〝金権横暴〟の自民は変わらず、改革は未だしー森元首相の発言をきっかけに(中)

●「小池劇場」の再幕開けなのか

森喜朗元首相の「女性蔑視」発言を受けて、小池百合子都知事が東京五輪に向けての「4者協議」に欠席するとのニュースが流れました。この人らしい行動パターンに、思わずニヤリとしてしまいます。またも小池劇場の開幕か、とメディアが騒ぎ始めています。恐らく世論の動向を見ながら、森さんを揺さぶろうとの狙いでしょう。かつて彼女を「男にしたいいい女」と、セクハラまがいの言い回しで表現し、仲間に紹介した私としては、「やれやれ」(嘆息でなく)とけしかけたい思いです。小池さんといえば、細川護煕元首相との、日本新党デビューが今に印象に強く残っています。

その後の今日に至るまでの彼女の変遷はここでは敢えてふれませんが、平成政治史の裏面を飾るにふさわしいプレイヤーのひとりです。私とのご縁は、かつて小沢一郎さん率いる新進党の一員として、「住専問題」で自民党に抗議するすわり込みをしたことを思い起こします。あの頃は紛れもなく「自民党政治」を変えたいとの熱気に、私たちは包まれていました。その少し前に自民党を飛び出した小沢さんの「真意」に賭けた人々は、この国の中で、少なくなかったのです。

自民党の中心軸を占めた彼の思いが、政治家が本来の姿を見失い、官僚の欲しいままになっていることへの反発にある、と私は見ていました。ご本人自身が抱える問題を一時棚上げしても、その破壊力を利用しない手はないと思ったのです。外から自民党政治を変えようと長きにわたって悪戦苦闘してきた公明党ですが、内側から呼応する動きを見せた小沢さんとの「共闘」は、危険を孕見ながらも魅力溢れるものでした。その頃の市川雄一公明党書記長こそ、小沢さんとの「改革劇」の中心的な助演者だったことは言うまでもありません。

●安倍から菅への交替の背後には

その小沢さんが、刀折れ矢もつきた姿になっても、今なお共産党との共闘さえ辞さないスタンスをとっていることはまさに驚異の執念です。自民党政治を外側からでなく、内側から変えることに方針転換した公明党の一員として、その手法の是非は別として、初心を忘れぬ一念の強さだけは学びたいと思っています。「自公連立20年」の経緯の中で、パートナーの質を変えることを忘れてはならない、ということです。自民党はこの8年の第二次安倍政権で、すっかり昔の悪い性癖が頭をもたげてきています。いわゆる「森友、加計、桜を見る会」問題から、河井夫婦の〝金権選挙〟まで、これを往年の「金権腐敗」政治の復活と言わずしてなんでしょうか。

安倍晋三前首相はそのあたりの問題を何ら反省した風もなく、二度目の政権投げ出しとも思える態度で、ひとたび後衛に退いたかに見えます。後釜を選ぶ自民党総裁選に声を上げた三人のうち、一人は宏池会の流れを汲む岸田文雄氏、もう一人は一度は自民党を出たことのある元経世会の石破茂氏。そして金的を射止めたのは、安倍氏のこの8年を支え続けた〝女房役・番頭さん〟だった菅義偉前官房長官というのは中々示唆に富んでいます。雪深い秋田出身で、苦学したあげく地方政治家を経て代議士になったこの人に、就任直後の支持率が高かったことも、いかにも日本人好みで分かろうというものです。ようやく開かれた通常国会冒頭の首相演説。最後のくだりで政治家としての恩師が梶山静六氏だったことに触れ、受けた励ましの言葉を披露して話題になりました。

梶山氏とは、かつて有名を馳せた経世会7人衆の一人です。このことが何を意味するか。権力の主軸が、経世会から清和会へと移った平成政治史を、令和になって元に戻す機縁となるのか。清和会支配の中断を意味するのかどうか、未だその全貌は見えてきません。(この項続く 2021-2-13 一部修正)

 

 

 

 

 

 

 

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