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走りながら死ぬことを夢見て今朝も

先週末、久方ぶりに15キロほど走って温泉に向かった。塩田温泉・夢の井ホテルまでである。一人ではない。伴走してくれたのは、私の個人的ランニングコーチである坂本日出明氏(64)。因みに彼は、ホテルに車をおきに行く前に私の家に立ち寄り、着替えの下着を持っていってくれた。その後、ホテルから15キロ走って私を迎えに来てくれ、一緒に走ったから彼は結局、計30キロも走ったことになる。名刺会社の社長だが、本格的ランナーで、走る合間に仕事をしていると言った方が正確かもしれない。全国における60歳代のランナーのなかで70位ほどの記録を持つというから並ではない▼右肩が下がり過ぎているので、注意しなさい。そういわれても全く自分ではわからない。下を見ないでもっと前方を見て。そういわれても走るときは眼鏡を外しているから遠くは見えない。足はかかとからではなく、五本の指を曲げないで付け根部分から着地するように。そういわれても爪の先が痛くて、なかなか難しい▼60歳を超えてから始めた『60の足習い』も一進一退。フルマラソンはおろか、ハーフでさえもままならぬ。過去に一二度しか20キロを超えて走ったことはない。半年ほど前に、一人で今回と同じコースを走って到着したときは、殆どヨレヨレ状態で、あやうく温泉の洗い場で倒れ込みそうになった。70近い爺さんの一糸まとわぬあられもない姿…、想像しただけでもおぞましくならない方は相当に心臓がお強いと言えよう▼そんなにしてまで、なんで走るのか。「おまえ、あほか」と云った高校時代の友人がいる。私にいわせれば、走らんやつこそ、バカかとは云わんけど、勿体なあと思う。いくらしんどくても走ったあとの爽快感は譬えようもない。それに最近は10キロくらいだと走っていても決して辛くない。ゆっくりと、時速7キロくらいのスピードで走る早朝の気色は最高だ。死ぬまで、走る。走りながら死ぬことを半ば夢見るように今朝も走る(2014・6・11)

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禁煙と喫煙のあいだにあるものは

早朝のランニングでの楽しみの一つはラジオを聴くこと。今朝は走りながら笑った。というか、呆れはてた。関東地方でのある病院で、禁煙治療をこの数年していたようだが、その一方で、病院のなかに職員が煙草を吸うコーナーがあり、ずっと使われてきたと言うのだ。これまで貰っていた診療報酬を返還するというのも当然だろう▼ことがあらわになり、病院側がだしたコメントは、「ご迷惑と、ご心配をかけたことに対して」申し訳なく思う、と言ったもの。この出来事で、誰が迷惑を受け、心配するのか?それは紛れもなく病院関係者であろう。要するに内輪に対して、ばれてしまってご免なさいと言ってるように聞こえる▼外に向かってコメントされたもではないのである。ここは、「医療関係者として、申し開き出来ることではなく、只々恥ずかしい限り」で「いかなる処罰も甘んじて受ける」というぐらいのことは言ってほしい。それが出来ないというならば、むしろ開き直って「禁煙など出来るはずがないし、喫煙は身体に必ずしも悪くない」とでも言ってくれた方が未だしもすっきりするのではないか▼ところで、煙草がどこまで人間の身体を蝕むかについては、諸説紛々あって、意外に定着していないと言うと、嫌煙家からは怒られようか。私自身は既に幾度かの禁煙を経て、今は吸っていない。しかし、うまそうに吸う人と面談したり、格好いいポーズでいい男やいい女がくゆらせているシーンを映像で見ると……▼友人の中に、煙草を止めてもう何年も経っているが、時々親しい人が吸っていると、つい貰い煙草を一本か二本してしまうという男がいる。これが無性にうまいんだ、と。これって、絶対吸わない人やずっと吸ってる人よりも意志堅固ではないかと偉そうに言うのだが。(2014・6・7)

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80人の聴衆を前に自衛権を説明。さてその反応は?

