親と育ての親と子どもとの親近感の差。映画そのものの出来具合は、多少の救いを感じさせたのと救いがないものとの違いだろうか。前者を観て私は自分の父親としての過去を反省させられた。後者を観ての感想は、日本人で良かったとの思いを禁じ得ないこと▼今私は今年から所属することになった一般社団法人「安保政策研究会」のリポート誌に寄稿する文章を書き進めているところだ。テーマは「一中国学徒が見た日中関係の50年」というもの。昭和43年(1968年)創価学会学生部総会で池田大作会長(当時)の講演を聴いて中国問題に開眼していらいの経験をまとめている。かつての日中友好ムードが今はなく、相互に反目の連鎖が目立つ。これをどう解決するかに心を砕いている折にこの映画を観たわけだ。結論は、子を持つ親としての感情の輪の広がりを大切にするところにあろうかと思うに至った。映画芸術がもたらす効用は少なくない。文化交流こそむつかしい国家間の相互理解を進めることを改めて確信した、(2016・2・9)

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衆参ダブル選挙は認めるのかと問われて

先日都内で開かれたある研究会(元官僚やメディア関係OBの集い)に初めて参加しましたら、会合の終わり近くなって著名な政治評論家の方から「衆参ダブル選挙は創価学会としては許容出来るのでしょうか」との問いかけを突然に頂きました。安倍首相やその周辺から、その雰囲気がそこはかとなく漂ってきており、メディアでも囁かれているからでしょう。私は、「今は地方に住む最先端の一会員ですから」とお断りしながら、個人的な見解として「(首相の専権事項ですから)やるとなったら、最終的には従うしかないでしょう」と至極当たり前の答え方をしておきました▼もちろん、衆議院と参議院の選挙を同時にやるというのは議会制民主主義、二院制の主旨、基本精神から言って邪道であり、望ましい政治選択ではありません。ただ、「許せない暴挙だ」とかの感情論で済む問題ではないでしょう。一般的な常識に抗して、首相が自らの政治運営にとって最適と判断してその手を打ってきたら、受けて立たざるをえないのが与野党すべての”さだめ”なのです。もちろん公明党は最後のぎりぎりまで、衆議院解散に大義名分がない(今の時点では)ことを訴えるに違いありません。断固反対の立場は当然です▼安倍首相が仮にダブル選挙を仕掛けてくるとしたら、その狙いは何でしょうか。自然に任せて参院選をすれば、自民党が議席を減らし与党で過半数を獲得する可能性が低くなり、かつてのように衆参ねじれ現象が再現するとの見方があります。それを防ぐには、政党勢力の体力が弱いほど一般に勝ち目の少ない(逆にいえば体力のある自民には有利とみられる)ダブルに賭けるということでしょう。衆議院の現有勢力に参議院の結果が引っ張られるに違いないとの見立てです。その背景には、衆議院での3分の2の議席を与党で有しているチャンスをみすみす逃したくない、一気に参議院でも多数議席を得たいという願望が透けて見えるのです▼要するに、憲法改正へのあくなき欲求が安倍・自民党には根強くあります。私は衆議院憲法調査特別委員会に長く身を置き、憲法への関心の高さは人後に落ちないつもりです。憲法を不磨の大典として一切触らないということではならないと思います。我々平成の今に生きる日本人の手で新たに憲法を作るべきだというのが私の持論です。しかし、あくまでそれには国民的合意が背景になければなりません。優先されるべきテーマは「9条」ではありません。現行憲法の中で、制定時には想定されていなかった項目を新たに加えたり(環境権)することが想定されます。それでは安倍首相らに利用されるだけというのは、いわゆる敗北主義ではないでしょうか。後ろ向きの姿勢で課題を先送りすることがあってはなりません。憲法のあるべき姿をめぐっての国民的大論争が待ち望まれているのです。(2016・2・3)

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医学を基礎とするまちづくりへの貢献を誓う

さる22日に奈良県橿原市で「MBTコンソーシアム研究会設立記念シンポジウム」が開かれ、私も参加してきました。これは一言でいえば、医学を基礎とするまちづくりをしようという奈良県立医科大、橿原市や関連企業有志によるシンポジウムです。これを仕掛けたパシフィックコンサルタンツからの要請を受けた私もあれこれと協力を致しました。辻哲夫東京大特任教授の記念講演や内閣府からの来賓派遣を依頼したりしたのです▼この研究会を立ち上げた中心人物は細井裕司奈良県立医科大学長(理事長)です。耳鼻科の研究で名だたる成果を上げている医学者ですが、同時に多彩な行動(2014年に内閣府の地域活性化モデルケースの採択を受けたり、2015年には橿原市との間で連携協定を締結、2021年には大学近接地域の再開発を目指すなど)で脚光を浴びています。医学関係者による知識の供与や示唆を活用して異業種による多様なアイデア創出を競おうという試みは大胆で、これからの高齢社会にとってきわめて魅力的です▼この日の会合で圧巻だったのは、この大学における教授たち69人が勢ぞろいしたことです。講演の中で学長が一人ひとりを名前で呼んで紹介するなど画期的なことでした。20世紀は工学を中心とした産業が支えてきたが、21世紀は医学を中心とした産業が社会や町づくりをけん引することになるとの予測を裏付けるかのような印象を強く受けたしだいです▼私が厚生労働副大臣を務めた時の事務次官で、日本の医療制度改革の中心者である辻哲夫さんは、かねがね医師の社会的活用こそ日本の近未来を決定するとの持論を展開しています。高度な知的能力を持つ医師たちが、繁忙極まりない日常の中に埋没したり、金の亡者に成り果てているような現実は、日本の損失以外なにものでもないというのです。世界で類例を見ない少子高齢化の道を邁進する日本の未来は暗澹たるものがあります。「医学の徒が今こそ日本各地で総立ちになることが21世紀の日本を救う」という辻さんの主張(医者が医療の世界だけにとどまらず社会的貢献をすること)は、まことに鬼気迫るものがあります。辻さんと私は今の立場は違えども、お互いに全魂込めて医学の持つ力を引き出す役割を果たそうと誓い合い、硬い握手を交わしました。(2016・1・24)

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