不断の外交努力で、軍事衝突の事態回避をー安保法制の発動の前に(下)

菅首相が昨年その座についた直後に、日本学術会議の構成メンバー選定を巡っての強権的姿勢が明らかになり、強い批判を浴びました。安保法制の制定時に反対の態度をとった人たちが任命拒否の対象だったのです。5年半前の意趣返しさながらで、学問への政治の圧力と見られたのです。この背景には、憲法9条の規定がいささか厳密さを欠くために様々な解釈を許容する余地を生み出してきたことがあります。憲法学者たちの殆どが安保法制を憲法違反としましたが、少なからざる国際法学者がそれと異なる見方をしていたことは銘記する必要があるのです▲自衛隊の存在すら憲法違反と見るような、憲法9条の解釈と現実との乖離が、先の大戦後から今に至る日本の宿痾です。憲法に対しての「拡大解釈」と「縮小解釈」とがせめぎ合う事態が一貫して続いているのです。前者の立場に立つ人々は国際法に合わせようと、何でもありになりがちですし、後者のスタンスに拠る人たちは、武力行使はたとえ自国防衛であっても禁じられていると、全て反対に陥りがちです。5年半前もその迷路にはまりこもうとしたのを、公明党が議論を整理し、フルスペック(本来の機能を全て満たしている)ではない、限りなく個別的自衛権に近いものに集約させていきました(これについては、自公両党の協議実態を検証すべきだと思いますが、未だなされていないのは残念なことです)▲この論考のきっかけは陸上自衛隊の日米合同軍事演習が初めて米国最大の軍事演習場で行われたことでした。一方、海上自衛隊の合同軍事演習はこれまで幾たびも行われてきています。陸上でのものについては、かつてのイラク事態のようなケースにおいて、日米で円滑な連携対応が出来るようにすることを主たる狙いとしています。あの時は幸いなことに本格的な軍事衝突には至らぬまま、派遣された自衛隊員に1人の犠牲者も出ませんでした。海上での演習は、朝鮮半島や台湾での有事が想定されています。ここでの対応が曖昧だと、「他国防衛」という日本国憲法で禁じられている分野に日本が乗り出すことになります。そうなると、たちどころに悲惨な現実に直面することになるに違いありません▲そこでは「新防衛3条件」に合致したものかどうかが、対応の分かれ目となってきます。机上では第一の条件に盛り込まれたもので線引きが可能なように思われますが、果たして現実にはそううまくいくかどうか。公明党の平和主義も重要な試金石を迎えることになるのです。もちろん、第一義的には、そうした事態に直面せぬように、不断の外交努力が必要になってきます。外交と軍事の双方に万端怠りなく準備する、それこそが政治の選択と決断に委ねられていることを、改めて銘記せねばならないのです。▲ほぼ150年前に欧米各国からの外圧に抗し、日本の政治は、不平等条約解消など国家の「自主独立」を確保するために懸命の外交努力をし続けました。結果としてそれは75年前の〝一国滅亡〟に帰着してしまったのですが、日本という国家が勃興する明治期の外交と、敗戦から占領期を経ての今に至る外交に根本的な違いがあると思われます。「対米従属の構図」にはまっていないのかどうか。それに抗する日本外交の真摯さが見えてこない限り、戦争への懸念はつきまとうと言わざるを得ないのです。(2021-3-10 この項終わり)

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