オリピック観たな台風宙返りー柄にもなく川柳(俳句かも)を口にしてみました。というのも台風10号は当初に予測されたコースを全く変えて、途中でぐるっとUターンして南下したあと、再び北上するという変則的な動きを見せたからです。この夏もほぼ終わりになったので、私の夏休みを振り返ってみます。7月25日に上京して、国交省海事局や一般社団法人 日本旅行業協会(JYATA)に立ち寄り、今当方が考えている淡路島へのインバウンドについて、懸案を関係者と議論したり、お願いをしてきました。とりわけJYATAの志村理事長は七か国語を話す超バイリンガルとあって、私はその出会いは楽しみでした。関西国際空港から転勤されたばかり。豊富な淡路島訪問の経験を語ってくれ、大いに参考になりました▼8月1日から4日間は北海道旅行へ。妻と二人で阪急交通社の団体ツアー(40人ほどの皆さんと一緒)に参加するという私たちにとって初めての試みでしたが、とてもいい天気に恵まれ(行く前と、帰ってからは大雨)、楽しい旅でした。ここで私が感じたのは、バスガイドさんの力です。エルム観光バスに全行程お世話になったのですが、入社3年目の若いお嬢さんガイドの案内力たるや凄まじいとしか言いようがないほどのものでした。登別温泉から、富良野、美瑛を経て層雲峡から温根湯温泉、そして小樽、ニセコ温泉といった旅でしたが、その間ずーっと爽やかに、車窓から見える風景や観光案内から、ありとあらゆるその地にまつわる深くて味わい深い話まで、彼女の話しぶりは実にみごとでした。特に、土地ごとに関係する作家や歌人の作品や和歌をよどみなく諳んじて見せる力量は、もう呆然とするばかりに聞き惚れてしまいました▼あまりに感心した私は、同社のFBに投稿しました。このガイドさんは本当に素晴らしい、と。同社からは、「うちのバスガイドはみんなこうした力を日頃から養っていますと」あっさりとした返事は少々意外でした。3年間であそこまで覚える力は本人の努力もさることながら、社としての指導力も大いに関係すると思われます。バスガイドという職業を今私は大いに見直す必要を痛感していますが、淡路島を始めとする瀬戸内海島めぐりの旅でも、バスガイドやシップガイドが大いなる力を発揮するものと思われます▼この旅での見聞を生かすべく、瀬戸内海島めぐり協会の専務理事として、8月19日に洲本市にある兵庫県淡路県民局を訪問して、県民局長や県観光監と意見交換をしました。その際に、淡路島の観光においてバスガイドの存在を確かめたところ、こたえが「ノー」だったのには驚きました、この辺りにも観光地として大いに名を馳せているところと,まだまだこれからというところとではかなりの差があることを思わざるを得ません。(2016・8・30)
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相手の話を聞くことの大切さを知ったささやかな体験
参議院選挙が終わってやがて一か月。様々な人と対話をしたことが思い出されます。そのうち最も強烈な印象で蘇ってくるのが神戸のU 氏とのやり取りです。彼は阪神淡路大震災の時に何もかも失いましたが、過酷な運命に負けずに立ち上りました。打ちひしがれている被災者に政治が何をしてくれるのかを問いかけることから始め、やがて何もしようとしないことに全人生を賭けて対決したのです。当時国会議員で彼を知らぬものはいないといわれるほど働きかけ、文字通り荒れ狂う活動をしました。その彼を私は忘却の彼方に置き去りにしていたのです▼伊藤たかえ選挙事務所に突然やってこられたときは、全くどなたか分かりませんでした。心温まる支持者の「陣中見舞い」の合間に、まれに文句を云い、抗議に来る人がいます。さあ、「公明党のどこが気に入らないのだ」「断固分からせるぞ」と、身構えました。震災対応から安保法制にいたるまで、彼は政治の「非力さ」や「庶民感覚とのズレ」をまくしたてました。当然のことながら、私はいちいち反発し、口を挟みました。しかし、その途中でやめました。