 先日ある新聞の漫画を見ていると、6月になると、はや一年も半分過ぎたのかとの思いにかられ、憂鬱になってしまうので、それを「6月病」というとあった。それはともかく、確かに季節は冬から春を経て今や夏の到来である。時の過ぎゆく速さには今更ながら驚くばかりだ。別に5月病を患っていたわけではないものの、都合で一か月ほどこの回走記はお休みを頂いた。これより再開することに▼一昨日の水曜日のこと。姫路市西北端の安富町で80人ほどの壮年、婦人を対象に集団的自衛権をめぐっての会合に講師として参加した。まず私は、これまでの平和憲法下における自衛隊の活動の変遷を三段階に大別して説明した。①個別的自衛権の行使②カンボディアPKOへの参加③イラク・サマワの後方支援活動ーこの三つについて、いかに伝統的左翼政党が反対し続けてきたかということと、逆に、自民党など保守勢力が集団的自衛権の行使容認を悲願としてきたかについてを解説した。つまり、今④段階目に登場しているのがまさにそれであり、これまで②と③について柔軟に対応してきた公明党の判断が迫られていると述べた▼その際の判断の基準はあくまで憲法9条の解釈の範囲内ということであって、安倍首相らがこれまでの解釈を勝手に変えて、つまり範囲外のことを可能にすることではないことを強調した。すなわち自民党と公明党の協議は、憲法9条のもとで出来ることと出来ないことの仕分けをすることにあると明言した。話し合いをすると言うからには、憲法9条の範囲内とはなにかをめぐって認識の違いがあり、それを埋めることにあるはず。それを見極めるための整理を今両党がしているということについて、かねて私の持論である〇と□の図式を使って分かり易く説明をした▼この日は終わって主催者がアンケートを取った。後日その結果を聞いていささかショックを受けた。つまり、よく理解できた人が17人。少し理解できたが55人。良く解らなかったが4人。全く解らなかったが1人。未回答が4人だった。せめて半分の40人ぐらいに良く理解して欲しかったのだが。また、解釈改憲を認める人が11人。憲法改正して容認すべきが27人で、容認すべきでないという18人をおおきく上回ったことも少々驚きだった。容認すべきではないが半分ぐらいいるかと思ったのだが▼様々な意見や要望を参考に書いてもらったのだが、「永久に平和を守って欲しい。公明党に期待します」というものから、「日本は世界からなめられているので、憲法改正をして容認すべき。人間でもええ人やと思われたら利用されるだけ」というものまで実に幅広く様々な意見が寄せられた。おおむね、「こういう機会は良かった。図や譬えをいれての説明は分かり易かった」とあり、ホッとした。ただし、「池上彰とまでとは言わないが、もっと小学生にも解るように教えてほしい」というものもあった。うーん。池上氏よりいいと思ったのだが。(2014・6・6)

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帽子の効用はどこにあるか、ご存じ?

先日観たテレビ映画『LEADERS』には大いに心惹かれるところがあった。トヨタ自動車の草創期における壮絶なまでの闘いぶり。リーダーのあるべき姿に。役者たちも見事な演技だった。そんな中で、気になったのはあの時代の男たちの帽子だ▲中折れ帽は今でこそ少しは見かけるが、いっときは皆無と言ってもいいほどだった。私たちの親の世代は被っていたが、私など持ってもいない。女たちは日除けに被る帽子をはじめ、それなりにおしゃれに着こなしているが、男は普段あまりお見かけしないだけに、帽子を被った男たちの映画のシーンは印象に残る▲そんな折も折、近くの幼稚園での園児たちの帽子を見て考え込んだ。一様に防止の後ろに日除け用の布を垂らしているのだ。これって、我々には旧帝国陸軍の兵隊さんたちを連想させる。こっちは最近になってこの手のたぐいの姿に帽子はすっかり占領されている。何もこうまでしなくとも、と思うのだが▲そんな私だが、毎日の早朝ランニングでかかさず野球帽を被っている。日除けでもない。おしゃれでも勿論ない。なぜか。その効用を知ったからだが、それはひとえに視線除けなのだ。ひさしのお蔭で、向うからくる人と視線を合わさずともすむ。被ってなければ、もろに視線が合い、挨拶を交わすことを余儀なくされてしまう。帽子一つのせいでひたすら黙々と自分の世界に浸れる喜びは何物にも代えがたい。(2014・4・14)

