北朝鮮が去る六日に三年ぶり四回目の「核実験」をやったとの報道が世界をかけめぐりました。これは「初の水爆」ではないかとの見方や、2000年以降に核爆発を伴う核実験を実施した国はこの国だけということもあって、大きく取り沙汰されました。北朝鮮のこうした動きが「核廃絶」を待望する世界の流れに逆行することであり、断じて許容できないことはいうまでもありません▼ただ、だからといって、外は国連やら米国などの核保有大国が、内にあっても与野党がこぞって「許せぬ暴挙」というだけではいかがなものでしょうか。いや、「中国に説得させる」「経済制裁を加えよ」といった対応を迫るとの主張もあります。もっとも、これとて毎回のことで、効果はさほど期待できません。却って孤立化を招き一層の危機的状況に陥るだけとの懸念をするもあります。そんな折も折、朝日新聞7日付一面の「天声人語」欄と「折々のことば」欄を合わせ読みました。これは妙に好対照をなす記事で、強い印象を受けました▼「天人」は、「国際社会での孤立を深めるだけなのに、なぜ暴走するのか」と強調する一方、「世界を驚かす愚挙」との至極まっとうな糾弾ぶり。25年前に天人子が平壌に行った際に握手を交わした、かの国の独裁者と一女性市民の両者の手のひらの感触の違い(温かい柔らかな手と冷たく荒れた手のひら)を比較しながら、北の指導者が「狼藉を働く度に」、「女性の荒れた手が思い出されて悲しくなる」と結んでいました。読み終えて、ひょいとその左上にあるコラムを見ると、谷崎潤一郎の『刺青』の言葉を引いて、鷲田清一さんが面白いことを言っているのです▼それは「世の趨勢からあえて外れるのは損得勘定からすれば『愚』であろう」が、「世の習いにすり寄らない、そんな生き方をも懐深く抱擁する社会は、危機をしたたかにくぐりぬける別の選択肢を用意しているともいえる」と。次元を異にするものの比較であるとは分かっていながら、無視することは出来ず、考えさせられました。北朝鮮が世界の生き方から逆流する「愚」を犯しながら、米国を始めとする国家群に対抗するべく、別の選択肢を用意しているとはおよそ考えられません。しかし、核大国に対して虚勢を張ってでも肩を並べようとする生き方に、「断じて許せぬ」とただ情緒的に反発しているだけでは、こっちのほうも「懐深く抱擁する社会」とはとても言えないような気がしてならないのです。ここは彼我のとことんまでの「知恵比べ」ではないでしょうか。(2016・1・11)
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自公の食違いを追うと、「中道」の本質が見えてくる
新しい年が明けた。新聞メディアの各社説を読み比べてみた。「朝日」は内外の政治が溝を深め、分断が進んでいると危惧する。「毎日」は日本社会が国家主導か、多様な国民の声が反映される社会かの岐路に立っていると憂える。「読売」は安保法制の有効運用を主張。成長戦略を一層強力に進めたいとの現政権支持の姿勢を鮮明にする。「産経」は大型対談に安倍首相を登場させ、「批判されるほど燃える」との大見出しを掲げた。「日経」は、「日本経済生き残りの条件」を論じたうえで、「新たな『追いつき追い越せ』の時代がやってきた」と政権の経済運営に期待を寄せる▼この各社の論調傾向は、一昨年の集団的自衛権問題の閣議決定いらい一段と明らかになってきた。ネット時代の到来で落日の印象が強い「新聞」だが、ここはもっと自公両党の違いを鮮明にあぶりだすべきではないのか。ほぼ50年前から日本の政治に関わってきた者からすると、各紙とも今、政権の一翼を担うに至った公明党への関心度がいまいち低いことに違和感を持つ。安倍政権を非とするものも是とする側も、この政権が自公の連立政権であるといおう当たり前のことを見損なっていないか。政権を攻撃するなら、安倍首相を批判して事足れりではなく、公明党も糾弾されて当然だろう▼安保法制の成立過程にあっても、消費税の軽減税率導入の決定過程においても、公明党の主張や対応があっての結果であるのに、どうもなおざりにされている感が強い。つまり途中経過が見落とされているのだ。かつての自社対決の時代に、安全保障が同じ土俵上で論じられないことの虚しさをどれだけ感じたことか。