笑いとホルミシスー癒しの環境作りに挑む友たち

癒し、癒されるー最近聴く機会の多い、心地よい響きを持つことばです。先日、「癒し」に関わりのある二つの会に参加しました。一つは、一般社団法人「癒しの環境研究会」のメンバーで全国自治体病院協議会(公益社団法人)会長の邉見公雄会長が叙勲(旭日中綬章)を受けられたことを祝う会(6-21)です。もう一つは、人に癒しを与える「日本唯一の坑道ラドン浴」がある姫路市安富町の富栖の里で開かれた岡山大の山岡聖典教授の講演会(6-23)です。両方とも私と以前から深い関わりのあるキーパーソンが介在しています。かたや東京、もう一方は姫路の北部と離れてはいましたが、「癒し」に誘われて行ってきました■まず邉見会長の会について。この人と初めて会ったのはもう20年も前のことでしょうか。下駄履きで登場され、強いインパクトを受けたものです。今でこそ白髭を顎に蓄えておられますが、当時は痩身の若さあふれる「赤ひげ先生」の趣きでした。実はこの方と親しかったのが私とは高校同期の癒しの環境研究会代表で、笑医塾塾長の高柳和江女史です。かつて邉見さんと一緒に癒しの環境作りに汗を流していました。今回のお祝いの席にも高柳さん共々一緒に招かれました。印象に残るのは「彼女は女性として旨いスピーチをされるが、男では私です」と常々言われていたことです。ということもあり、この日の邉見さんのご挨拶、楽しみにしていました。開口一番、「今日お越しいただいた皆さんは、ヘレンケラーのようです」と切り出されたのです。何のことかと耳をそばだてると、2万円の会費で、立食であること、大阪地震の直後などと、来る人にとってまことに厳しい「四重苦」だと言われたしだい。私がこの種のパーティはいわば「生前葬」だから、そのつもりで、と言っていたことも功をそうしたのかも。なかなか聴かせるご挨拶でした。このように常にユーモア(笑い)を意識した、見事な医師で自治体病院のトップがこの人なのです■次に、癒しの洞窟についての講演会について。私は「坑道ラドン浴・富栖の里」を経営する亀井義明(会長)、浩一(理事長)親子と長い付き合いがあります。少量の放射線はホルミシス効果を高めて健康に極めていい効果をもたらすことから、約10年前にオープンしたこの施設ですが、最近その効用を礼賛する人々が一層増えてきています。この日も山岡先生の説得力ある素晴らしい話に多くの参加者が聴き入っていました。人の死に方はピンピンコロリ(PPK)が望ましく、ねんねんころり(NNK)はいけませんなどといった話にはどっと笑いが起こっていました。参加者からも次々と質問があり、関心の高さを伺わせました。私は当初からこの活動を支援する試みに携わっていますが、病気に効く効かないというよりも、心や体を癒す効果があるということだと思っています。病気に対する即効薬ではなく、ジワリと効果をもたらすものだと言えましょう■思えば、邉見、高柳ご両人が関わってきた「癒しの環境」作りに欠かせない「笑い」も薬ではありません。すぐに効果はないかもしれないけれど、生活の質の向上にはなくてはならないものが「笑い」なのです。「ホルミシス」も「笑い」と同様に悪い生活習慣を改める大きな効果があると確信しています。偶々私が深く関わってきた団体に縁のある二つの会がきびすを接して開かれたので、喜んで参加してきましたが、改めて多くの人たちにもっともっとこうした活動を知ってもらいたいと思ったしだいです。(2018-6-30)

