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講演を盛り上げるための秘術とは何か

最近二つの会合に参加して、聴衆を引き付けるには何が必要かについてあらためて考えるに至りました。一つは、連合自治会が主催して行われた防災訓練の集いでのこと。二百人ほどの老若男女が小学校の体育館に集まって、クロスロードパズルなるゲームをしたのです。それぞれがイエス,ノーのカードを手に持ち、出題者の出す問題に答えるというもの。例えば、三千人がいる災害避難所で、食い物が二千人分しかない。さて、直ちに配るかどうか、という質問です。カードで答えた後、周りの人々で意見を述べ合ってみて下さいと注文されました。ワイワイがやがやと自分の考えを述べあって場内は盛り上がりました▼もう一つは、姫路おやじネットワーク主催の懇談会でのことです。講師のNPO法人・人力舎の不藤悟代表理事が「いじめや不登校の克服について」というテーマで40分ほど喋った後、突然に参加者に訊いてきました。煙草を吸うこどもにどう立ち向かうか、というテーマで同じテーブルに座ってる人たちで話し合ってくださいという出題でした。ここでもワイワイがやがや意見が出され話し合いが持たれました。その後、こうすべき、ああすべきだとの意見が表明されたのです▼共に、正解はありません。皆で考えを出し合い、相互に意見を交換するというところがミソでしょうか。一方的に講演を聞くのは聞く方も話す方も苦痛を伴いがちです。途中で、話す方からの問いかけるということがあって、平板になりがちな講演にも一気に緊張が走ったり、逆に解けたりで、盛り上がりを見せるようです。今まで私も幾度となく多くの聴衆を前に演説をしてきましたが、大半は一方的な自己満足的お喋りだったことは認めざるを得ません。恥ずかしい限りです▼そこで、このところの集団的自衛権問題での説明を求められる機会に、出来るだけ問いかける場面を増やすようにしています。先日も五十人ほどの壮年の皆さんを前に研修会を担当しましたが、次々と訊いていきました。「公明党が目指す平和主義って、絶対平和主義かそうでないか」「憲法と安全保障の関係で、①武力行使はすべてノー②専守防衛に武力を使うのはいいか悪いか③国際貢献に自衛隊を出すのは許されるかどうか④多国籍軍に自衛隊を派遣して武力行使に直接参加するのはいいかー皆さんの意見を訊きたい」といった具合です。目が輝き、皆さん生き生きとしてくるのが喋っていてよくわかります。大変によかった、と終わってから主催者からお褒めを頂きました。ただ、お互いに意見を交換するまでには至らなかったことは残念でした。次なる機会では、たっぷりと時間を貰ってワイワイがやがやと話し合う機会を持ちたいものと思っています。ただ、これはうまく運ばないと収拾がつかなくなるので要注意ではあります。(2014・9・9))

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自己防衛を武力で行うことについて

集団的自衛権行使容認によって、これから先は疑似戦争的状態が国内で起こりかねないー私の講演を聞き終えて、舞台そでに入ってこられた壮年が抱かれていた疑問は、要約するとこうなる。海外での戦闘には日本は参加出来ぬように歯止めを公明党がかけたとしても、仮に海外勢力によるテロが国内で起こったら、それに対抗することで日本各地は戦乱の巷と化す、ではないか、と。想定しがたい事態ではあるが、テロはいつ何時起こっても不思議ではないともいえるから、と▼講演の説明の中で、私が自国防衛のためには武力行使はやむを得ないものと述べたことに対して、この人はこうした事例を思いつかれたようだ。そんな恐ろしい状況が起こるなどとは、今講演を聞いた方たちは信じていないはず、とも言われた。要するに、一切の戦争(武力行使)は放棄するというのが憲法の精神であり、70年近くそれで日本はやってきたし、公明党こそその精神の体現者ではないのかと言われる。何かがおかしい、何かが変化しようとしている、と▼今回の集団的自衛権問題で、こうしたピュア(純粋な)な議論を持ち出されるケースはしばしばある。創価学会の会員、公明党の党員の皆さんの中にはとりわけこうした絶対的平和主義に立つ方々が少なくないように思われる。20年ほど前のPKO (国連平和維持活動)に日本が参加すると決めた際にも大騒ぎとなったが、あの時は戦闘活動が終わって、再発を防止することが主目的だと言って理解を求め、そして納得を得た。今回は、抑止力を持つために、自国領域内にせよ武力行使をも辞せずとの選択に驚きを抱く向きも少なくないようだ▼いわゆるテロであれ、海外からの侵略的行為対応であれ、いかなる事態にも武力を用いない、なされるがままにしているーこうしたことが夢の世界でなく、現実のこの世において可能だろうか。聞きながらそういう疑問をこちらが抱かざるを得なくなった。長い間の平和の持続によって、およそ暴力的行為を認めないとする姿勢が深く広く浸透している。それ自体はまっとうなことであろうが、ではそれを打ち破る行為にまで、ただなされるがままで、座して死を待つということでいいのか、との素朴な疑問が頭をもたげてきた。(2014・9・3)