彼が誰かということに気付いたのです。この20年の彼我の差に思いを致しつつ、申し訳なさも手伝ってひたすら耳を傾けていました▼その主張には賛同できぬことも多々ありました。しかし、震災によって人生を根こそぎ捻じ曲げられながらも立ち向かってきた存在感に圧倒されたのです。「今政治家が立ち上らずして一体いつ立つのか」というフレーズは胸に刺さり、耳をそばだたせました。「失われた20年」の言葉に象徴される政治の惨状は、政治家の「課題解決先送り」体質に起因すると常々思っている私は、歯を食いしばって聞かざるを得ませんでした▼二時間余りの後、「もう時間ですから」の事務員の声に促されて帰っていきました。数日後、私がいないときに彼は再びやってきて、公明党に一票投じたことを明らかにしたといいます。私が彼の話をひたすら聞いたからでしょうか。普通、人間は議論をすると、言い負かそうとしてしまいます。私などはいつも何か自分らしさを込めたお話を一方的に話してしまいがちです。聞いてるだけでは能がないとの思い込みがあるのです。私にしては珍しく聞くことに徹した背景には、彼の生きてきた人生への畏敬の念があったからに相違ないでしょう。ということは、あまりそう思えない人には、相も変わらず云いたいことのみ言って自己満足するだけに終わるということかもしれません。いやはや怖いことです。と、反省させられる貴重な体験ではありました。これは今後あれこれと尾を引きそうな予感がします。(2016・8・5)
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憲法観、国家観などの違いを乗り越えて
激しかった参議院選挙が終わってあっという間に三週間が経ちました。近く臨時国会が開かれ、参議院の構成も決まります。また、内閣改造も行われる見通しです。そして、新しい都知事も月内には決まります。ようやく政治の動きが軌道に乗って、仕事を政治家それぞれにしてもらう時が来ました。兵庫が送り出した伊藤たかえさんは、県内でたった一人の女性議員です。一方、民進党の議員は県内でゼロになるなど新たな政治分布図が浮かび上がりました▼女性弁護士出身の参議院議員といえば、かつて公明党の代表的顔であった浜四津敏子さんを思い起こします。私が大学に入学した昭和40年には、二学年上の法学部法律学科に在籍されていました。当時からその向学心の高さは知れ渡っていましたが、弁護士を経て政治家になられてからも多くの人を惹きつけてやまないものを持っていました。伊藤さんも負けてはいません。栴檀は双葉より芳しといいます。当選後のメディアでの登場における受け答えや振る舞いぶりなど大器を感じさせるに十分です。浜四津さんに勝るとも劣らない未来の公明党を築く大きな存在になるに違いないと確信します▼兵庫県の飛躍の背景の一つには、自民党の推薦が利いたということがあります。小選挙区の現職衆議院議員の皆さんを始め、力強い支援を頂きました。なにしろ24年間に培った自公関係はただならざるものがあります。最初の頃はぎこちなさが否めませんでしたが、近過去においては同じ党といっても言い過ぎではないほどの連携ぶりでした。私も自民党候補者を連れて友人宅を訪問するということを幾度もやったものです。そのお返しをしなければ、という思いを濃淡の違いはあれ、自民党関係者は持ってくださったと思います▼ただ、自民党は裾野の幅広いでかい政党です。様々な人びとが当然ながらいます。9年前のこと。参議院選挙で自民党の候補者が、聴衆の前で「この中に公明党の人はいるか。その人はわしの応援はせんでええで」と明言したのです。私は応援演説で、ユーモアを交えてその候補者と高校、大学、ものの考え方、性格、あらゆる面でほぼ対照的に違うが、「共産党が嫌い、民主党には負けない」という気持ちが一緒だと強調して、笑いを取ったものです。ところが、その人は「あんたのところとは、憲法観が違うし、国家観も違う」と連れない言いぶり。確かに憲法9条を大きく変えるとの信念を持ち、どちらかと言えば、「神の国」的志向の彼とは違います。細かく言えば、自公の間の溝は狭くありません。その意味での課題は山積しています。3年後、さらには6年後の参議院選の展望に思いを致すとき、ため息が出ます。そうした障害を乗り越えて、伊藤たかえさんを始めとする新しい仲間たちとスクラム組んで頑張るぞ、と決意しています。(2016・7・29)
