公明党は中道改革路線の初心を忘れないー森元首相の発言をきっかけに(下)

森発言をきっかけに、日本の政治の今をもたらしている背景について考えてきました。小池都知事の一撃が見事に炸裂。辞任を決意せざるを得なくなった森氏は、後継者指名の模索まで表沙汰になる失態を重ね、「密室好き」の実態を曝け出したのです。こうなると、もはや喜劇。晩年を汚す哀れ極まる姿に、人の出処進退を考えさせる機会を与えてくれたことに感謝するべきかもしれません。

●平成の30年はいったいなんだったのか

平成政治史の30年を振り返る時に、見逃すことの出来ないことがあります。著名なジャーナリストが「平成の政治」についての、政治学者との対談で、政治改革の嵐に始まって、自民党の崩壊から政権交代を経て、結局は元に戻ったと発言しているのです。政党の分布図を見ると、かつての社会党が立憲民主党に代わり、民社党が国民民主党に看板を変えただけで、あとは大筋一緒だというのです。しかし、平成の始まる時点で野党だった公明党が与党に姿を変え、20年も続いていることや、日本維新の党の誕生が見逃されていることをどう考えればいいのでしょう。

公明党のこれまでの懸命の努力を無視されて異議を唱えないことは私には不可解に思えました。直ちに、旧知のこの方にメールで抗議しました。事実認識が間違っている、と。残念ながら曖昧な反応で、納得はいきませんでした。公明党の与党化が自民党の変革を妨げていると、正面から批判されるのならまだしも、その影響についての是非を全く吟味しない態度は、政治評論の名に値しないと思います。対談相手の名うての政治学者には、異論を差し挟んで欲しかったのですが、同意されるに留まっており、残念なことでした。

ただ、それほどまでに、公明党の存在が注目されていないことには考えこまざるを得ません。自民党政治の変革に取り組むために、内側に入り込んだものの、結局はミイラ取りがミイラになってしまってるのかもしれないのでしょうか。当事者の意思はともかく、客観的に見て公明党への評価がお座なりなものに終始しているのは認めざるを得ないのです。

●見えない公明党の〝政権戦略〟

こんな状況の中、尊敬する元外務官僚のN氏とのやりとりで、こんな質問を頂きました。「かつて59議席も獲得(1983年)したことがある公明党が、停滞を続けているのは何故か。退潮に歯止めをかける鍵はなんだと思うか」との問いかけです。この質問を頂いて正直恥ずかしい思いを抱きました。ほぼ40年前に公明党が衆議院60議席に手がかかる寸前だったことを忘れかけていたからです。

中選挙区から小選挙区比例代表制への変化が根源にあるとはいえ、確かに平成の30年を概観すると、公明党は議席数の上でも、獲得投票数においても「停滞」と言われてもやむを得ません。一方、この時代の幕開けの頃には退潮傾向だった自民党が38年続いた「一党独裁」の座からひとたび下野したものの、結局元の位置に返り咲いています。ただし、「自公連立」の名の下に、です。

この間に両党が得たもの、失ったものをあげつらうことは避けます。党利党略的視点ではなく、日本の政治がどう変わったか。庶民大衆にとってどうか。改革の名に値するものかどうかで見ると、残念ながら「連立政権の20年」は、及第点には遠いと思われます。安倍第二次政権誕生前後で比較すると、混乱から安定を勝ち得たとの自己評価が自公両党にはあるのでしょう。この8年でここまできたのだから、これからが〝改革の本番〟だと見る向きが好意的な捉え方でしょうか。

日本の政治の安定のために、公明党の目指す改革を犠牲にしてきたというのが私の考える停滞の原因です。小さな声を聞くあまり、大きな意思が見えづらくなっているともいえます。更に言い換えると、自民党に合わせすぎるあまり、公明党の政権戦略、この国をどうしたいのかとの本音部分が隠れて見えないからだと言えるかもしれません。それが結果的に公明党の存在感を薄れさせることに繋がり、多くの有権者の皆さんに、期待を持ち辛くさせていると私には思われてならないのです。(この項終わり 2021-2-15一部修正)

Leave a Comment

Filed under 未分類

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です