日本独自の歴史観を持たない悲しさ

米朝の交渉見ていて立ち上がる思いは、トランプ大統領の米国と同盟関係にある身の頼りなさである。思えば、明治維新とセットで語られてきた文明開化とは、西欧文明に日本が目を見開き、遅れた科学技術の振興に懸命になる一方、政治経済における欧米風の制度の導入に躍起となったことを意味する。日清、日露戦争のそれなりの勝利を経て、第二次世界大戦の明々白々たる敗戦で、日本は米国に占領される〝一国滅亡の憂き目〟にあった。これはまたペリー来航から80年越しの日米反目の歴史に決着がついたと見ることも出来る。以来、7年の占領期を経て、日本は〝平和憲法〟下の国家として今日に至っている。これは、国の安全保障は米国任せで、自らは経済発展にのみ取り組むとの“半独立国家”の姿という他ない。自由民主主義に生きる国家として世界で二番目の豊かさを誇って見たところで、その実、真の意味での自立を奪われた哀れな敗戦国家の悲哀を今になお引き摺っているのだ。戦後は真には終わっていず、“日米150年闘争状態”は続く■この間、日本はヨーロッパ近代の思想に絡めとられ、煎じ詰めれば、歴史観も自前のものを持てず、自然観、人間観すら欧米風に染まってしまっていることに気づく必要がある。例えば「人間主義」なるものを取り上げよう。組織偏重ではなく、一人ひとりの生身の人間を大事にしようというような浅い次元で捉えることを言いたいのではない。「人間主義」とは、人間と自然とを支配、被支配の関係において、人間を自然よりも上位におくことを意味する。こうした考え方の起源はヨーロッパ近代の思想に起因し、キリスト教哲学に淵源を持つ。北東アジアに位置し、神道から仏教、儒教を取り込んで、その豊かな思想を形成してきた日本では、人間と自然は本来は対立するものでなく、共生するものとの捉え方が本来のもである。このことを想起すれば、彼我の相違がはっきりしてこよう■また、経済至上主義も科学技術万能主義も人間優先の世界観からくるものであろう。これまで、様々な論者がもっとスローで地に足つけた社会の発展を目指そうと主張してきたが、未だ世に定着してはいない。つい先ごろ、山崎正和氏が読売新聞紙上で、米朝交渉を見据えたうえでの「日本の針路」に関する興味深い論考を発表していた。そこでは、多くの賢明な日本人が、「人口減少や高度高齢化、資源枯渇、環境悪化を憂え、もはや経済成長を諦めて『定常型社会』をめざそうと提案」し、「『慎ましい大国』への転身」を図ろうとしていることに論及。その上で、“経済成長主義”と決別することなど、格差是正という現代最大の課題を解決しない限り、幻想に過ぎぬとの鋭い刃を多くの識者に突きつけていた。同氏は具体的には「国家百年の税制改革」を考えることを提案しているのだが、私にはそれだけではまだ足りないものがあるように思われる。つまり、根底的なものの考え方、捉え方における彼我の差を埋める必要があるのではないか、と■経済成長なきゼロ成長社会とでもいうべき「定常型社会」を求める声は今や定着しつつある。だが、どのようにそこに至るかの道筋は山﨑氏の見立て通り、明確になっていない。しかし、迂遠のように見えても、そこには社会背景としての日本独自の歴史観や自然観、人間観が打ち立てられる必要があると考える。近代ヨーロッパ思想による呪縛からわが身を解き放ち、日本自前の思想哲学の裏付けを持たねばならない。でなければ、その求める豊かさは上滑りし、いかにもがいても結局は欧米の掌の範疇から逃れ出ることは出来ないのではないか。何を書生論めいたことを、と思われるかもしれない。だが、非人道的国家の専制独裁のものにせよ、背後に中国の影があるにしても、独自の歴史観を持つものたちの思い込みを目の当たりにして、我が胸を去来するものは少なくない。米国を相手に瀬戸際外交を展開する北朝鮮の金正恩氏の外交的巧さを思うにつけても、日本の思想的自立への渇望の思いが募ってくることは如何ともしがたい。(2018・6・19)

 