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真の意味での安定もたらす「自民対公明」の構図
参議院選挙が終わって一週間が経ちました。私が住み、深く関わった兵庫県での結果は、自民、公明、大阪維新の勝利で民進党が落選。衆参合わせて民進党の議席はゼロとなりました。公明党としてはこれまでおよそ手が届かなかった50万票台に悠々と乗る大量得票を頂き、感謝で身が震える思いです。原因の第一は全国屈指の大激戦ということで、各地の支援者の皆さんの応援のたまものです。第二には、自民党推薦となり、安倍首相はじめ自民党とりわけ県内各地の衆議院議員が親身になってくれた結果です。第三に、民進党候補者は、民進党と名前を変えても有権者の間に不信感が消えなかったことが挙げられましょう▼全体として、自民党がギリギリで単独過半数を獲得したこと、憲法改正の発議に必要な議席を「改憲政党」が獲得したことが話題になっています。ことここに至った理由は、「自公対民共」という政権選択の構図を描いた安倍、山口の与党首脳の作戦勝ちということでしょう。これは選挙に勝つという観点からはやむを得ないことでしょうが、多様な課題を持つ現状の政治状況からすれば、与野党の政策を吟味することが叶わず、あまり褒められたことではありません▼選挙戦が終わってメディアはしきりに「憲法改正」に向けての環境が整ったかのごとくに報じています。確かに従来にはなかった舞台が出来上がったことは確かです。ただ、ここから注意を要するのは公明党のスタンスです。ご承知いただいているように、公明党はいわゆる改憲ではなく、部分的に足らざるを補う「加憲」です。しかも憲法3原理は堅持するーつまり9条は触らないという立場です。ですから、改憲勢力としてひとまとめに括ることには無理があります▼「自公対民共」という枠組みは選挙で勝つうえでは効果的でしたが、政権の具体的運営、政策の細かな展開では、「自民対公明」の対立構図があるのです。もはや民進党に野党第一党としての矜持を期待することは望み薄です。世界観が異なる政党と組むということの非を多くの国民が認めています。ゆえに、これからは与党内野党としての公明党に大いなる期待を寄せる必要があります。公明党は決して自民党の言いなりにはならない党であり、自民党の良いところは伸ばし、悪いところは容赦なく壊す政党であることを天下に示さねばなりません。それこそ真の意味での「政治の安定」をもたらすものだと確信します。(2016・7・16)
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自公の成熟した関係示せ 24年ぶりの兵庫の参院選
参議院選挙の公示日の22日、私は兵庫選挙区の伊藤たかえ候補の事務長として”第一声”の挨拶に立ちました。衆議院議員を引退して3年半。公的な場面での登場は久しぶりです。今回の選挙は、兵庫に住む公明党関係者にとって実に感慨深いものがあります。24年前に定数が3から2へと、1減になって候補者が立てられずとても悔しい思いを味わったからです。ここではその際の挨拶をベースに、大幅に加筆したものを掲載します▼元々公明党は参議院政党としてスタートした経緯があり、兵庫県も三年に一度の選挙を大きな節目として闘いを進めてきました。それが叶わなくなり、以後は大阪を始めとする他地域の選挙区支援を主軸に更にこの間に新しくなった選挙制度に伴う小選挙区の選挙戦に取り組んできました。兵庫は2区と8区の2候補者を擁立し、激しい戦いを挑んできたのです。勝利の背景には自公の全国での選挙協力があったことは見逃せません▼24年前の6月にはPKO(国連平和維持活動)法が成立しています。