《31》時代の転機に国民的大論争を起こそう(下)ー毎日新聞政治プレミアから/2-23

●「新しい資本主義」の提唱というズレ

これから第三の77年のサイクルが始まるかどうかは別にして、世界も日本もいま岐路に立たされていることは論を待たない。新たに登場した岸田文雄首相が「新しい資本主義」なる考え方を掲げていることは、ことの是非はともあれ、危機的風潮にある時代の空気に敏感になっていることだけは評価できる。「資本主義対社会主義」の価値観競争にひとたびは勝ったかに見えた前者も、その足下、行く末は覚束ない。自国ファーストが呼号されるうちに、専制主義的国家の台頭が顕著になってきた。歴史は繰り返す、か。今再びの「民主国家対専制国家」の様相さえ、地球上では色濃くなってきている。その存続が危ぶまれている「人新世」(ノーベル化学賞受賞のパウル・クルッツエン)の時代において、である。

 昨年ベストセラーになったと騒がれた『人新世の「資本論」』なる著作は、私には「新しい社会主義」の提唱と読めた。その著者は「新しい資本主義」ではなく、「社会主義の復活」を呼びかけている、と。時系列的には岸田氏に後出しの感は免れず、しかも今更資本主義の装いを変えても、との失望感は深く広い。もはや、資本主義でも社会主義でもなかろう、というのが世を覆う空気であると、私は思う。

 代わりうるものは、中道主義ではないのか、ということを念頭に具体的政治選択の場でどのような展開がなされてきたかを、私の著作では追ってみた。本来、これはいわゆる中間主義的なものではなく、仏教に淵源を持つ中道主義であり、再考は不可避であることを強調しておきたい。だが、それにしては、現実は迫力がないではないかとの声はあろう。公明党に覚醒を促す所以である。

●「憲法、財政、エネルギー」で国民的大論争を

   最後に次なる時代の到来を前に、日本政治がどうしても取り組まねばならぬ課題を明記してみたい。それは国家像の明確化に向けての真摯な議論である。当面する日常的な課題に翻弄され続けてきた平成の政治の連続はもういい。コロナ禍にあっても、同時に長期的課題に向けての国民的合意を得る努力が求められる。重要テーマを先送りするだけで、議論する場さえ持たれない現状は嘆かわしい。これを脱却するために、本来的には、国会が日常的には仕事とは別に、遠く未来を見据えた議論を展開する場を設けるべきだろう。

 主たるテーマは三つ。憲法、財政、エネルギー。いずれもこの国のかたち、ありようと深く関わる。社会保障をいれよ、との声もあろう。しかし、それには財政が深く関わる。まずは論点を絞ることが大事だ。憲法9条の精神をどう現実に活かすか。実態が大事で、明文を変える必要はないのかどうか。医療、介護、年金の膨大な社会保障費拡大を前に、消費税を上げずにこの国の財政は持つのか。ベーシックインカムやベーシックサービスの導入を棚晒しのままでいいのか。地球温暖化、気候変動をどう見るか。原発に頼らないで再生可能エネルギーだけで持つのか。迫り来るEV(電気自動車)の時代に、どこに根源的供給を求めるのか。いずれも百家争鳴の議論が必至である。議論がまとまらぬことを口実に、先送りすることはもはや許されない。

 私は膠着状態が続く憲法改正議論の打開に向けて具体的提案をしてきた。いずれも国会では一顧だにされた形跡はない。この提案のミソは、国会議員にだけ任せていてはらちがあかないということである。国民大衆の間で、つまり井戸端ならぬ、お茶の間で、居酒屋で、床屋の談義で、この3テーマを始め政治課題はすでに話題になっており、「ったく今の政治、政治家は。どうしようもないよ」との嘆きの声で終わるのが常なのである。こうした風潮を放置せず、議論の収束へと絞っていく努力をすべきではないか。

 繰り返す。国会だけに任せられない。目的を明確にしたうえで、メディアなど言論機関が、文化・学術知識人と横の連携を保って、関連機構を立ち上げるべきではないのか。選挙を意識するばかりの国会での議論の先延ばし、政府の重い腰が上がるのを待たずに、国民の間で大論争を起こすことが、今何よりも求められていると、確信する。(2022-2-23)

※この論考は毎日新聞有料サイト『政治プレミア』2-16付けに私が寄稿し掲載された文章を一部加筆修正し、転載したものです。連載はこれで終わります。

 

 

 

 

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