《34》ロシアの「原発」攻撃と「日常的思考習慣」からの脱却/3-14

 ロシアがウクライナの原子力発電所を攻撃したーこの事実を前に今に生きる人間としてどう考え、どう対処すればいいか。その悪虐非道ぶりをなじり、喚き立てるだけの我が身無力さを恥入る。呆れてものも言えず、ここまでやるかと思考停止に陥るのも、能がなさ過ぎる。同世代の論客としてかねて注目してきた科学史家の山本義隆氏の警鐘をネットで読んだ。「戦争と原発ーロシアのウクライナ侵攻めぐって」という論考である。ここで同氏は、かつてイラクに攻め込んだ米英と、今回のウクライナに侵攻したロシアとの間に本質的な差異はないことを強調する。にも関わらず、前者に比べて注目のされかたが大きいのは、アジアのイスラム教徒の国と、欧州のキリスト教徒の国という被害国の違いにあることに、穿ち過ぎを恐れつつも、元学生運動家らしく触れていく。その上で、原発を攻撃したロシアの悪虐ぶりを非難しており、私は強く共鳴した◆ウクライナの北部チェルノブイリ原発の事故当時(1986年)は、ソ連邦内国家だった。忘れようにも忘れられない出来事だった。今回、南部にせよザポロジェ原発が砲撃を受けて火災、爆発を起こせば、どうなるかプーチンのロシアわからないとは到底想像し難い。にも関わらず、そこを攻撃する(万が一ピンポイントでなくても)命令をプーチンが下したことは、もはや普通の人間の感覚を失っているとみるほかない。だから、どうするのか。どうしたら、普通の人間でもはやなくなったリーダーの行為を防げるのか。その手だてが見当たらないことに世界中が、苛立っている。これに〝目には目を〟的対応をすれば、第一次大戦や第二次大戦の轍を踏む。それを非ロシア国家群が今は思いとどまっているというのが、現在の状況だと思われる。何もできないはずとプーチンは高を括っていると見るのは、悔しいが当たっていよう◆約5年前に大阪地裁に福井県の関西電力高浜原発3-4号機の運転差し止めを求めて、裁判を起こした人がいる。大阪・高槻市の水戸喜世子さん(86)だが、山本論考では、彼女の「心配していたことが現実になって寒気がする」との嘆きの声を、東京中日新聞3-5付けを引用しながら挙げている。原発の危険性は、侵略する側がことの発端に必ずその制圧を狙ってくることが必至だという点にある。水戸さんは当時からそのことを取り沙汰してきたが、改めてその正しさが証明され、北朝鮮の金総書記が真似をすることが恐ろしいという。14日の参議院予算委でも取り上げられており、かつてのような「具体的な危険があるとは思えない」と、ごまかすことはもはやできなくなった◆チェルノブイリと福島の事故の類似性を思う時に、ザポロジェの事態を見て、日本のどこかの原発が襲われる可能性を想起しない方がどうかしていると言えよう。慌てて警備体制を強化することを笑えない。今そこにある危機を防ぐ努力は当然だ。だが、今回の事態で、日本はもっと根源的な対応を迫られていると見た方がいいのではないか。コロナ禍で、人類は国際社会の相互協力の必要性を学び、経済至上主義から「脱成長」の方向性が仄みえていることを察知した。ウクライナ原発へのロシアの攻撃で、人類は原発の持つ根源的な危うさを再認識し、経済至上主義から「脱原発」の方向性を見るべきかもしれない。つまりは、「日常的思考習慣」からの脱却である。そんなバカなことはできない。とんでもない飛躍だと言われるだろうか。もし、「脱成長」「脱原発」が可能になったら、プーチンの悪虐非道も効用なしとしないのだが。(2022-3-15  一部修正)

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2022年3月14日 · 5:14 PM

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