文字通り世間を二分する大論争を招いた法律です。当時の社会党は反対の意思表示として全議員がバッジを外すという異様な行動に出たものです。公明党は世界の中で日本がいかに生きるか、が問われているとの問題意識のもと、国際貢献を重んじる選択に踏み切り、前のめりしがちだった自民党をけん制しつつ議論を積極的にリードしました。思えば、それは今日の成熟した自公関係に基づく連立政権の礎を築く契機となったのです▼長い年月は政党としての公明党を鍛え上げてくれました。今回の選挙では自公の与党勢力で過半数の議席を得る勝利がポイントです。兵庫では自公間での軋みが報じられていますが、内実はそんなことで崩れるほど、柔な関係ではないと私は信じています。これまでお互いが衆参双方の選挙で譲り合い、助け合ってきた歴史があります。民進党や共産党が安保法制を「戦争法」だなどと、全くお門違いの言いがかりを浴びせていますが、これは24年前のPKO法騒ぎと本質的には同様です。かつての日本は自社対決の”55年体制”で政治の不毛化が増進しました。あれから半世紀。今また民進と共産が組んで自公に挑もうとする構図は、あたかも”新55年体制”へと逆行するかのようなものです。この場面で、与党同士がいがみ合うことがあれば、敵を利するだけということを銘記する必要があります。(2016・6・27)
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「申し訳ない」と「恥ずかしい」とのあいだ
舛添要一東京都知事がやっと辞任しました。一連の出来事を報道で見たり聞いたりしているなかで都民だけではなく全国民が様々なことを感じました。16日の朝刊各紙を見ると、同知事が辞任に追い込まれたことに対して「公明党にやられた」と口にしたといいます。恐らく都議会与党の自民、公明両党の間で協議がなされ、例えばリオ五輪までは持たせるという風な了解がそれなりにあったのでしょう。それが違ってしまいました。舛添氏の言葉には公明党が「不信任決議案」提出に踏み切ったことが流れを変えたとの恨みが込められています▼しかし、こういうのをお門違いというのでしょう。舛添氏を都知事として推薦し、与党として支えてきた政党として、その責任は大きいものがあります。いちいちあげつらうことはしませんが、都民を裏切る恥ずべき行為の連続が天下にさらけ出されてしまっては守るにも限度があります。公明党としてこんな知事を皆さんに推薦してしまったことへの「申し訳ない」という思いが当然あるでしょう▼実は舛添さんとは現役時代に少しだけですがご縁がありました。憲法に関する自公での議論の場で同席し、意見をぶつけあったり、NHKの国会討論会にはそれぞれの党を代表して席を並べて出演したことがあります。彼はその後厚生労働大臣になったり、自民党と袂を別ったりするなど八面六臂の活躍をするわけですが、今回週刊誌報道に接触するまでは正直そんな「せこい」ことをする人物だとは知りませんでした。今となっては、私を含めてそれを見抜けなかった人たちすべて「恥ずかしい」と大なり小なり思ってるはずです。厚労省の当時の官房長などは最もその思いが強いのではないでしょうか▼舛添さんは自分のやったことに「罪をおかしてはいない」との思いが強いのでしょう。しかし、そこは仮に百歩譲ったとしても「恥ずべきことをした」との思いは持ってほしいものです。昨今の様々な不祥事にまつわる当事者たちの会見を見ていて気付くのは、「恥じる」という言葉がでてこないことです。皆さん、「申し訳ありません」とはいっても、「恥ずかしいことをしてしまいました」とは言わないのです。不思議です。恥の文化の凋落は日本の前途を暗いものにしてしまいます▼舛添都知事は「文春にやられた」とのみ言っておけばいいのです。そんな週刊誌に名を成さしめるまで知らなかった私たちは「舛添都知事にやられた」と臍を噛むしかないのです。舛添さんを支持してこなかった野党の皆さんも偉そうに「製造責任論」などを言って、与党に罪を擦りつけてる場合ではありません。都知事のカネにまつわる呆れかえる性癖による一部始終を知らなかったことでは同罪なのですから。(2016・6・16)