米朝交渉の彼方に浮かぶ日本の立ち位置

トランプというある意味で極めて御し易い相手だったにせよ、対等に渡り合ったかに見える金正恩委員長の外交手腕は、侮れぬものであることが世界中に明らかになった。国内外における傍若無人の振る舞いー人権無視の恐怖政治の実態ーをよそに、核兵器・ミサイル開発をしたたかに展開して、何はともあれ一大政治ショーの一方の主役となったのである。これからの交渉の進展次第では元の木阿弥になる可能性も大いにあるが、国内的には大いに点数を稼いだといえよう。朝鮮半島の非核化と北朝鮮の体制保証を天秤にかけた駆け引きにあっては、〝どっちもどっち〟といえる側面を抱えてはいる。だが、表面的には金正恩なる人物の巧まざる交渉能力が功を奏したと見るのが自然ではないか。周辺世界の一致した経済制裁や、軍事的圧力がかけづらくなったからである。民主主義国家と専制独裁国家との渡り合いの難しさが図らずも露呈したといえよう■米国を相手に北朝鮮の交渉に至る経緯を見るにつけ、日本の対米関係の難しさに思いをいたさざるをえない。拉致被害者の問題を解決済みとする北朝鮮に対して、異議を唱えて交渉のテーブルに引っ張りだすことでさえ、米国頼みという状況がことの本質の異常な歪みぶりを物語っている。トランプ氏は大統領に当選した直後に、在日米軍基地にまつわる米側の負担の軽減をはじめとする日米関係の見直しを宣言した。過去の両国の関係を不平等だとしてアメリカ第一主義の立場を鮮明にしたのである。これはその後の日本側の巻き返しで、元の鞘に収まったかに見えるが、トランプ氏の本心は変わっていない。同盟国を慮る姿勢には程遠いのだ。今回の米朝交渉にあっても、日米韓の合同演習や在韓米軍の撤退を経済的観点から浮上させたいとの魂胆が垣間見える■これに対して、日米安保体制を万古不易のものとして、対米従属姿勢を保ち続けることに日本が躍起となるのは、「思考停止状態」という他ない。勿論、国際政治の現実からして、日米関係に動揺は無用である。ただ、当の相手の最高指導者が勝手気ままな発言をするのに対して、ひたすら音無しの構えではいかがか。一方でたしなめ、もう一方でかりそめの対応を考慮に入れる〝思考的実験〟ぐらいすべきではないのか。明治維新から150年。日本はほぼ前半の70数年前に〝対米戦争〟に負け、占領状態に陥った。建前としては7年後の講和条約で独立を勝ち得たが、それはうわべだけで、現実には半分占領状態の異常な事態が続く■トランプ大統領の登場を奇貨として、唯々諾々とした対米従属路線からの脱却を考えるべきときだ。それは究極的には日本も核を持ち、軍事的独立を目指すべしということではない。論理的にはそういう選択もあるが、それではあまりに能がないし、歴史の逆行以外の何物でもない。そうではなくて、今の世界の思想的枠組みを変えるという営みに挑戦してみてはどうかという提案である。近代ヨーロッパ思想の呪縛からの転換こそ、明治維新150年を契機に取り組むべきテーマではないか。それがどう日本の立ち位置と関わるのか、次回に考えてみたい。(2018・6・19)

米朝交渉から見える北朝鮮・金正恩の巧みさ

さる6月12日のシンガポールでの米朝首脳会談とそれを受けての共同声明についての私の見方を示したい。結論からいえば、金正恩・朝鮮労働党委員長及びその周辺の見事な外交手腕が発揮されたものと見る。但し、それはトランプ氏という異端の米大統領が交渉相手だったからで、まともな意味での外交力が功を奏したものではない。政治ショーを演出するのに躍起なあまり、自らの譲歩に気づかぬようにさえ見えるトランプ氏が相手だったことが多いに幸いした。尤も、内外にわたってこれまでの米国政治のスタイルを変えることで、国内の過半の支持を得られると踏むトランプ氏からすれば、十分すぎる手応えを感じている節も見られる。米国内では当然ながら強い批判もあり、一段と世論の二分化が激しさを増す。俯瞰すると、いわゆる民主主義国家の弊害が、封建主義的独裁国家との外交交渉を前に、露呈したということに尽きよう■共同声明の文面を追うと、冒頭に全体を要約したところで、トランプ氏はcommittedし、金正恩氏はreaffirmedしたとの記述がある。片方が約束し、もう一方は再確認したというわけだ。字句通りに判断すると、前者は新しいことを述べているのに対し、後者は前から言ってることを追認したかに読める。つまり、かねて、北朝鮮が求めてきた「安全の保証」(security guarantees)を「提供する」(to provide)から、朝鮮半島の完全な非核化に向けた堅固で揺るぎない決意(his firm and unwavering commitment to complete denuclearization of the Korean Peninsula )を改めて確認するというのだ。このくだりについては、非核化のタイムスケジュールや最終的にどう着地させるかが、事前の最大の関心事だったのに、全く明記されていない。前からの主張を改めて言っただけ。にもかかわらず、「安全の保証」を与えてしまっていいのか、との疑念が当然起こってくる。勿論、これも具体的な方途が書かれてないから〝おあいこ〟だとの見方もあろう。だが、終了後の記者会見の席で、トランプ氏は「交渉中は 軍事演習を行わない」と明言し、ご丁寧にも「莫大な金を節約出来、(北朝鮮に対して)挑発的だ(から)」と理由にも言及した。ある意味、型破りだともいえようが、一般的には、お人好しで、善意に満ちた交渉人にしか見えてこない■米朝会談に至るまでの北朝鮮の動きについては、中西寛京都大大学院教授が興味深い論考を明らかにしていたことが思い起こされる。そこでは、トランプ氏が一旦会談中止を仄めかしたため、追いつめられた北朝鮮が悪あがきを諦め、首脳会談実現のために譲歩を見せ始めたという点を取り上げていた。同教授はこの解釈は浅薄であり、「交渉をコントロールしているのは北朝鮮の方である」可能性も見えてくるとしていた。その例証として、❶平昌五輪への妹・金与正氏派遣❷中韓首脳とそれぞれ二度の首脳会談❸米国政府高官ポンペオ氏をも二度招いたことをあげた。こうした外交活動を演出出来る北朝鮮が経済制裁やトランプ氏の強硬姿勢に音をあげたと見るのは楽観主義にすぎるのではないかとしていた。そう見えたのは「北朝鮮与しやすし」と油断させる戦略だったというものである■今、会談が終わってみて、この中西氏の「北の交渉力を侮ってはならない」(『正論』6-1付け)との指摘のリアルさが際立つ。これまで、長きにわたって、金正恩委員長を悪しざまに罵り、その能力を見くびってきた向きがあったのは、当の本人の言動がなせるワザが多かったにせよ、いささか過小評価だったと思わざるをえない。ともあ)れ、金正恩氏率いる小国・北朝鮮が超大国・米国と対等に渡り合う姿を世界にまざまざと見せつけた事実は覆い難い。日本のお茶の間や床屋談義での会話は、金正恩という人物を「幼稚」で「冒険的、挑発的」な言動に走る異常な指導者といった範疇を出ていなかったのである。ことの是非は、これからの米朝の細かな交渉に待たねばならず、長い舞台の幕開けを見たに過ぎないともいえる。しかし、その初の外交デビューぶりは、これまでの印象を覆すに足りうるものであったことだけは間違いない。(2018-6-16)