それがソ連崩壊、「冷戦後」の時代になって、ようやく変化すると期待したのに。結局は元の木阿弥的状況を今の民主党を中心とする野党が現出させている。消費税論争も同様だ。現実的な合意形成を必死に進める公明党があればこそ、憲法9条の枠内での日米同盟の新展開や家庭の台所を守る軽減税率の導入が実現した。そこには自民党政治との大いなる戦いがあった。それを正確に追うメディアがないのはいささか不可思議である▼「朝日」「毎日」が政権批判をするときに、公明党の戦いをどう位置づけているかを、「読売」「産経」が政権を評価する際に、自民に寄りすぎの立ち位置ではないかを注視したい。自公の間で連立政権が壊れるぐらいの論争がなければ、ぬるま湯で満足している野党しか存在しない日本の政治のお先は真っ暗だと言うほかない。自公政治の違いを追う中にこそ中道政治の何たるかがわかってくると私は考える。(2016・1・3)
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万葉学者・中西進さんとの新年からの二人三脚
瀬戸内海の島々をめぐる旅を内外の旅行客に提供しようという壮大なプロジェクトに私がかかわってほぼ2年が経とうとしています。ようやく25日に実質的な船出をすることができました。一般社団法人「瀬戸内海 島めぐり協会」の第一回の理事会が淡路市内のホテルで開かれたのです。思えば衆議院議員を辞してこの年末で3年。その大半の日々をこの協会作りにかけてきました▼まだまだ道は遠いと言うか、航路遥かなのですが、それでも前途に灯が見えてきました。このプロジェクトはまずは淡路島へ海外からの外国人客を引き込もうという狙いがあります。実はかつて関西国際空港から淡路島への定期航路はあったのですが、採算が取れず中断されたままになっています。明石大橋が完成したことで陸路優先の流れができてしまい、海からのアクセスを利用する手だてが後方に追いやられてきたのです。それをなんとか変えたいという志を持った人々で、この集まりは成り立っています▼会長の中西進先生は、この日の会合での挨拶で、ご自分が香川県の生まれであることから、日本の原風景といってもいい瀬戸内海に感慨深い思いを抱いていると、感情込めて語っておられたのが印象的でした。ツアーという言葉が轆轤(ろくろ)を意味し、また旅という言葉も回るという意味合いを持つことを明らかにされ、島めぐりこそ旅の原点であるという趣旨を述べられたのも大いに心を打つものがありました。中西先生とはつい先日京都の右京区立図書館で開かれた月例の「映画鑑賞会」でご一緒しました。島めぐりの打合せで訪れた際に、「時間があるなら、映画『ニューヨーク八番街の奇跡』を見ていかないか」とのお誘いを頂いたのです。終了後に中西先生ご自身が解説をされることになっているというのです。50人ぐらいの市民の皆さんと一緒に鑑賞したあとの即興での映画評論は実に鮮やかで、心底から感銘を受けました▼総合雑誌『潮』の新年号では、巻頭のずいひつ『波音』に中西先生の新連載「こころを聴く」が始まりました。第一回目の「原点」では、ご自身が社会人として初めて務めた都立の夜間高校の教師時代の経験を語っておられます。わずか一年で頓挫してしまった教師として生活での切ない思いは読む者の胸を打たずにはおきません。しかもこの地が「東京都の大田区、森ケ崎という海辺での思い出である」と締めくくってあったのには、驚きました。結論部分の5行が次ページに跨って掲載されている(読み始めの最初は気が付かない)のも”編集の妙”と言えるような気がしてならなかったのは私だけではないと思います。これから一年、この随筆を読みつつ、また京都での映画評論を聴くのを楽しみにしながら、島めぐりの仕事を先生と二人三脚で進めていきたいと密かに心弾ませています。(2015・12・26)
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前議員の会で熱い論争や画期的提案をした後に……