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「安定か、不安定か」との究極の政権選択
衆参同日選挙があるかもしれないとの噂が飛び交う中、結局は衆議院解散はないままに国会は閉幕しました。最後の最後まで安倍首相はその機を窺っていたことは事実のようです。解散は首相の専権事項だとはいえ、庶民感覚からすれば党利党略が過ぎるそしりはまぬかれません。解散権を弄ぶ愚が冒されずに、正直ほっとしています。尤も消費税をめぐる動きについては分かりずらさが残ります。安倍首相は二年半ほど先延ばしにしましたが、財政再建の前途はますます混迷を極めるばかりだからです▼先日の共同通信社の世論調査結果(5月末)では、4月末と比較して政党支持率で公明党が大きく支持率を落とした(4・4➡2・5)のと対照的に、自民党は37・2から44・4へと大きく伸ばしました。これはどうしてでしょうか。最後の最後まで山口公明党代表が消費税上げを予定通りに実施することにこだわり、値上げを先延ばしにすることに反対したゆえだとの見方がもっぱらです。民主党政権の末期に自民、民主、公明の三党が苦労の末に合意したことなどは忘れられ、目先の利害に敏感な世論を反映したものと云えましょう。親しい新聞記者も、公明党首脳にもう少し柔軟さがあっても良かったとの感想を述べていました。世論調査に一喜一憂するのは愚かだと分かっていながら、相も変らぬ低空での上下飛行にはため息も出ようというものです▼4日に淡路島で行われた私が専務理事を務める一般社団法人「瀬戸内海島めぐり協会」主催の観光フォーラムに、二階自民党総務会長を招き講演をしてもらいました。彼は永年観光業界に君臨するドンです。終了後の懇談で突っ込んだ意見交換を少人数でやりました。一般有権者は消費税が上がらなくて良かったと純粋に喜んでいるとの見たてを述べると共に、選挙戦略上は消費税問題は深入りしない方が得策だとの考え方を示していました。確かにそういう側面はありますが、財政再建を見据えずに人気取りに走ることへの割り切れなさはやり切れません。同じ政権党でも、予定通りあげよという公明党より、先延ばしの決断をした安倍自民党の方が支持率を伸ばすというのは皮肉なものです。このあたりの政党のスタンス、選挙に向けての政策選択は極めて難しいと云わざるをえないのです▼今回の参議院選挙では、自民、公明の政権与党に対して、民進党、共産党などの野党連合が対峙するという構図が出来上がっています。安定した政治か、それとも不安定な野合政治かとの選択です。政権担当能力のなさを天下に示した民主党が党名を、台湾の政権党と同じ民進党に変えました。その民進党に共産党が手を差し伸べるという野党共闘が模索されています。共産党の本質は革命政党というところにあります。でなければとっくにこの党こそ名前を変えてるはずです。そうしないのは共産主義に律儀なゆえで、皮肉を込めて見上げたものだといいたいです。ということで、日本の民進党は共産・中国と一線を画す台湾の民進党の心意気こそまねて欲しいものです。「安定か、不安定か」ー単純過ぎる二分化には自戒を込めながら、分かり易い選挙の対立軸といえば結局はそうならざるを得ないのです。(2016・6・6)
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流通の常識を変えた男の魅力にはまってしまう