 

 

ポートフォリオワーカーの楽しさを実感する日々

異なった業種の人たちが集まっての意見交換はなかなか楽しいものです。月に一回のペースで友人と始めたこの催しはすでに50回を超えました。引退したあとの私を友人が心配してくれて、交流の場を提供してくれたことがきっかけです。毎回10人ほどの仲間の集いは様々な〝化学反応〟を伴い、友人の友人は皆友人とばかりに輪は大きく広がってきています。私は自身の「掟」として、一度呼んだ人は二回目からは声をかけないことにしています。でないと、同じ人と何度も会うことになってしまい、面白さが欠けてしまうからです■例えば、この8日にやった6月の例会では、一年前に大阪で出会ったH産業の幹部に声をかけました。彼は、以前務めていた会社の同僚の女性を誘ってきてくれました。彼女は画家であり、デザイナーでもある多彩な才能を持った魅力な人でした。また、もう一人は兵庫県の中堅職員。彼は私が付き合った某中央官庁の幹部官僚の息子。親父さんと話していて、その存在を知ることになって、声をかけたしだい。なかなかガッツのある青年でした。一方、友人も自分の友達を呼んでくれます。今回は、建設会社の幹部や、老健施設の経営者。またNPO法人で斬新な活動を展開する女性といった具合。この人たちは新たに私の友人になるわけです■こんな感じで毎月3〜4人の新たな友を呼び、この場で新たに2人、3人と友人関係を結びます。ワインを飲みながらわいわいガヤガヤは実に楽しいものです。参加した友たちは、こんな楽しい会とは知らなかったと異口同音に言います。この背景は、なんといっても場所に恵まれていること。友人の持つマンションの事務所風の大きな部屋だという点です。これが普通のお店だったら、時間とお金を気にしないといけないが、全くお構い無しとは有り難い限りです。尤も、食べ物は自前で、持ち込み。それを皆でシェアするのです。通常は揚げ物やパン類が多いが、たまにはアッと驚く珍しいものにも出くわします■こういう出会いの場を持ちながらの第三の人生は味わい深いものです。今話題の『100年時代の人生戦略』にいう、3ステージ型の仕事人生と私自身が決別しつつあることを実感します。3ステージ型とは、「教育→仕事→引退」というもので、今までの日本社会の通常パターンです。これからの〝人生100年時代〝という「LIFE SHIFT」の時代には、それとは違った生き方が求められています。例えば、エクスプローラー(探検者)、インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)、ポートフォリオ・ワーカー(異業種同時並行従業者)などといった多彩なステージを経験することでしょうか。私は今7つほどの異業種の団体、企業と関わりながら顧問や理事をしています。これって、まさに、ポートフォリオ・ワーカーでしょう。そして同時に様々な異業種の人と交流しながら、仕事への感覚を磨いているわけで、実に楽しいことです。(2018-6-10)

 

 

 

 

 

 

 