14日から二泊三日で上京しました。顧問先の仕事をこなすことが主たる目的でしたが、偶々最後の日に、恒例の「前議員の会」が行われるとの案内がありました。これは年に二回開かれており、毎回、議員会館で学者の講演を聴いた後、衆議院議長公邸で懇親会があります。私は議員を辞めてから3年が経ちますが、今回初めて参加しました▼今回の講演は、京都大学名誉教授の中西輝政氏の『危機に立つ日本の安全保障』でした。外交安全保障の分野に長く携わってきましたから、この人の著作はそれなりに読み、講演も幾度か聴き、言葉も交わしたことがあります。『大英帝国興亡史』など胸躍らせて読んだものです。講演のなかで「私は歴史学者でした。ベルリンの壁の崩壊後、激動する国際政治の渦中に巻き込まれてしまい、ようやくこの2~3年は元に戻りました」と述べられたのが印象に残りました。かつて、中西さんが産経の「正論大賞」を受賞された際のパーティの席上、「先生は最近過激すぎますね。以前とは変わられましたね。少々ついていけないとの声がありますよ」と直接話しかけたことが懐かしく思い出されました▼5~60人が参加した懇親会ではオールド・ポリティシャン同士での昔話に花が咲いていました。私も多くの人と会いましたが、元官房副長官や元外務副大臣を経験したA氏とは熱が入った対話をしました。というのは、安保法制をめぐって「公明党は二の字に二の字の下駄のあとですね」、と挑発してこられたからです。山口那津男代表が連立離脱はないと決めて交渉に臨んだことを主に指しているようです。私はそれがあったからこそ安倍首相の譲歩を可能にしたのではないかと反論する一方、「それよりも自民党内に全く論争が起こった風に見えないのはどういうことですかね」とやり返しました▼大島理森議長には、衆議院議員を辞めたら名誉衆議院議員との名称を考えるべきでは、と提案をしました。大学の名誉教授のケースを習って、と言いかけたときに、会場に新たに福田康夫元首相が入ってこられたので中断してしまったのは残念でした。様々な思いを抱きながら会場を後にしました。それから二日後の18日。森本晃司元建設相が亡くなったとの驚くべき報が飛び込んできたのです。あの日顔を出されており、言葉も交わしました。「奈良の観光案内をするからぜひお出でよ」との温かい言葉も頂き、こちらは「近く仕事で橿原に行きますよ」と報告したものでした。お元気そうに各テーブルを回って、多くの人と挨拶を誰よりも熱心にされていた姿が目に焼き付いています。亡くなられたなんて今なお全く信じられません。天を仰ぐのみ。人の命の無常さを改めて実感します。(2015・12・21)
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新聞社と大学との連携への熱い期待
新聞社と大学。この二つが一緒に地域貢献をしたいという連携協定が結ばれました。どちらも社会の木鐸、つまり先駆的に牽引する役割を担う集団ですから地域社会にとって非常に結構なことだと思います。友人からそれを記念してのシンポジウムがあるから、行かないかと誘われたので、二つ返事で承諾しました。具体的にはさる五日に神戸新聞社と関西学院大学の間で結ばれました。神戸を根城にする両者が生き残りをかけて世に問う試みと大いに共感をしました▼新聞社は今や存亡の危機にあると私は思います。世にいう「活字離れ」から、紙の文化は絶滅寸前です。新聞に代わって電子媒体が隆盛を誇っています。大学も象牙の塔に籠ってるうちに、もはや無用の長物と化しつつあります。知識や知恵を得る手立てはあまた満ち溢れており大学に頼る必要性はあまりないというのが現状なのです。そういう現状を覆すために、神戸新聞は「もっといっしょに」という地域パートナー宣言を打ち出しました。地域社会の皆さんと「もっと近く、もっと深く」付き合いたいとの願いを込めたキャッチです。よくわかります。これまで「遠く、浅かった」し、一体感とは遠かった関係を変えたいという思いです。一方、関学は理工系の産官学連携だけではなく、文系の地場産業との連携や学生の活動での地域活性化の推進をうたっています。「社会に開かれた大学とするために」、「大学における研究成果や人材等の知的資源を地域社会に提供する」というのです。そうでしょう。