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友遠方より来り、神戸を満喫する

北海道から友が夫婦連れでやってきた。奥さんは大阪より西には行ったことがない、と。私にとって育ち故郷の神戸か、生まれ故郷の姫路にか、どっちに案内するか。随分悩んだ末に、神戸にした。姫路はお城が未だ修理中だからやはり敬遠せざるを得ない。あの大震災から19年が経った神戸を観光客として一日回った感想を▲まず、海からの六甲と明石大橋をランチを食べながらのクルーズ。僅か1時間半という船旅は短かいとの欠点はあるものの、ムードは満点。港までのハーバーランド歩きは大いに賑わっていて頼もしい。駅前を高速道路が分断している致命的な欠陥はあるものの、それを跳ね返す元気が出来たのかも▲六甲山に行くには少し時間がなく、修法ヶ原コースへ。ここへは中学校の頃以来だから、私には実に50数年ぶり。桜が見ごろの日曜日というのに人影は見えず、辛うじて10人ほどの若い女性がハイキングに来ていただけ。帰りはかつて幾度か来たことのある展望台に。そこのレストランも昨年末に閉店。今はイタリアンの店に変貌。総じて厳しい世間の風を感じる▲次いで、北野坂へ。通り一遍に今まではやり過ごしてきただけだったが、初めてゆっくりと歩く。その味わい深さに感動。一軒づつの洋館を覗きながら、急な坂や階段を上り下りしつつ、風見鶏の館を上から見下ろす高台に。下の広場で綱渡りの大道芸を見る。かなりのきわどい芸の披露に感激。友人が経営する洋邸の結婚式場を見学した後に、老舗のジャズ・レストランへ。生まれて初めての神戸体験の人は勿論のこと、こっちも大いに楽しめた。友は遠方から来るに限るのかも。(2014.4.10)

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ランナーの敵はどこにいるのか

私の早朝ランニングコースは、通常姫路城周辺。お城の濠のすぐそばを走る内回りが一周2.5キロ。国道二号線沿いを通っての外回りが5キロ。これを組み合わせてみたり、二周から四周を走る。ランニングの敵は数々あるが、最大のものは退屈することだ▲同じところをぐるぐる走っていると、いくらラジオを聴きながらであっても、飽きてくる。そこで、時たまコースを変える。最近お気に入りは、夢前町にある塩田温泉郷にまで行ったり、サンピア夢前にまで行くこと。前者は、17キロほどで、後者は10キロほど、我が家からだとかかる。先日は、私のコーチを務めてくれているSさん(64歳)と一緒に10キロ走った▲二人で伴走すると、様々な意味で心強い。一にも二にも退屈しないことが嬉しい。激励されながら走る1時間あまりはあっという間であって、物足りないほどであった。来年2月に初めて行われる姫路マラソンは一部夢前川沿いを走ると聞いている▲昨日の日曜日は、20キロ走る予定であったが、大雨の予報であったので、事前に中止を彼に申し出た。雨の中を走って、以前に風邪をひいたので当然のことだと思ったのだが、あに計らんや。やんわりと怒られた。曰く「ランナーは雨など気にしないのです。風邪など自覚が強ければひきません」と。敵は、どこにいるかわからない。(2014・3・31)

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学者と政治家の憲法をめぐるささいな喧嘩

日本も集団的自衛権を行使できるようにすべきだとの主張をしている学者は少なくありません。その急先鋒は安保法制懇座長代理の北岡伸一氏でしょう。さながらこの問題における広報部長の感がします。彼とは、私が現役時代の最後の頃に読売新聞主催の憲法座談会(12・4・23)で座を共にしました。そこでちょっとした口喧嘩をしたのです。もう時効でしょうから告白します▲出席者は、民、自、公三党(当時は民主党政権)の政治家三人と学者二人の計5人。彼は後半の議論のなかで、「一体、いつになったら政治家は憲法改正に向けての議論を進めるのですか!いつまで経ってもやる気がない」と厳しい口調で難詰してきたのです▲「何を言ってるんですか!私たちは精一杯やってるんですよ」ー私は大きな声で言い返しました。彼の立場からすれば、遅々として進まぬ国会での憲法論議に苛立ちを抑えきれなかったのでしょう。しかし、そこに至るまでの物言いに学者特有の傲慢なものを感じた私はつい売られた喧嘩を買ってしまいました▲北岡さんは日本の国会での憲法論議を待っていたら、永久に憲法改正などできっこないとの見通しを持っているのかもしれません。確かに、その気分は分かります。憲法9条を中心とする安保論議はかつて華やかでした。残念ながら今は見る影もない。その復活が今こそ待たれているのです。(2014・3・18)

