●批判精神の劣化を嘆く声の蔓延
冒頭に挙げた私の本でもこの辺りのことについて、あれこれ論及しているが、その本意は、出自も成り立ちも違う政党が選挙を通じて相互支援すると、独自性が薄れかねないとの懸念である。公明党は立党の原点に、「大衆と共に」を掲げ、脱イデオロギーによる清潔な政治を目指す一方、「平和、福祉」に力を入れてきた。それがこの20有余年の与党政治の流れの中で、弱まってきた印象は拭えない。社会全体が歪な形で豊かになるといった変化の中で、経済格差が拡大してきている。貧しい層が一段と拡大しているにも関わらず、その層は置き去りにされていないか。かつての大衆救済の党はどこに行ったのか、もっと目線を下にとの指弾は広まる一方だ。野党時代と違って批判精神の風化が著しい、と昔を懐かしむ声は団塊世代を中心に、深く広く沈潜してきていることは否めない。
今回のガチンコ選挙の実施を奇貨として、公明党らしさを取り戻す一大チャンスだとの見方もある。勿論、選挙戦は極めて厳しい。過去2回次点に甘んじた「立憲」の〝三度目の正直〟を狙う構えは脅威である。もし仮に、同党と共産党との間で相互支援の動きが形はどうあれ起これば、公明党の議席は吹っ飛びかねない。〝らしさ〟を強調しているゆとりなどたちどころに消えてしまう。
●「維新」の台頭と今後の動向を占う
加えて「維新」の動向は事態を一変させかねない。私は著書で、理念は紛れもない保守だが、政治手法は中道風と、この党を見立てた。玉石混交が取り沙汰され、危うさが揶揄される同党の人材難は覆い隠せない。だが、現時点では、議員の文書通信交通滞在費の使途明確化を始め、かつて野党の中核で輝いていた公明党のお株を奪いかねない勢いが目を見張らせる。衆議院予算委での質問バッターが、脇でパネルを持つ新人議員を紹介するといった〝些細な嗜み〟を持ち込んだのは同党である。その後、他の政党が右にならえをした風景は何か暗示的ですらある。
「維新」は当面は粋のいい野党の位置を確立したうえで、やがて自民党に迫る保守2大政党の座か、あるいは自民党との連立政権化を狙ってくるものと思われる。戦前の日本の「西洋対日本」の価値観対立にあっては、複数の保守政党の存在が常態であった。西洋に淵源を持つ社会主義イデオロギー政党の本格的登場は、戦後からなのである。「維新」に期待する世論は、保守二党による政権交代の復活を望む声と裏腹の関係にあると見られよう。
●忘れられた連立政権の中の公明党の存在
かつて新進党が結成された当時にも、自民党に代わるもう一つの勢力を待望する意味で今と似た空気があった。ただ、あの集まりは、価値観において同床異夢が否めず、自ずと自壊への道を辿らざるを得なかった。以後連立政権の形態をとって、30年近い歳月が流れた。これは自民党政治を延命させただけの「失われた時代」のなせるわざだったのかどうか。第二の77年のサイクルが終了する本年、多くの人々に関心を持って欲しい一大テーマであると思う。
実は、平成の時代が終わるにあたって、総括された『平成政権史』(日本経済新聞社)という好著がある。しかし、一点私には致命的と思えるミスがある。政党の分布状態を振り返って見ると、平成の30年が経ってぐるっと一回りし元に戻ったとの認識が示されているくだりだ。かつての社会党が「立憲」に、民社党が「国民」に看板はかわったものの、自民党と野党の対立構造はさながら既視感に満ちてると言いたいと思われる。
この記述ほど、私は政党人として屈辱を感じることはない。30年ほど前には野党で、この20年は与党であり続けた公明党が、無意識にせよ外されているのだ。維新も言及されていないから、いいではないかとはならない。公明党の入った連立政権の分析を全くせずに、平成の政権史を顧みたということができるのか。それくらい公明党の存在は薄かったということを読者に印象付けてあまりあるのだ。(2022-2-21)
※これは毎日新聞有料サイト『政治プレミア』2-16付を一部加筆修正して転載しました。