 

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2014年9月3日 · 9:50 AM

「集団的自衛権」の説明でのてんまつ

しばらくぶりに300人を超す聴衆の前に立った。神戸市北区での国政報告会に県本部顧問として。「集団的自衛権」をめぐる安全保障政策について語って欲しいとの要請を受けたものだ。予めプリントを用意した。そこには、自衛権とは、個別と集団の差異、そして集団安全保障との違いから始まって、今になってなぜこの問題が起きてきたのかなどと進め、最後は、私が考案した憲法と安全保障の関連イメージ図の解説を書いておいた▼一会場目では、冒頭に、ついつい余計なことを喋ってしまった。特に、「姫路の黒田官兵衛ならぬ、赤松正雄です」から始めてしまったので、「伊丹では、荒木村重が官兵衛を有岡城に幽閉したとは言わず、一年間滞在して頂いた」と言っているようだとジョーク交じりで紹介(これは受けた)したり、「先週の放映で、毛利の吉川元春が、晩年を本でも読んで過ごすつもりだったのが、己が命を何に使うかが大事だと官兵衛に説得され、九州攻めに加わったことには、定年後の私にとっても大いに考えさせられた」などと話を滑らせてしまった▼本題導入部の自衛権の説明に入る前にも、前提として三つの疑問を挙げた。一つは、元々公明党は集団的自衛権行使には反対だったのではないのか。それが、限定的にせよ行使容認に踏み切ったうえ、それを大きな成果だと言い募っているのはおかしくないか。二つは、公明党の平和主義はどこへ行ったのか。三つは、支持母体の創価学会は、行使容認は解釈改憲であり、それは認められないと言っていた。食い違いは明らかではないか。これらはしばしば耳にするものなので、一つ一つ丁寧に自答した▼第一に、今も集団的自衛権のフル行使には反対である。今回のは、むしろ今まで曖昧だった個別と集団にきっちっり線引きし、自国領域内では個別的自衛権として対応することを鮮明にしたものだ。自国領域外での武力行使には関わらないことを明らかにしたことが大きな歯止めであり、成果だとした。第二の平和主義については、公明党はかねて「行動する平和主義」と言ってきており、旧左翼のように「座して希望するだけの平和主義」や伝統的保守のようなひたすら拡大を求める「積極的平和主義」にも疑問を持つと述べた。三つめについては、解釈改憲を公明党はしていないし、するつもりはない。今回の自公協議での合意は、過去におけるPKO派遣やイラク、アフガンなどへの対応と同様に9条の枠内ギリギリの政策判断だとのべた▼以上の説明の後で、レジュメにしたがって解説をしたが、いささか時間が少なくなってしまった。恐らくは多くの人々は、やはり良く解らんとの思いを持たれたのではないかと懸念する。二会場目ではその反省に立って、冒頭のあいさつや前提に時間を割くのは極力抑えて、本題に素早く入った。しかし、それでも終わって舞台そでにいると、一人の壮年が質問がある、と言って入ってこられた。以下は次号のお楽しみに。(2014・9・1)

