《24》「団塊世代の老後」「死生観」ー2022年に臨む論点を考える(上)/1-18

新年も3週目を目前にして、様々な2022年に向けての論考が飛び交っており、種々考えるきっかけをいただく。ここでは、毎日新聞の『論点ー2022年にのぞんで』3回分を取り上げたい。一つ目は、上野千鶴子『「後期高齢」を迎える団塊世代』(1-5付け)。上野はここで❶ジュニア世代との間の世代間ギャップ❷男女間格差による女性へのしわ寄せ❸福祉分野での共助の実績ーの団塊世代のもたらしたものについて、3つ挙げている。❶では「上り坂」続きの団塊世代と、「下り坂」ばかりのジュニア世代のギャップ❷では、労働のジェンダー格差が共に広がる一方の実態を描く。それに比して、❸では、介護保険を代表例として団塊世代の業績を称える。中々興味深い◆この団塊世代をめぐる考察にあって、いささか私には手前味噌に見えるのが、政治と団塊世代の関係だ。上野さんは、菅直人と菅義偉の2人の首相が団塊世代から誕生したことを挙げた上で、「生活に直結する小文字の政治を草の根でやってきた」し、「大文字の政治に救われない人たちに目を向けてきた」のが団塊世代だという。先に挙げた首相のうち、前者は政治家になる過程で確かに草の根の活動に従事したが、東日本大震災で大失敗をした。後者はコロナ禍という未曾有の混乱期に必死に立ち向かったが、大文字の政治に救われない人に目を向けきれなかった。共に、後世にいい意味で名を残すとは言い難いが、その辺りに全く触れられていない◆二つ目は、山折哲雄『昭和一桁世代の弔い合戦』(1-7付け)。山折はこの論考で①複眼的価値観が消えて社会を二元論が覆っている②コロナ禍は死を考える絶好の機会だが、命の議論は広がっていない③日本人の死生観に「点の死」はなじまないーと三つのポイントを強調している。①では、被害者か加害者かの、二元論の横行を嘆く。菊池寛の『恩讐の彼方に』と『ある抗議書』を対比して、「寛容」の過去から、「怨嗟」の現在へといった価値観の転換を挙げる。②は相変わらずの生命絶対主義に疑問を投げかけ、③では「生と死は線でつながっている」との伝統的死生観を力説する◆ここで最後に山折さんは「無」について論及し、「無の宗教」と「無党派層」の類似性に触れる。「宗教心を大事にする人ほど特定の宗教を信用しないようなところが日本人にはある」し、「党派的なものを信用しない国民性」であるがゆえに、「『無党派層』が増大する現実を嘆く必要はない」と断定する。私はこの山折説については、部分的にしか納得できない。私は日本人にとって大事な言葉は「無」よりも「空」だと思う。目に見えないのが前者だが、後者は目に見えずとも〝冥伏〟している状態を指す。「無」は禅宗的で、「空」は法華経的である。更に、浄土宗的な「線」より、法華経的な「面」の死生観の方が奥深く見えるのだが、どうだろうか。(2022-1-19 一部修正)

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