《28》沖縄の日本復帰を〝悼む〟ーTV『沖縄〝迷子〟の50年』から/2-12

 2月8日にBS 1スペシャルで放映された『沖縄〝迷子〟の50年』を建国記念日の11日にビデオで観た。〝迷子〟とは言い得て妙であり、深く感じるところがあった。この番組は、沖縄では伝説の有名芸人・照屋林助と、その弟子・津波信一さんの2人の沖縄三味線を抱えた漫談風の歌と、沖縄の経済人のインタビューを交錯させて、復帰後の50年が庶民の暮らしにとっていかに期待外れであったかを描いていた。と、私には思われた。これから、復帰50年を記念する試みが新聞やテレビなどメディアで花盛りとなろうが、これはある意味でかなりの出来栄えに違いない。笑いで押し包んだ「沖縄挽歌」として▲沖縄は、中国、米国、日本と大国の間で次々と翻弄されてきた。復帰後も良くも悪くも米軍基地の存在が沖縄経済を、琉球の暮らしを左右してきた。私がこの番組を見て強く感じたのは、実は庶民の暮らし向きとは別の方向を、復帰後の沖縄経済を動かしてきた人たちが見てきたのではないかとの疑問だった。日本初の外国との地上戦を経験した沖縄は、戦後7年で占領から脱却した日本と違って、さらにその後20年間も米国の施政権下に押し込まれた。そこから解放された時点で、普通の庶民大衆は暮らしの向上を夢みたのだが、実はそうならなかったのである▲軍事支配の米国はそのまま居座り、沖縄経済は本土からの〝風まかせ〟の状態が続いてきた。実はこの番組は、「観光沖縄」に期待を寄せる雰囲気で終わっており、コロナ禍の逆風も、日米間の普天間基地や辺野古移転問題には一切触れられていなかった。その意味では尻切れトンボの謗りを免れない。唯一の希望は番組の後半で元知事の稲嶺恵一さんが、沖縄独自の復活への方途を匂わせていたくだりにあった。「沖縄らしさを追求する」「(日本本土と)同質化をめざすのではなく、異質化を伸ばす」との発言である。これしかないと思われた▲日本が米国の占領から脱して、70年が経つ。では本当に米国から独立して、完全なる自主独立の日本になったのか。見かけは独立したかに見えるがその実、「半独立」ではないのか。在日米軍基地の大半を沖縄に押し付けた現状は重く暗い。その日本に沖縄が復帰したといっても、それは半分の半分。「4分の1の独立」なのかもしれない、と思う。日本政府の庇護のもとに生きるのが当然との姿勢から脱却し、沖縄独自の道を探ることこそ、全ての始まりだろう。迷子からの独り立ち、そこから、保護者ぶっている「日本」を覚醒させるしかない。琉球民族と大和民族とー「建国記念日」に「沖縄」に思いを寄せ、「国家と人間」を考えるに至った。(2022-2-12)

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