奥山保全へ、マロニエの苗木を植樹して

奥山に分け入るって素晴らしい体験です。私は議員を引退してからしばらくして、公益財団法人「奥山保全トラスト」の理事を務るようになりましたが、時々この会のメンバーと共に、奥山ツアーに参加します。一昨年は静岡県の佐久間トラスト地に行きました。5月27日の日曜日は、播州戸倉スノウパークの裏山にあるトラスト地を見たあと、栃の木の苗木を植樹してきました■私の家から車で北上すること1時間あまり。宍粟市波賀町にある「原りんご園」で、前日から来ていた今回のツアー参加の皆さんと合流しました。ここは、かねて一般社団法人「熊森協会」との連携のもと、熊の保護や奥山保全に尽力された幸福さんが取り仕切っておられた重要な場所です。大阪や名古屋から参加された皆さんは、いかに、広葉樹林が大事かということを改めて現地で学習する喜びを感じておられました■そこから30分さらに奥に行きますと、戸倉スノウパークがあります。今回、私は初めて妻を伴いました。というより、車の運転を差し止められている(運転が下手な故)ので、仕方なく彼女は私を運ぶために参加してくれたのです。それともう一人、5月12日の姫路城薪能の場で知り合ったフランス人のペルーさんを誘いました。彼は姫路市安富町に6年ほど前から住むマイクロソフト社の幹部社員で、在日歴は長く、奥さんは日本人ですから、日本語も達者です。森が大好きで、私のホームページを見て大いなる興味を持ってくれ、二つ返事でこのツアーに参加してくれました■「奥山保全トラスト」のツアーに参加するたびにあらためて思うことは、こうした広大な土地を購入するに際して協力してくださる篤志家の存在です。杉やヒノキの針葉樹林でなく、ブナやナラの広葉樹林を植えることで森の保水力を高めることの大事さを頭でわかっていても、それだけでは何にもなりません。自然を保護することの大事さをわかっていても、放置しているままではダメなんです。この会の凄いところは、せっせと寄付をしてくださる無名の方々の善意に支えられているということです。財力のない私などはせめてこの運動の展開にお役に立つために、行政各方面の理解を深めたいと思って来ましたが、日暮れて道遠しの感は否めません。今回、フランス語でマロニエと呼ぶ栃の木の苗木を、フランス人と一緒に植樹することで具体的な関わりができました。ペルーさんは、この地に最も近いところに住んでるだけに、時々訪れ成長を確認したいと張り切っています。(2018-6-1)

零細市場の生き残り策はあるか

私が顧問をしているAKR共栄会の定期総会が、さる5月22日に大阪市内のホテルで開かれました。この会は、大阪、兵庫、京都の2府1県を中心に存在する小売市場に対して、共同仕入れ、共同輸送、共同保険を展開して、大手企業に対抗しようというものです。もう関わって20年になりますが、つくづく大事な試みだと自負しています。昔なら小ちゃな小売市場は、町のあちこちに見られたのですが、最近はどんどん潰れてしまっています■味のある店が姿を消すのは寂しい限りです。大手が資本力にものを言わせてのさばってくるので、小さな市場は助け合わないとひとたまりもありません。姫路でも私が選挙に出た30年ほど前に比べると、大きく様変わりしています。何とかせねばと、この会の傘下に入る市場を探してきました。幸い数年前から私の住む自治会内にある「新在家ニューセンター」という市場を新規参入させることができました。ここは今独自色を発揮しつつ頑張ってるのですが、なかなか苦戦しています■私のようなど素人がつべこべいってもらちがあかないのですが、やはり今の時代、ものを買っていただくには、工夫が必要でしょう。じっとお客が来るのを待っているだけではとても飛躍は望めません。高齢の消費者が多いので、そのためには宅配が必要ではないかとも思います。勿論、零細な企業にそこまでする力はないのですが、何とかしたいと思うのです。ちょうどそんな時に、今回の総会が終わった後の恒例の講演会では、宅配業界のウラオモテを知り抜いた方のお話を聞くことができました。元「味の素」に勤めていて、のちに東京海洋大学の客員教授になられた先生です。神戸灘生協、セブンイレブンの事業展開を通じてとても参考になる話をしてくれました■ここでのポイントは、結局消費者のニーズは個人の嗜好性に尽きるということでしょうか。大量生産、大量消費の時代から、個人それぞれに見合ったものへと消費者の期待するものは変化してきています。それを巧みにつかまえることが大事だと思われます。例えば、生協のやり方の向こうを張って、一人一人のニーズを予め掌握して、それを届けることができないかどうか。あるいは来店前に、店頭に用意できないかどうか。まだ決定打となるものは思いついていませんが、なんとか編み出して、地域に密着した市場の起死回生の手立てとしたいものと焦っています。(2018-5-31)