「タブー」をめぐる2人の言論人のささくれだった関係

「1945年生まれ、慶應大学法学部卒業」という経歴は私と同じ。ただし、卒業は一年私の方が遅い。つまりこちらは浪人したからで、残念ながら一年後輩になる。評論家の佐高信氏のことである。この人は名だたる「左翼」。というか、今はなき「旧日本社会党」の応援団長的存在。政治的には、共産党とこの党を叩き潰すことに青春をかけてきた我が身とすれば、恨まれて当然の立場である。個人的にはこちらは恨みも何もない。この人がしきりに創価学会や公明党批判をしているとは知ってたが、負け犬の遠吠えーいや失礼、老評論家の見当違いと放置してきた◆そんな彼が元外務省分析官で作家の佐藤優氏の書いたものを通じて、私をけなしてくれていることを知った。『佐藤優というタブー』という本である。鈴木宗男氏のいわゆる「ムネオ疑惑」に対して、衆議院予算委での証人喚問に私が立った時の発言がきっかけである。その後の外務委員会に同氏が委員長として復活してきた際に、私が同委で〝形を変えた謝罪〟をしたのだが、それを佐藤氏は前向きに評価をした。『創価学会と平和主義』においてである。「創価学会や公明党のもつ、組織の文化」から出たもので、「失ってほしくない価値観」だと。私は「過ちを改むるに憚ること勿れ」との論語の一節を応用しただけで、感心されるほどのことではなく、かえって恥ずかしいというのが一貫した立場である◆佐高氏は「私には、コウモリ党の代議士らしい状況適応型、いや状況便乗型の発言としかみえません」とステロタイプ的な認識を示している。「コウモリ党」という表現は公明党批判の常套句のようだが、普段友人、知人から「公明党の代議士らしくない」と言われ続けてきた私としては喜ぶべきか悲しむべきか、対応に苦慮する。また、私は公衆の面前で鈴木宗男氏を「叩き上げの人と言われているが、実は周りを叩き上げてきてえらくなった人だ」と揶揄した。なのに、後年再会した際の佇まいが予想を超えた。それに私が感じ入ったということがことの発端である。状況適応も便乗も何もない。人の微妙な心理の綾への気配りどころか、嫌いな政党の人間だからと、ののしる。それはまあ勝手だが、お里が知れようというものである◆佐高氏いうところの、「佐藤氏のタブー」をめぐる態度についての「喧嘩」に、一言だけ口を挟むと、佐藤氏に比べて志が低過ぎる。タイトルについ惹かれて買ってしまい、読んでしまったが、人に勧めるつもりはない。ただ挑発につぐ挑発、罵倒だらけの、聞くに耐えず見るに忍びない文章の羅列で、「読んではいけない」本だからである。尤も「権力批判」を旨とし、「論争」や「喧嘩」をメシの種にしているジャーナリストの生き方には興味がある。その点、最終章の「読書日記」は面白かった。誰と親しい関係かが手に取るように分かってそれなりにためになる。読書好きには‥‥、おっと、佐高氏の術中にはまってしまったかも。(2021-3-21 一部修正3-22)

佐藤優の人柄と著作  山口那津男とのこと

公明党をめぐるタブー

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