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ゴルフ練習を10年ぶりに再開して

オリンピックの種目にゴルフが入る一方で、最近ゴルフ人口が下降線をたどっているとの報道も目にした。その理由の一つに挙げられるのが、上達が難しいこととあった。勿論、かかる費用も依然として高価なこともある。それだけではない。集団的自衛権問題がかまびすしく論じられていた6月下旬だっただろうか、公明党の幹部が安倍首相とゴルフに興じている様が報道され、痛くない腹をさぐられるかのごときの批判を蒙っていたこともある。またつい先ごろ、広島の集中豪雨禍が報じられる最中に、夏休みでゴルフをしていた首相が、中断しただけで、再開したことにも非難が寄せられていた。ことほど左様にゴルフは庶民生活からは程遠いものとしての地位を得ていることとも無縁ではなさそうだ▼地方の安月給取りだった我が父も御多聞に漏れず、昭和30年代にゴルフに熱中していた。家の小さな庭に特製のネットを張り、廊下にはパター練習用の”装置”が施されていた。平日は麻雀で徹夜に近い時を過ごしていながら、休みになるといそいそとゴルフバッグを担いで出かけるのが日常的風景だった。後年、大学に入って創価学会の門を叩き、宗教活動に余念なく勤しむ息子の姿を横目にして、我が父は「我が家は親子の関係が逆転している」と嘆いたものだ。普通は、若い方が麻雀、ゴルフに打ち込み、年老いた親父が宗教に熱心なはずなのに、と▼父に意図的に反抗するつもりはなかったが、麻雀は時間のロスに、ゴルフはお金の無駄に思えただけに過ぎない。一緒に酒を酌み交わすことも殆どなく、同じ趣味に興じることもなかった私は思えば親不孝だったかもしれない。銀行マンでありながら、株式投資にも目を離さなかった父に比べ、公明党という「株はご法度」の政党に永年、禄を食んできた私。父の方こそ、”子不幸”ではないかと思い込んできた▼そんな私がゴルフを少しだけだが嗜もうとした時期がある。当選して5年程が経った頃だったか。高校時代の友や大学時代の連れに誘い、誘われ、ほんの一時期ウッド、アイアンを振るなど”芝を刈った”ものである。七人の高校同期と軽井沢に行った日のことは忘れがたい。一人とびぬけた存在の私のせいもあって、しばしば二組が鉢合わせする羽目になった。あれこれ余計なアドバイスの声を浴びながらの私のスイングに七人の眼が注がれた。まさしく先進七か国会議(G7)に入るとか入らないとかと言っていた、ロシアの境遇のようであった▼いつまでも上達しない私のこと、いつの日かゴルフは遠ざかっていった。庶民の真っただ中で生きることを身上とする政治家。師匠も兄弟子もしないものを門下生がするわけにはいかない、とかなんとかあれこれ理由はつけていたが、要するにいつまで経っても高血圧状態(上が150を超える血圧)を脱することが出来なかったからだ。そんな私だが、先日旧友に誘われ、実に久方ぶりにグリーンに降り立つこととなった。10数年ぶりにクラブを持つとあっては、仲間に迷惑をかけてはならないとの思いと、そこはやはり、あわよくばいいスコアを残したいとの下心もあって、市内のゴルフ練習場に出かけ、打ちっぱなしを試みた▼60球では物足らず120球ほど打ち込んだ。わき目もふらずただ闇雲に。その結果何が起こったか?左脇の下が猛烈に痛むことに。整形外科に行ってレントゲンを撮ったところ、肋骨の六番目部分が疲労骨折している、との診断が下った。医師曰く、「急に同じ方向に腕と上体を振る行為を繰り返せば、何が起こるか解りそうなものを」と。「全くろくでなし」とはさすがの先生も口にしなかったが、いいたそうだった(2014・8・24)

 

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国民サイドのチェック役こそ公明党の役回り

昨日(8月15日)付けの神戸新聞を始めとする全国の地方紙に、連載インタビュー『直言・安倍政治』の第三回目が掲載されましたが、そこに私が登場しました。これは共同通信社が配信したものです。新聞社や通信社の記者はインタビューしたものを当然ながら自分のフィルターを通して文章化します。結果として表現されたものは、喋った側の狙いや意図とは微妙に違ったものであったり、言い回しに納得がいかなかったりすることが少なくありません。今回のものは、その典型で、いささか不満です。そこで、本当のところはこう言ったつもりだったという、リメイク版を作ってみました。質問は全く触っていませんが、私の発言は全面的に違っています。両者を見比べていただくのも一興かもしれません。