私が現役を引退してはや3年半。今は「観光」や「医療」で地域再生、「環境」で自然再生、「流通」で中小企業を再生することなどに取り組んでいます。議員時代にやり残したとの思いもあって、どうしても気にかかることをやろうとの使命感からです。このうち、町の小っちゃな市場の生き残りにかける、一般社団法人AKR共栄会の通常総会が先日大阪でありました。そこでの研修会で実にためになる爽やかな講演を聴くことが出来ました▼AKRとはオール小売り市場連合の略称で、共同で仕入れ、配送し、保険を掛けることによって大手スーパーに対抗しようとする健気な試みをする団体です。実はつい先日から私の住む姫路市の新在家でも古くからある市場がこの組織に参入することになりました。色んな意味で経営が困難な事態になっていますが、なんとか打開したいとの組合の中心者の思いと、AKR事務局の熱意、そしてこの市場を町の中心に持つ自治会長としての私の思惑の三つが一致したのです。珍しいケースです。わたしには小っちゃなものでも大きい相手に勝てるということを実証し、それを町の再生の起爆剤にしたいという密かな企みがあります▼聴いた講演とは何でしょうか。三浦一光さんというコスモス・ベリーズの会長の「ボランタリー・チェーン戦略の新発想ー弱者を生かす知恵の実践」というものです。この人はもともと松下電器出身。テイチクレコードを経て現在のヤマダ電機との合弁会社を設立しました。流通の常識を変えるビジネスモデルを構築したという知る人ぞ知る”流通業界の革命家”です。80歳を目前にしながら実に若々しい印象。常に笑みを絶やさぬお顔での講演を聴きながら一辺にその魅力に憑りつかれました▼家電メーカーに40年、レコード業界に3年、小売り流通15年の経験から生み出された発想は並ではありません。➊有利な仕入れ価格➋商売に必要な情報➌ヤマダ電機に匹敵する品揃え➍商品の安定供給を基本4項目として、それ以外を受益者負担にし、月1万円の会費制で展開するビジネス手法は今や燎原の火のごとく広まっています。流通業界における中小企業を再生しようとの狙いは全くAKRと軌を一にします。さしあたって私の地元の市場もこのチェーンに入ろうと呼びかけるつもりです。いい人との出会いは人生をより豊かにするということを改めて実感しました。(2016・5・31)
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観光地域戦略を練り、安保の論客らと意見交わす
11日から3日間上京してきました。議員勇退後、三泊四日もかけて上京し、兵庫・姫路を離れるのは初めてです。第一日目は前議員の会主催の講演会や衆議院議長招待の懇親会。講演会のスピーカーは東京農大名誉教授で文筆家の小泉武夫さん。前から私は、日経連載の『食あれば楽あり』の愛読者。この人には「チュルチュル」とか「チュバチュバ」といった意味不明の擬音語を使いまくる変な食道楽の農学博士との印象を持っていました。で、会ってみると、まさに聞きしに勝る「変人」でした。『発酵はマジックだ』との著作をもとに、ちょうど1時間「日本の和食がいかに現代人に適合しているか」、「発酵こそいかに人に健康をもたらすか」を、かなり大げさにまくし立てておられました。終了後の質疑で、元議員の舌鋒鋭い質問攻めに「もっと政治家の皆さんも勉強してください」とちょっぴり焦って切り返されました。ここだけ妙に浮き上がって聞こえたのはご愛嬌でした▼第二日目は、観光庁に行って、日本版DMOのあり方をめぐって観光地域振興部長と懇談をしました。私は今瀬戸内海島めぐり協会の専務理事ですが、このたび淡路島を拠点にしたDMO認可申請をしています。観光客受け入れと物産の生産、販売。国内と海外双方に対する目配り。多くの課題が山積していますが、政府側の狙いにも十分理解を深めることができ、課題解決に見通しが立ちました。夜は、パシフィックコンサルタンツ本社で、地域マネジメント戦略の専門家たちと、徳島のNPO法人・雪花菜(おから)工房の23歳の若き理事長や兵庫県立大客員教授の勝瀬典雄さんらと淡路島の観光や産業育成をめぐって具体的な戦略を練りました。実に刺激的で面白い話を聞くことができました。私なりの結論は「若者を見よ」であり、「古き考えを捨てよ」です。またの機会に詳しく報告します▼第三日目は、「安全保障研究会」の5月定例会に参加してきました。