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憲法の解釈変更で済ませられるのか

仲のいい友達が目の前で殴られようとしてる時に、彼を守るために一緒になって闘うことー集団的自衛権問題とは何か、を説明するに際して使う最も簡単な言いかたです。正式には、同盟関係にあるA国とB国に対して、C国がA国に対して武力攻撃を仕掛けてきた時に、直接攻撃にさらされていないB国が自国が攻撃されたと同様に反撃に加わることです▲確かにこれは国際社会でも国家が持つ自然権として認められている権利です。しかし、日本だけはそれは出来ないことだし、しないと憲法9条で自らを縛ってきたというのがこれまでの政府解釈でした。多くの日本人がそれでいいとしてきました▲いらぬ戦争に巻き込まれてしまうのは御免蒙りたい。日本は平和国家として生きると決めた。普通でない、異常な国だといわれようと、そう決めたんだから、と。これまでの日本という国家の生き方でした▲それを変えたい、というのが安倍首相や石破自民党幹事長の主張です。学者や専門家の間でも、憲法9条が認めていないという解釈は一方的過ぎだとする、異論はあります。多数議席を得た今、そうした声を背景に、一気に実現しようというのです。私たちはそれは「憲法改正を要するテーマ」であって、憲法の解釈変更で可能にしてしまうのは乱暴に過ぎる、反対だとの立場をとってきています。これから折に触れ、この問題を考えていきます。(2014・3・15)

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大震災から3年。生涯に三度はご免蒙りたい

東日本大震災から3年。月日は容赦なく過ぎ去るが、復興の足音は限りなく遠くからしか聞こえてこない。あの日のその時間、私は東京から姫路に向かう新幹線車中にいた。運よく、静岡を過ぎたところで、僅かに停車しただけで、程なく動き出した。後から知って驚愕した▲阪神淡路大震災のあった年は姫路の借家に。古い家屋は激しく揺れ動いたものの全く被害なし。つけたテレビを見て慌てたものである。あれから19年。今や阪神地域も淡路にも傷跡は見えない。「日にち薬」が見事に利いてはいる▲個人としては強運を感じざるをえない。しかし、現代日本社会の一員として政治家の一人として、大震災の教訓を今後の備えに十二分に生かす仕組みを作る責任が後の世の世代に大きく深くあることを自覚せねば、と思う。とりわけ、原発をめぐる被害は未だ続行中である。住み慣れた家をあとにし、避難生活を遠く離れた地での仮設住宅で今なお送っている人びとの心中や察して余りある▲原発からは出来るだけ早く、できれば2030年ぐらいまでに脱却すべきが、結論だ。即時撤廃とはさすがに言えない。再生可能エネルギーの開発も未だ途上で、深く広く社会全体に浸透しているものを直ちに捨てよ、とはかえって無責任だ。我々の世代に「二度あることは三度ある」ことは、ご免こうむりたいが、いざという時の備えだけは怠らぬ様にしたい。(2014.3.12)

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軽減税率の導入は消費税上げに不可欠

最も重要な現在の政治的課題を挙げると三つあります。消費税上げ、原発、集団的自衛権問題です。それぞれ問題の所在を考えてみます。まずは消費税。公明党は長く反対の立場。ところが2年前の8月に、賛成に踏み切りました▲財政危機を乗り切るには止むをえぬ、が理由です。しかし、どう上げるかをめぐっては、自民、民主の巨大政党(当時)の談合に任せてはならない。二大政党の交渉に小さい政党であっても割って入るべきだというのがその姿勢でした。私は「虎穴に入らずんば虎児を得ず」との例えを用いてその正当性を語ったものです。その際の「虎児」とは、軽減税率の導入など庶民の側に立った施策です▲つまり、虎穴の外で(自、民の交渉の埒外で)幾ら騒いでも得るものはない。ならば、批判の矢を浴びても、穴に入って(つまり交渉に参加して)得るものを得た方がいい、との判断でした。これがいわゆる三党合意(後に、民主は脱落)に至る公明党の考え方でした▲今になって、それは極めて煩雑で導入は難しいとか、あるいは、金持ちも同じようにその利益を得るから、弱者救済は名ばかりだ、との批判も見られます。しかし、政治は「よりまし選択」です。いかに困難を伴おうとも、やってみる価値があることは断行すべきです。(2014.3.10)

 

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