ー集団的自衛権の行使容認は説明不足という人が多い。

「安倍晋三首相は外国からの武力攻撃に対する抑止力につながるとと説き、山口那津男公明党代表は海外での武力行使に歯止めをかけたと強調するが、なぜそう言い切れるのか、理解しかねる国民は少なくない。自公両党の交渉の一部始終を開示したうえで、主張の違いをどう埋めていって合意に至ったかを、明らかにする必要がある」

ー公明党は、はやる首相に振り回されたのではないか。

「そんなことはない。憲法の拡大でも縮小でもない、適正な解釈の余地の範囲内で収めたことは多いに評価できる。ただ、今後の具体的な法律の制定や、現実の運用場面で、公明党が付与した様々なしかけが効力を発揮するよう、十二分な注意が必要だ」

ーそもそも集団的自衛権の行使容認には反対だったはず。連立離脱の選択肢はなかったのか。

「閣議決定の中味は、自公協議に入る前に取り沙汰されていた集団的自衛権とは違い、極めて限定されたものだ。連立離脱をカードにすべきだったとの指摘には納得できない。至誠天に通ず、だ。政権の基盤を揺るがせたり、政治を不安定にしてはならないとの信念に貫かれていたのではないか」

ー首相の経済政策「アベノミクス」は疲弊した地域社会には波及していない。

「確かにその側面はある。だが、株価は上昇し、消費税引き上げの悪影響も今のところ少なくて済んでいる。企業、財界の受けは悪くない。大企業優遇だとの指摘もあるが、首相は法人税引き下げや規制緩和により、企業活動が活発になることで、その恩恵が一般の生活者に及ぶという信念を持っているのだろう」

ー庶民の暮らしが楽になったとは思えない。

「バブル崩壊後の”失われた20年”からの脱却はそう簡単ではない。その困難な中、低所得者の生活向上のために動き働くことこそ、公明党の役割である。頑張りを期待したい」

ー日中、日韓関係は冷え込んでいる。

「かつてない危うさにある。ただ、両国とも深刻な国内問題を抱えていることを、首相自身も理解しているだけに、ここは毅然とした態度を貫きたいと思っているのだろう。今が正念場だ」「伝統的に対中関係に一定のパイプを持つ公明党の力の発揮しどころではないか」

ー首相の政権運営をどう評価しているのか。

「第一次安倍政権の失敗から大いに学んでいる。閣僚の不祥事や失言なども殆ど無く。安定感が出てきている」「尤も、福島原発事故の根源的な対応や沖縄普天間基地問題の決着など懸案は山積したまま。瞬時の油断も許されない」

ー公明党は今後、どうしていくべきか。

「一強多弱と言われるように、野党の存在が弱い中で、政権内野党として、国民サイドに立った監視役、チェック役を貫いていってほしい」

(2014・8・16)

 

 

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国際政治の現実見据えた公明党の英断

公明党は今年結党50周年を迎えますが、新聞メディアはこれから様々な企画をするものと思われます。産経新聞は『かすむ航路ー公明党集団的自衛権の余波』と題して、この8月8日、9日、12日と三回にわたり連載を掲載しました。その二回目の(中)で、私が登場しましたので、その関連のくだりをまず転載します。

「個別的自衛権と集団的自衛権は紙一重。その意味で『個別的自衛権に匹的する』として憲法9条の範囲内に収めたことが大事で、肯定的に評価しています」

衆議院議員を6期務め、平成24年11月の衆院解散を機に議員を引退した、外交・安全保障に詳しい元公明党衆議院議員、赤松正雄は今回の集団的自衛権の行使容認をめぐる結末についてそう語り、理解を示した。

