改革へのリーダーシップの発揮を
それにつけても、私が不満なのは、連立20年の公明党の存在感が滅法薄いことである。この20年の政権の実態を公明党の側から分析した鋭い論文『連立20年の自公政権』(公明新聞党史編纂班=10月4日、5日付公明新聞)が先に発表された。これを読めば、中道主義の公明党が自民党との連立参加に当たって掲げたスローガン(政治の安定と改革のリーダーシップ発揮)が看板倒れではなく、いかにうまく展開されてきているかが手に取るように分かる。多くの党員、支持者が溜飲を下げたものと想像するに難くない。一般的には「政治の安定」ばかりが強調され過ぎ、「改革のリーダーシップ」が見えないではないかとの指摘が少なくないからである。
上述の論文では、まず第一に、自民党の安全保障政策に対する抑制を、改革の内実として挙げている。具体的には先の安保法制決定に至る過程で「法案に大きな修正をかけたこと」や、「憲法改正問題に関して公明党が重視する国民的合意形成の重要性を自民党側も受け入れている点」を挙げている。次いで、社会保障や教育の分野で、弱者救済の政策が積極的に実現されてきたことを指摘している。「消費増税に付随して食料品等に軽減税率を導入したり、幼児教育や私立高校の授業料を無償化することなど」が具体例である。そのほかにも、「高齢者や障がい者など弱い立場の人たちに対するきめ細かな施策」を始め、「命を守る防災・減災対策の拡充、自然・文化の力を観光立国化」などが羅列されている。いずれも独りよがりの論法ではなく、有識者たちの評価をきちっと掬いあげている。これを読めば、「保守・中道」の二つの政治的立場が相補う形で、「抑制と均衡」という関係を維持し、結果として自公連立の耐久性を高めてきたことが分かる。
論及されぬ連立での公明党の役割
しかし、平成の時代が終わって、その時代を振り返る各種論調の中で、残念ながら自公連立の”妙”を分析したものは目にすることは現時点で、ほとんど見当たらない。それどころか意図的に無視したとしか思えないような疑いすら抱くものが散見される。一例を挙げると、日経新聞社の芹川洋一シニアフェローによる『平成政権史』である。政権の流れを丹念に追っているものと見たので、腰を落として読んで見たが、連立政権における公明党の役割めいたものに触れられたくだりは全くない。「政権史」と銘打たれたからには、連立政権の実態や功罪について論及されるのが当然と思うのだが。かねて芹川氏の手になる著作『憲法改革』を高く評価してきた私だけに、ご本人に直接、苦情を申し上げた。「何も公明党を褒めよと言ってるのではありません。なぜ評価をせずに、無視するのですか」と。
とりわけ私が首を傾げざるをえないのは、この本の「まとめ」で、「30年たって政党の体制がもとにもどってしまった」としているところである。非自民連立政権から始まって、自自公、自社さ、自公連立などを経て、民主党政権を挟んで、再び自公連立政権へと目まぐるしく動いてきた経緯の末に、政党の体制が元に戻ったとはどういうことか。芹川氏に言わせると、55年体制の頃の、自民・社会・公明・民社・共産の5党による基本的枠組みが、「かりに立憲民主党を社会党、国民民主党を民社党と想定すれば、まったく同じである。30年たって一回りということだ」と述べて、今も変わっていないとされる。確かに、政党の分布を見ればその類似性の指摘は当たっている。しかし、政治の質という面では、明らかに変わってきている。いや、変わっているはずと見てしまうのは公明党の人間による僻みだろうか。その辺りの分析がなされずして、形だけの捉え方が先行してしまうと、「政治の真実」を見損なってしまいかねない。(続く)