あまりにも大学と地域社会は迂遠な関係にあったのです▼この日のシンポジウムでは基調講演に村尾信尚関学大教授(ニュースゼロのキャスター)が登場。テロ後のパリで、これからの世界の行く末について考えたことを披露されました。少子高齢社会に突入する日本が、GDPが世界のなかでわずか4,3%しか占めていない状況で、海外ともっとつながることが大事だと強調、聴きごたえある問題提起でした。新聞社も大学もグローバル社会の中で国際化にどう対応するかが問われています。その一方で、どちらももっとローカル社会で個別の課題への対応力が問われているのです。いわば遠心力と求心力の双方が同時に求められているのが現状でしょう。村尾さんが海外ともっとつながることを強調されましたが、大学と新聞社の関係者はもっと地域社会との連携を密にすることが大事だと訴えていました。見事に基調講演とは反対の方向を向いたパネラーの主張には笑ってしまいました。恐らく時間がなくて、グローバルとローカルの両方向を見据えた話には及ばなかったのです▼事前の打ち合わせ不足も原因だったかもしれません。せっかくの機会だったのだからもっとかみ合った議論が聴きたかったというのが本音ですが、まあご愛嬌でしょう。私からいわすれば新聞社は記者ではなく幹部が一般大衆の中にもっと入ること、そして大学は学生だけではなく、教授が率先して社会の渦の中に入れば、かなり一般の受け止め方は変わると思います。そのあたりの壮絶な撃ち合いが聴きたかったのですが。まあこういう催しは一回だけではなく、引き続きおこなわれるべきでしょう。次回に期待したいと思います。(2015・12・11)
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共産と公明の熾烈な争いを予感させる世論調査結果
先月末に共同通信社が発表した世論調査結果が気になりました。政党支持率において、公明党が4.0%、共産が4.2%と、ほぼ同じに位置していることがです。このところは殆ど相手にならないと思い込んでいた同党ですが、なかなか侮れないものがあるというのが率直な印象です。現役のころから付き合いのある記者に訊いてみました。「公明党にとって来年の参議院選挙では共産党が当面最大の敵だと思うけど、このところの動きは不気味だね。どう思う?」って。彼の返事は「うーん。軽減税率をびしっとしたものに決めないと、大変かも」というのが答えでした▼先の国会での安全法制をめぐる論議を通じて、かの党はひたすら「戦争法案」というレッテル張りに邁進しています。「平和の党」ならぬ戦争推進を図る公明党との負のイメージ作りに総力を挙げているというのが実態です。加えて、このところ野党共闘に向けて、民主党に対して、安保法制廃止を実現する「国民連合政府」への参加を呼び掛けています。およそ締まらぬ野党陣営にあって、共産党が久方ぶりに旋風を巻き起こしそうな気配です▼ただ、この党は全てを自らの革命のために利用するという「微笑戦術」をとる政党だということを忘れてはなりません。よもや民主党がそこを見間違うことはないと思いますが、”貧すれば鈍する”のことわざ通り、その票欲しさに擦り寄ることもあながち否定できないのです。私の住む姫路では元外相が先日民主党を離党しました。左翼バネを利かせすぎる岡田党首にいや気がさしたと語っていますが、沈みゆく船を敏感に察知した動きとして少なからぬ注目に値します。ともあれ、参院選で定数が1や2のところでは野党共闘が大いなる威力を発揮しますし、3以上のところでは、共産党と公明党の戦いが随所で火を噴きそうです▼安保法制でも公明党が体を張って戦争推進に歯止めを掛けたし、消費税の軽減税率でも文字通り庶民のためになる仕組みつくりに懸命の知恵を振り絞っています。共産党などただ安保法制反対、消費税上げ反対を叫ぶだけで、具体的な戦いなど元よりゼロです。消費税の軽減税率導入については財源問題が大きく横たわっており予断は許しません。今の与党内の攻防に目を凝らすことが何より大切です。傍観して反対するだけの政党の戦術、戦略に騙されてはならないのです。(2015・12・5)
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早朝の倉敷での講演で二つの戦後の意味を語る
