ゴーツートラベル第二弾は川崎を経由し東京、横浜へ

●「危険な上京に反対」の声を押し切って

ゴーツートラベルの対象から「東京発着」が外れていましたが、ようやく10月から取り扱われることになりました。その新たなゴーサインが出る直前の17日に、私は神奈川県川崎市に一泊して、東京、横浜を動き回ってきました。北海道旅に続く第二弾です。コロナ禍の上京には危険が伴うではないかと、家人は厳しく反対しましたが、それを振り切ってのものでしただけに、注意に注意を重ねての用心深い旅となりました。

なぜ、行き先に「川崎」を選んだのか。理由は三つ。一つは東京発着を避けてなお、ゴーツートラベルを利用して東京に行くとなると、一番近い隣接地はここ川崎になるのです。第二に、私が尊敬してやまない後輩・遠山清彦衆議院議員がこのほど小選挙区に鞍替えした地域・横浜市(旭区、保土ヶ谷区)に近いからです。第三に、ここは私がかつて秘書をしていた市川雄一元公明党書記長の選挙区であり、懐かしく忘れられない地域だからです。こうしたことがあって、行こうと決めたら、私はいつものことながら、仕事絡みや趣味もどき、昔馴染みの友人との出会い、選挙支援など全部まとめてスケジュールに組み込みました。以下その概括的報告です。

●「安保研」定例会から国交大臣への要望。そして友人と野球観戦

第一日目。朝、西明石駅を出て新幹線で東京に着いたのは午前11時。正午から内幸町の日本プレスセンター9階で開かれた「安保政策研究会」の9月定例会に出席しました。コロナ禍の影響で久方ぶりの開催。浅野勝人理事長を中心に、寺田輝介、柳沢協二、登誠一郎、山崎力、星野元男、宇田信一郎氏ら12人のメンバーが侃侃諤諤の議論を展開、何時もながら大いなる刺激を受けました。時節柄、話題は菅義偉新政権の動向に集中したことはいうまでもありません。午後3時からは、国土交通省に赤羽一嘉大臣を訪ねました。目的は、観光人材育成をめぐるかねてからの提案についてや、大阪湾ベイエリア構想にまつわる要望などを行うためです。新しい組閣で留任になった同大臣は、前日からの疲れもものかわ、積極的な意見交換に応じてくれました。夜は、大学同期の友を、実に十数年ぶりに呼び出して、後楽園東京ドームへ。親しい友人から頂いたチケットを使って、「巨人・阪神戦」を観戦しました。厳重なコロナ対策下。観戦中は飲食もままならぬというので、ドーム手前のレストランで事前に喉を潤し、味の濃い洋食をつつきました。試合はなんと、私の遠来の応援の甲斐あってか、11対0で阪神のボロ勝ち。前日までの対巨人戦東京ドーム8連敗を吹き飛ばす〝珍事〟に、大いに溜飲を下げました。帰りに近くの書店で新刊の橘木俊詔『阪神VS巨人』を求めました。そんなこんなで宿泊先の川崎日航ホテルに着いたら22時でした。

●神奈川6区の遠山清彦氏の支援に

第二日目。宿泊先のホテルのある川崎市は我が青春最後期の仕事場。9時半に、市川事務所の気鋭の後輩であり、今は地元川崎市で活躍する浜田昌利市議を呼び、様々の情報交換をしました。11時には、横浜市旭区二俣川にある遠山清彦事務所を訪問。近くに住む後輩をその場に招き、嶋林秀一秘書から地元衆議院神奈川6区の選挙情勢を二人で一緒に聞きました。現職3人による〝三つ巴の大激戦〟に大いに身を引き締めたしだいです。終了後、その後輩の家に立ち寄り、夫人を交えて、束の間懐かしい話の花を咲かせました。午後は二度電車を乗り換えて、1時に再び川崎市の鷺沼駅へ。ここで、前日の大学同期の友人と、昔の職場の同期・平子滝夫元川崎市議と合流。駅前にある著名な蕎麦屋で、絶品の天せいろに舌鼓をうちながら、3人で旧交を温めたのです。その後、平子氏いうところの〝高齢者用クラウン〟で移動。若き日〝レーサー平子〟の異名を欲しいままにした彼の穏やかな運転を味わいつつ。新横浜駅から新幹線車中の人になったのは午後4時過ぎ。西明石へと3時間ほどの帰路に着きました。このように実り多いゴーツートラベル第二弾となりましたが、さて、これから2週間は家人による、〝家庭内隔離のお仕置き〟が始まります。(2020-9-19)

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