イラクへの自衛隊派遣など、安全保障をめぐる節目で党がどう決断してきたかを熟知する赤松は連日、地元の兵庫・姫路などで開かれる党員・支持者向けの説明会に奔走している。「9条で許される範囲内と範囲外を明確にしたのが自公協議の所産だと説明すれば、納得してもらえるはずだ」とも語る。

ただ、赤松のような引退議員は例外で、今回の党執行部の対応に批判的なOBは少なくない。その存在が執行部を苦しめた側面があるのは否めない。「国連平和維持活動(PKO)協力法などは、『捻挫』程度ですんだが、今回は公明党の歴史に傷が残るような『骨折』になりかねない。妥協しない方がよかった」と不満を漏らすのは、近畿地方のある引退議員。

確かに党員・支持者の間で反発があり、OB議員などの間でも批判する向きがあったことは事実だと思います。しかし、私が例外というのはいささかオーバーだと思います。「安全保障」のプロはじっと推移を見ていたはずで、私と同調する向きも多いはずです。批判する人たちはアマチュア(素人)なのです。自公の協議といっても、所詮自民に公明は抑え込まれるだろう、との先入観もあったと思います。

ところが、その結果は、ある意味で意外にも、安倍自民党は譲歩に譲歩を重ねて、「集団的自衛権」とは名ばかりで、従来は個別的自衛権とも目されかねない境界部分を取り込んだに過ぎない内容になっています。つまり、いわゆる歯止めがかけられたわけで、「集団的自衛権」の名のもとに想定されたような、自衛ならぬ、専ら「他衛」を目指すものとは違っています。ま、勝った負けたを同じ与党内で言うことは憚られれますが、公明党の担当者たちはよく頑張ったと思います。

ただ、これからが本番で、実際にこの閣議決定通りの法律ができ、しかも適切に運用されるかどうかを監視しないといけません。私が現役の頃、憲法の制約のために、あれもできない、これもできないという出来ない尽くしの中、公明党はカンボジアPKOからイラク・サマワの人道復興支援やインド洋上給油支援などを可能にしてきました。これをノーって見る人は、今回の決定も許されざるものとして見るのでしょう。しかし、変転極まりない国際政治の現実の中で、ギリギリの選択を余儀なくされるものを是とする側から見ると、必要なことと思われるのです。(2014・8・13)

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軍師から革命家へ、姫路より萩路に想う

黒田官兵衛から吉田松陰へ。舞台は姫路から萩へと移るといえば、NHKの大河ドラマのこと。少し気が早いが、来年は松陰の妹をヒロインにすえた『花燃ゆ』が登場するという。私はそうしたことをまったく意識せずに、今年の夏休みの旅行先に、萩から津和野といったコースを選んだ。その地に足を運んで初めて街中に林立する幟で知ったのである▼姫路から佐用を経て、中国縦貫道を飛ばすこと4時間余り。秋芳洞に立ち寄った。先日、日経新聞土曜日付けの折込み「プラスワン」に日本で最も人気の高い鍾乳洞として挙がっていたのがこの地。以前から一度は行きたいと思っていたのだが、ようやく今頃になって実現した。3億年前にタイムスリップしたと思わせるに十分な大自然の妙味をたっぷりと味わえた。その地に足を運ばねば見られないというのが観光地の醍醐味だが、まことに迫力があった▼ところが、此の地はこのところ観光客が漸減していると言う。恐らく自然美よりも人工美に関心のある若い人々に、今一歩人気がないのだろう。地上から見る秋吉台の展望台の寂れようはなんとも痛ましかった。それに比べて萩市内はなかなか魅せた。萩は小京都が通り相場とされるが、萩八景と呼ぶばれる船中からの風景は小ラインを思わせるほど豊かな水量を誇っていた。山また山の中国縦貫道の行きついた先の、川と海は大いに目を和ませたのである▼松陰神社は二度目なのだが、一度目に比べて松下村塾の小ささが気にならず、むしろ堂々として見えたのは不思議な思いがした。こちらの松陰研究の進歩ゆえかもしれない。29歳でこの世を去った巨人は、今やいやましてその存在感を高めている。次に訪れた津和野も森鴎外、西周から安野光雅まで、この地が生んだ偉大な先達を宣揚する施設に事欠かない。それに比べて黒田官兵衛さえも訪れてみる記念の建物がない姫路はいったいなんなのか、と残念な思いを持った。どこへいっても姫路との比較をしてしまうのは、過去の職業柄とはいえ因果なことだ(2014・8・6)

