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《29》時代の転機に国民的大論争を起こそう(上)ー毎日新聞「政治プレミア」から/2-19

 毎日新聞有料サイト版『政治プレミア』欄2-16日号に、『時代の転機に国民的大議論を起こそう』という私の寄稿文が掲載されました。これは、拙著『77年の興亡ー価値観の対立を追って』(出雲出版)の狙いを改めて明らかにしたものです。以下、3回にわたって、一部修正の上、転載します。

 ●二つの「77年の興亡」と価値観の対立をめぐって

 団塊の世代が後期高齢者の仲間入りを始めた本年2022年は、先の大戦で日本が敗戦した1945年から77年目にあたる。その年はまた、明治維新から77年に一致していた。一国滅亡の憂き目にあった日本は、今再びの77年目に世界中を襲う未曾有の新型コロナ禍に喘いでいる。私は、この二つの77年のサイクルにみる「日本の興亡」を、価値観に焦点を合わせて振り返ってみた。昨年末に上梓した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』がそれである。

 第一のサイクルでは、天皇支配のもと「西洋対日本」の価値観の対立が中心となって推移した。軍事力の台頭と共に、対清、対露戦争に勝利した日本は、やがて、中国などアジア・太平洋を舞台にした対欧米戦争で完膚なきまでに敗北を喫して、占領されるに至った。分岐点となった1945年から始まる第二のサイクルでは、米国支配のもと、日本は「資本主義対社会主義」(保守対革新)の価値観の対立の中で翻弄されてきたのである。

 1991年のソ連崩壊で、社会主義は退潮傾向を露わにし、日本での米ソ対決の代理戦争的様相を色濃く反映した「自社対決の55年体制」はやがて崩壊し、自民党の一党支配も終わりを告げる。21世紀の幕開けを待たずに、幾つかの組み合わせで連立政治が常態化していく。その間に自民党にとって代わる新進党を始めとする外からの勢力の挑戦が脚光を浴びたものの、やがて終息を余儀なくされる。一方、「保守対革新」の価値観対立の中に割って入った中道主義の公明党の台頭が注目された。同党は、外からの自民党政治の変革が敵わぬと見るや、一転して内からの改革に転じ、自民党の要請を受けて、与党入りを果たす。いらい20年余。途中3年の民主党政権時代を挟み、本格的な自公連立政権が定着していく。

●中道主義公明党はどう見られているか

 価値観の対立の視点で、第二のサイクルの77年を追うと、「革新」価値観が後衛に退く代わりに、リベラリズムが登場し、保守主義、中道主義と三つ巴の鼎立状況を呈してきている、というのが私の見立てである。ただし、政権与党に自民党(保守)と公明党(中道)が共存している現実をどう見るかは、そう容易なことではない。つまり、この両党の関係を、政治行動のみで見ると、ほぼ一体化したかに見える。山口公明党は自民党の一派閥と見られかねない側面は否定できない。政治理念で追うと、リベラルに近く、自民党とは一線を画す存在であることが明確なだけに、現状は一般的には理解され難い存在に映る。

 近年、「公明党の自民党化」が進み、自公選挙協力の浸透と相まって、「中道」の埋没が日常的になってきている。ちょうどその時に、その流れを覆す動きが起きてきた。今夏の参議院選をめぐって、公明党が候補を立てる5選挙区(埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡)での自公相互推薦を見合わせ、それぞれの党が対決する構図となる可能性が浮上してきたのである。これは同時に、公明党が候補を立てない、残る全ての選挙区では従来のように自民党を推薦せず、人物本位でいくとする方向が露わになってきたことでもある。

 私の住む兵庫県では、20年余り定数が2で、公明党は候補を立てられずにきた。6年前に定数が1増になり、近過去2回の選挙では、自前の候補を立てて戦うことが昔のように可能になった。結果的にはいずれも、自民、公明、維新の3党が議席を分け合ってきたのだが、一皮めくると壮絶な戦いであった。つまり自公両党は相互推薦ということで、全国で公明党が自民党候補を応援する代わりに、兵庫では自民党県連が公明党候補を応援してくれてきた。これは、応援を貰う方は誠に有り難いものの、兵庫自民党としては〝泣きの涙〟であったことは容易にうかがえる。3年前には自民党候補が危うく滑り込んだとの印象が濃い。とても公明党を応援するゆとりなどないという声は私としては、痛いほど分かる。(2022-2-19 続く)

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2022年2月19日 · 8:02 AM