縁とは不思議なものです。先月末、倉敷市倫理法人会の早朝6時からの講演会に出ました。以前に姫路で開かれた上甲晃さん率いる会の今年の総会に出て、たまたま知り合った橋啓一さんという同倫理法人会の会長から依頼を受けて、二つ返事で承諾してしまったのです。なにしろ晩秋の早朝です。しかも岡山県で。どうしてオッケーしたか。ひとえに彼の笑顔に魅入られたからです。想像にたがわぬ素晴らしい人でした。前夜にやはり同会が主催された講演会(賢人塾代表の田端俊久さんが講師)にもお招き頂き、二時間ひたすらメモしながら聴きました。なかなか破天荒なお話で、最大の論点は近く大変事が日本に起こり、恐らく東京オリンピックは開催が難しくなるというものでした▼私の講演は、「二つの戦後から何が見えるか」という題で、いたってまっとうな持論を披露しました。二つの戦後とは、戊辰戦争とアジア太平洋戦争です。前者は日本最後の内戦ですが、江戸幕府の終焉と明治維新をもたらしました。後者はある意味で、対米100年戦争の決着で、西欧近代による日本近代の敗北とも言えます。私は日本社会が40年周期で興亡を余儀なくされてきた経緯を述べました。「富国強兵」で40年、日ロ戦争で勝利した日本はやがて80年の後に一国滅亡。そして「富国強経」(経済至上主義)で40年の栄華を誇っても、やがてその40年後、つまり2025年の少子高齢化のピーク時には今再びの危機に瀕するというものです▼それを回避するには、「富国強芸」の国家目標のもとで、芸術、文化立国を目指すしかないというのが私の主張です。加えて、欧米哲学(キリスト教をプラス)を乗り越える、日本思想のモデルチェンジをもたらす変革作業が欠かせないとも力説しました。手を変え品をかえて今私が強調していることを30分あまりで概説したのです▼この倉敷倫理法人会は全国で6万人ほどの会員を擁する一般社団法人「倫理研究所」の下部機構です。早朝から20人余りの会社経営者の皆さんが元気いっぱい集まられ、熱心に私の拙い話を聴いてくださいました。私や皆さんに共通するのは、今のままでは日本は危ういという問題意識です。生まれて初めての早朝講義の担当をしましたが、実に爽やかな気分に浸れることができました。このご縁は必ず大きく輪を広げるものと確信して会場を後にしました。(2015・12・1)
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健やかに生きられる地域作りへ大競争の始まり
ウエルネスマネジメントー少子高齢化、人口減少が進む中で注目される事業分野です。健やかに生きることができる町づくりとでも言えましょうか。厚生労働省の仕事を7年前にしていらい、わたしも関心を強めてきたのですが、このところ急速にその課題解決に向けて具体的に取り組む必要性に駆られています。先日も上京してその道の専門家たちと意見交換をしてきました。日本を代表する研究者(東京大学特任教授)並びに直接その事業に従事するコンサルタント会社の幹部たちとです。なかなか魅惑的な面白いひとときでした▼この問題を考える上で、中心に置かれるべきものは⓵医療・介護の集約⓶新たな産業の集積、整備⓷健康地域への転換ーの三つだとされています。要するに、医療、介護がワンストップで得られるような地域包括ケアシステムが確立されることが第一。次に、その地域に適応した新たな産業をそこに集めることです。そして最後に、その結果として雇用や新規の事業が創出され、若者が永住したくなるような魅力を持った町づくりをすることでしょう。この日の懇談の中で話題の一つに上がったのは、空き家、空き地対策でした。空き家を古くて邪魔なものとして建て替えてしまうのではなく、古き良きものとして再生させることの大事さが強調されました。かの人気テレビ番組の「ビフォア・アフター」の全面展開でしょうか▼いま、具体的なモデル事業を実施される候補地として考えられているのは奈良県橿原市、岩手県矢巾町です。こうした自治体は共に奈良県立医科大や岩手県立医科大など大学が存在し、そういった事業の先導役をするべく意欲を示しています。