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新時代の淡路島ぐるり一周クルーズ

淡路島を船でぐるり一周するクルーズに参加した。株式会社ジェノバ観光事業部が主催したもので、瀬戸内海の本格的な観光振興への第一弾としての試みだ。瀬戸内海は、かねて世界の中でも有数の美しい内海でありながら、その価値が今一歩知られてこなかった。ということには理由が幾つかある。その最大のものは、この海域が沿岸に立ち並ぶ重工業地帯における巨大な廃水場になっていたことである。さらに二つ目には、南北にこの海を跨ぐ三つの巨大な陸橋の登場である。島を結ぶ上での効力は大きなものがあったが、同時に島々は単なる通過点になり、海は陸から眺めるだけのものと化した▼これらはいずれも高度経済成長がもたらした副産物であった。得たものは大きいが、同時に失ったものも同様に大きい。このように瀬戸内海は環境汚染の対象であり、観光振興の対象ではなかった時代が続いていた。ようやく、海の汚染にピリオドが打たれ、橋の効果が見直される今頃になってようやく、瀬戸内海の本格的な夜明けが始まったと見るべきだろう。これは、バブル崩壊による、経済成長一辺倒の時代から文化立国への転換の機会に重なっており、いわば歴史の必然と見るべきものなのだ▼「これまでも瀬戸内海の観光は充分に展開されてきた。なにを今更」との声もあろう。しかし、私に言わせれば、それは瀬戸内海中央部に限っての話で、東瀬戸内海や西瀬戸内海にあっては観光は程遠い状況であった。つまり、広島、愛媛、香川、岡山の4県では、工業地帯における産業優先の中で、それなりの事業展開はなされてきたのだ。が、兵庫を始めとする東西の瀬戸内海域は今一歩だった。その流れを変えるためのカギを握るのが淡路島なのである▼瀬戸内海を東から見ると、その入り口に横たわる巨大な島である淡路島を無視してはならない。これを無視してかかると瀬戸内海の意味合いが変質してしまう。ということが今回のジェノバによるクルーズ構想の発端だった。明石港から津名港を経て洲本港へと、穏やかな海面を滑りながら、海から島を眺める船旅は素晴らしい風景の連続であった。そして福良港での淡路人形座での人形浄瑠璃の演目は大いに惹きつけられた。とりわけ未来を担う若い中高生による演技は注目された。後継者がいてこその伝統芸能である。この島に眠る限りない宝を発掘する思いで、このクルーズを一層支援していきたい。それこそが、新時代の瀬戸内海観光振興の突破口になると確信するからだ(2014・7・27)

