《42》北前船フォーラムー沈滞する日本を撃ち破る壮大なプロジェクト/5-7

 GWに入ったばかりの5月1日に、古い友人である浅見茂氏(「北前船交流拡大機構」専務理事)が仙台から伸子夫人同伴で西明石にやってきてくれました。夕刻から4時間に及ぶ懇談。皮切りは『北前船寄港地フォーラム』(以下『北前船』と略)です。彼がおもむろに取り出したのは、秋田魁新報の4-9付け企画特集号。『北前船寄港地フォーラムin秋田』(3-19付け)の記事が大きく踊っていました。『北前船』とは、北海道・函館を起点に、日本海沿岸沿いに南下し往時のルート上の各地でイベントを重ね、地域おこしに役立てようと企画されたプロジェクトです。彼がこの団体の裏舞台から運営の一切を取り仕切っていることは知っていましたが、落ち着いて聴くのは初めて。改めて『北前船』が日本の沈滞を撃ち破る可能性を秘めていることを確信するに至りました★実はこの『北前船』を着想したのは、作家の石川好さん(元秋田公立美術工芸短期大学学長)。浅見さんとの東北・秋田の地での縁が今日の発展を紡ぎます。実は石川さんと私との関係は、私が公明新聞記者時代に彼に原稿依頼した昭和40年代後半に遡ります。懐かしいご縁の数々が蘇ってきます。そんな私ですが、2007年にスタートした『北前船』と旧知の2人の関係を知ったのはずっと後のこと。その存在を強く意識したのは、私が議員を引退(2013年)してから暫くして取り組んだ一般社団法人『瀬戸内海島めぐり協会』の専務理事になってからのことです。当時は身の程知らずにもライバル視していました★2015年ごろだったでしょうか。この協会の運営に悪戦苦闘するなかで、国交省に大臣を訪ねました。その際にショックを受けます。瀬戸内海の発展を期す上での我が協会の目論見について自信を持って伝えましたが、担当のM課長は暖簾に腕押し。『北前船』のような地域との連携を積み重ねることが先決ですと、にべもなく。屈辱でした。当方はトップに日本を代表する知識人や副代表に世界的な冒険家を擁していましたから。尤も仕組みがボロボロ。『北前船』は、会長に国交省の元事務次官を据え、鉄道や航空会社など交通機関の幹部をずらり揃えた布陣。それこそ近代兵器に竹やりで対抗するようなもの。完敗を自覚するのに時間はかかりませんでした★5年前の2017年に淡路島の洲本市で第19回の『北前船』が開催された時には、対抗心も失せていた私も駆けつけました。この時に、『北前船交流拡大機構』なる組織の重厚な仕組みとその展開のリアルさを目の当たりにしました。かつて大学で机を並べた航空会社のK元幹部が重鎮の評議員として参加していたり、また浅見氏を支える懐かしい仲間がずらり参与としてくつわを並べて。いずれも寄港地周辺地域を熟知した組織運営の手練ればかり。たまげました。この秋にはフランス・パリのルーブル美術館で、第31回目のフォーラムを開催するとのこと。「料理と芸術の都パリ」で、昆布を主軸にした日本の和食のデモンストレーションをしようというのです。この辺りをたっぷりと聞くうちに時間が経つのも忘れました。コロナ禍やウクライナの暗雲の成り行きは気がかりですが、『77年の興亡』の一大転機に相応しいイベントになることに胸膨らみます。旧友健在を心底感じた一夜でした。(2022-5-7)

 

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