様々な企業群がこれから名乗りを上げてくることになるはずです。また、こういった事業展開のために必要不可欠な人材育成も集中的になされねばなりません。懇談のなかで、候補地の当事者の間では、はやる気持ちばかりが先行して、具体的な構想の中身が明らかになっていないことが指摘されました。集中的な議論の不足です▼聴いていて、私の地元姫路市での県立病院新設問題が思い起こされました。県立循環器センター病院と民間病院の統合を通して新たな地に基幹病院を新設しようというのですが、大事なのは医療関係者、行政、そして一般市民を巻き込んだ広範囲な地域医療に向けての議論です。どういう町づくりをするのかを合わせ論じないと、単なる場所選びではまったく意味をなしません。姫路には医科大がないという欠陥があります。そのマイナスをどう乗り越えて、立派なウエルネスタウンを作るか。他人ごとではないと強い決意を改めて持つにいたりました。思えば、住民みんなが自分の住む町の再生に向かって競争しあう時代の幕開けです。(2015・11・21)
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現代社会を覆う不審、不安、不満を誰が払しょくするか
20年来の友人であるAKR共栄会(オール小売り連合=小売業に共同で仕入れ、配送し、保険をかける画期的な仕組みを進める一般社団法人)の河田正興専務理事と現今の政治、社会、経済をめぐって話し合いました。さる13日神戸市内で開催された公明党の赤羽一嘉氏のパーティに出席する前のひとときのことです。河田氏は私と同世代。日本なかんずく関西圏の中小企業の実態を知り抜いています。大企業との格差は歴然としているだけに、政権の経済運営はなかなか難しい舵取りが迫られているとの認識を持っています。加えて日米、日中関係を始めとする外交課題は山積しています。つまり政党の力関係とは別に、日本の底流には不安定さが付き纏っており、まさに今は正念場だとする厳しい見方です。その直後に二人揃って太田あきひろ前国土交通大臣の20分ほどの演説を聴きました。いつもながらの鮮やかな演説で、聴いていて気持ちいいものでした▼民主党政権時代の不始末から公共工事は行き詰まりすべてが閉塞してしまった。ようやく今、それがアベノミクスで一気に息を吹き返した。国外からの観光客も当初の予想を上回り2000万人に迫りそうで、大いに活気が出てきているというものでした。聴くもの皆がこれからの日本の前途に大いなる希望が持てそうな勢いが感じられる演説でした。ただ、河田さんとのやりとりにあったように、我々の日常にはそこはかとない不審が漂っています。それを太田さんの演説が払しょくしてくれたかどうか。私には何か足らない、これでいいのかとの不満が残りました。彼独特のリズミカルな熱弁が触れていないことへの不安でもあったように思えました▼来年は参議院選挙の年ということで今各党とも準備に余念がありません。公明党もすでにほぼ陣容を整え、機関紙にその候補者一覧がお目見えしています。選挙区には東京、埼玉、大阪の現職3人に加えて、神奈川、愛知、兵庫、福岡に新人を立て、合計7選挙区に挑みます。顔ぶれはまことに多彩かつきらびやかな経歴の持ち主ばかりです。比例区も定数48に対して現職5人に新人1人の計6人が挑みますが、これまた実力十分の素晴らしい面々です。私はかれこれ50年公明党の選挙をサポーターや取材記者として、あるいは候補者として関係してきましたが、これほどの人材が結集したのはこれまでにないことだと、改めて関心してしまいます▼とりわけ24年ぶりに挑む兵庫選挙区では、伊藤たかえさんが出馬します。先日ご本人に会って言葉を交わしましたが、まさにほれぼれしました。堂々たる体躯は”肝っ玉姉さん”とでも呼びたくなるような女性です。私は「凄いパンチ力だなあ」と失礼さも顧みないで、思わず口走ってしまいました。要するに頼りがいのある力強くて優しい雰囲気を五体に称えた。まことに素晴らしい個性を感じさせるのです。実は私の高校時代の友人・蔵重信博弁護士が経営する事務所にこの数年所属していたとあって、ひときわ強い関心があります。辣腕弁護士の彼も彼女の実力には太鼓判を押してくれています。こういう風な人材の宝庫たる公明党の参議院候補を見ていて、ぜひとも日本の前途に大きな希望を投げかけてほしいものと大いなる期待をするものです。といった思いを巡らせていた矢先、フランスでのおぞましいテロ事件が発生しました。遠く離れた異国でのよそ事ではありません。何時なんどき日本でも起こるかもしれないーこう考えたときに太田演説で聴きたかったことが浮かび上がってきました。日本の政治家の中では文明評論に無類の長けたものを持つ彼から、人類が直面するこうした事態の解決への手立てを示してほしかった、と。(2015・11・15)