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いちから解る集団的自衛権問題(下)ー正しい認識と評価

さて今回の件についての評価を見てみます。新聞の反応は、朝日、毎日、東京(神戸など共同通信配信記事を使う地方紙を含む)などは大反対の論陣を張っています。一方、読売、日経、産経などは肯定的な位置づけをしています。ここで指摘したいのは、世論は二分されているということと、そのように分かれる原因は、それぞれの目線によるということです。つまり、国家の安全保障を理想目線で見るか、それとも現実目線で見るかということで、180度違って見えるということです。今回の閣議決定文を読むと「集団的自衛権を限定的に行使容認した」といっても、内実は曖昧だった自衛権の在り様を整理し、歯止めを明確にしたうえで日米防衛協力が、スムースに行えるようにしたと言うことなのです▲安倍首相のこれまでの言動によるイメージがタカ派的色彩が強いことから、限定的にせよ行使を容認するのは、解釈による改憲だと言うのかもしれませんが、これは思い込みによる過剰反応という他ありません。公明党がしっかりと憲法9条の枠内でしか出来ないように歯止めをかけまくり、ブレーキ操作が作動するように仕掛けを作っているから、まったく問題ないというのが正しい評価なのです。首相自身も「湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と繰り返し記者会見などで述べている通りです▲外務省出身で作家の佐藤優氏は「個別的自衛権の枠を超えることが一切ないという枠組みを、安倍首相の『集団的自衛権という言葉を入れたい』というメンツを維持しながら実現した」と述べており、私も全く同感だ。また、前の防衛大学校校長で日米関係論の権威である五百旗頭真氏は「自民党と連立を組む公明党が野党全体の役割を代行した感が深かった。戦後日本の伝統である平和重視を体して、政府が不用意に跳躍するのをチェックしつつ、難しくなった安全保障環境に日本が堅実に対処するようリードした」と指摘している。その他にも”見てる人は見てる”と思う論評には事欠かない▲そのうえで、私としては気掛かりなのは、こうした公明党の活躍ぶりを当の公明党自身が「やった」「どうだ」ということに対する違和感を、党の周辺で抱く人が少なからずいるということだ。集団的自衛権の行使は絶対反対と叫んできていながら、限定的に容認したことを手放しで自画自賛されると、「おいおい、ちょっと待ってよ」という気分になることを、公明党の幹部は知っていた方がいい。確かに自民党のごり押しを巧みにかわして、しかるべき手だてを講じたことは高く評価できる。しかし、それは従来曖昧だった個別的自衛権の範囲を明確にしたに過ぎない。その辺りを丁寧に語ることが必要だ。でないと、一体どうなってるのだ、と公明支持者やウオッチャーは戸惑うばかりではないか。そして当面は、明日、明後日と行われる衆参両院の予算委員会で、与党内の認識の差が露呈することなどがないように、さしあたっては、与党協議の中味を整理して公表するべく準備をしてほしい。(2014・7・13)

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いちから解る集団的自衛権問題(中)ー公明党がしてきたこと

公明党が誕生したのは昭和39年ですが、その頃は自衛隊には違憲の疑いがあるとし、日米安保条約体制も段階的に解消していくべきだとの態度を表明していました。しかしその後、自国を自らの手で守れないという憲法解釈は成り立たないとの判断から、党内で大議論を始めました。その結果、昭和56年の時点で、自衛隊は領域保全能力(領土、領海、領空を守るために、水際で日本を守る力)を持つためのものならば、それは合憲の存在である(つまり憲法違反の存在ではない)と、憲法解釈を確定したのです▲これは、長く自衛隊を違憲としていたのに、政権欲しさに一朝にしてコロッと態度を変えた村山社民党と対極にある姿勢だと言えましょう。また、共産党政権のもとでなら軍隊を持つのはいいが、今の憲法の下では、自衛隊は違憲だとする、日本共産党のようなご都合主義の身勝手な政党とは全く違います。勿論、憲法の明文規定を変えて、晴れて国防軍という名の軍隊を持ちたいという自民党とも違うのです▲以来、今日までの30数年間に、日本が対外的な課題で判断を迫られた大きな転機が三回ありました。一つは湾岸戦争、二つは、イラク戦争、三つはアフガン戦争です。公明党は、その都度、きちっとした党内議論のすえに、いずれも憲法9条の範囲内で出来ることはしていこうとの決断(つまりこれは自ら”行動する国際平和主義”と規定しましたが)を下してきました。湾岸戦争の後の、PKO(国連平和維持活動)への参加、イラク戦争では、非戦闘地域における人道復興支援、アフガン戦争では戦地とは遠く離れたインド洋上での給油支援等がそれです。これらは、直接の武力行使には関わらないという観点で、憲法9条のもとでも許される行為だとの判断でした▲今回も、公明党は9条の範囲内の行為なら出来る、そうでないはみ出たものはしてはいけない、との基準を持って徹頭徹尾、自民党との協議を進めてきました。まず、日本の領域の外で集団的に実施される武力行使に日本が参加するのは許されない、としました。一方、日本の主権が及ぶ地域内での日米協力や、武力行使に至らない侵害などグレイゾーンにおける対応については、今まで曖昧なままだったので、整理しました。そのうえで、憲法9条の範囲内で出来ることとして、明確に線引きしたのです。(2014・7・12)

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