これは元内閣官房副長官で衆参両議員を経験した浅野勝人さんが主宰する一般社団法人で、著名なジャーナリストや外交官らが名を連ねています。この日は元防衛省官房長や内閣副官房長官補を経験した柳澤協二氏が昨今の防衛課題や沖縄を巡る現況について持論を披露してくれました。この3年余り外交・防衛の議論の現場から離れている私には「今浦島」の感無きにしも非ずです。早急にこの方面でも現場感覚を甦らそうと決意を新たにしました。こうした会議や打ち合わせの合間に東京、神奈川、埼玉の古い友人を呼び出したり、尋ねたりをしたわけですが、新たな出会いに感激をして、地元に帰ってからの活力源とするしだいです。(2016・5・15)
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自衛隊の存在や役割の明記をめぐる議論をしよう
今年も憲法記念日がやってきました。私は現役のころに公明党の憲法調査会の座長をやっていました。その当時と今と憲法をめぐる状況は全くといっていいほど変わっていません。「改憲」をライフワークにするといった姿勢の持ち主が首相をやっていますが、それはあくまで「姿勢」であって、道筋がついているわけではないのです。自民党は結党以来その党是に「改憲」を掲げてきたわけですから、昭和30年いらい60年余の実態は、およそ看板倒れもいいところだと思います。首相が焦る気持ちはわかります▼私はいろんな場面で率直な物言いをしてきたことで知られていました。意味のない建前論はあまり気にいらなかったからです。憲法絡みのことで思い起こすのは中曽根康弘元首相と一緒にある会合に出た時のことです。公明党の憲法をめぐる態度について言えというので、「公明党の立場は加憲(カケン)です。改憲(カイケン)とは一字違い。一字だけ取ればいいのですから、改憲ももう一歩です」と述べました。中曽根さんはじめ自民党の面々が大笑いならぬ、大苦笑いをしていたのが印象的でした。これはジョークが少々きつ過ぎたかもしれません▼池田SGI会長が毎日新聞のコラム『発言席』に、憲法に環境権を導入することを提案されてから随分と歳月が流れました。あの時の鮮烈なインパクトは忘れられません。ちょうど米国に議員派遣で行っていた旅先のこと。のちに防衛庁長官として名を馳せた久間章生さんが(この旅の一行の団長だった)、興奮ぎみに「赤松さん、池田先生が改憲に踏み切る発言をされてるよ」と言って、新聞を差し出されたのです。池田会長は「環境」の重要性にかんがみて、憲法が触れるべきだとされたのです。もちろん、憲法9条を変えるなどということではありません。公明党は、全面的改憲派の自民党や口先だけの護憲派の共産党と違って、真実の意味での護憲政党でした。それが、この寄稿文によって、加憲という名の「緩やかな改憲」路線に舵を切り替える示唆を受けることになったといえましょう▼昨3日のNHK総合テレビでの9党の代表による討論会で、北側一雄公明党副代表は、9条堅持を訴える一方で「自衛隊の存在や役割を憲法上、明記したほうがいいという議論はあってもいい」としました。また、昨年、平和安全法制を整備して9条のもとで許容される自衛権行使の限界を明確にしたのだから、「それを超えてまで自衛権行使をやろうとすれば、改正は必要だが、当面、必要はない」とも述べました。北側さんが中心になって作った安保法制が限度ギリギリの憲法解釈だということに、私もまったく異論はありません。だが、私はかつて党内安保議論で、自衛隊の位置づけを明記し、国際貢献などの役割を9条3項としてつけ加えるべきだという議論をささやかながら展開したものです。それゆえ、内外であまり議論が行われていない状況には不満です。憲法9条をめぐってはもっと建設的な議論がなされるべきです。公明党ももうそろそろ「あってもいい」などといったなまぬるい言い方から脱却すべき時ではないでしょうか。(2016・5・5)
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