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孤高の兄弟子の少し早い”長すぎる不在”
とても親しい関係にあった同門の兄弟子が数日前に死んでしまった。この夏の初めに大病を患って入院加療中と聞いていた。回復し退院したとご本人から連絡をいただき、全快祝いを段取りせねばと思い込んでいたのに、突然の訃報にしばし茫然自失してしまった。あらゆる意味で青春を共有した仲だった。共に稀有の大師匠を仰ぎ見ながら、切磋琢磨したかけがえのない同志でもあった。まだ古希を迎えたばかり。ようやく第一線の仕事から少し身を引き、これからは壮大なる天地で束の間の自由を謳歌できるという矢先に。別れの言葉も交わさずに、早々と逝ってしまった▼昭和55年の夏。35歳だった私は、大阪の地に転勤し、神戸に戻ってきた。それからの1年半というものは、19の年に上京していらい久しぶりの慣れない関西の地のため悪戦苦闘することが多かった。その間、陰に陽に激励をしてくれ心を砕いてくれた。大阪のとある場末の酒場で一緒に食ったてっちりの味は忘れ難い。当時関西の若き青年群像のリーダーだった、この兄貴は輝ける存在だった。背筋がびしっと一本通った孤高ともいえる男だった。彼の義母上が不慮の事故で義弟とともに焼死されるという惨劇があった時のことは今なお鮮明に覚えている。涙をこらえて凛々しく振舞っていた姿には、個人の悲しさを超えて、大義に生き抜く者の尊さと厳しさを教えられた。実父を早い段階に失っていて、その存在を記憶に持たない彼は、師匠を実の父同様に思い慕い抜いたに違いない。色々な場面で関西の師弟の壮絶な関係を身で教えてくれた。得難いひとだった▼その後東京に戻った私は、やがて5年余りが経った平成の初年に再び関西の地に戻ってきた。そしてまた苦節5年の戦いの末に大きな立場をいただいた。ここでも生来の生意気でわがままな気質が災いして、まわりと軋轢を生むことが少なくなかった。そのつどかれは陰に回って私をかばってくれた。幾度助けられたことか数知れない。あるとき、大先輩がついむつかしい顔をしてしまう私を咎められたことがあった。その時、「人はそれぞれだ。一緒じゃないよな。そんなこと気にするな」と、慰めてくれたことは無性にうれしかった▼定年前の私は数回にわたって入院したことがあって迷惑をかけたが、いつも激励をしてくれた。また定年後、ブログやフェイスブックで勝手気ままな言動を発信する私をしばしば褒めてくれた。私が発刊した電子書籍六冊もことごとく読み、感想を寄せてくれた。つい数か月前に私は72候に因んで5日間ごとに原稿を書くことを公表した。そのときも真っ先に「赤松ちゃんらしい発想だ。とてもふつうはそんなことを思いつかない」と言って感嘆してくれた。褒められれば豚も木に登るというが、70近くになってもその原理は適応するようだ。そんな兄貴も今はいない。かつて神戸のスナックで二人だけでカラオケを楽しんだ。その時に彼が歌ったのは『わが人生に悔いはなし』(石原裕次郎)だった。「右だろうが、左だろうが」とのくだりで、「真ん中だろう、俺たちは」と茶々をいれたことが堪らなく懐かしい。しかし、いつまでも嘆き悲しむのはよそう。その死は肉体の不在であって、消えて亡くなってしまったのではない、と。「長き不在」の身になってしまった兄弟子の代わりを一分なりと果たせる弟弟子にならねばならない、と心に期している。(2015・11・5)
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