《47》ロシアの暴挙の背後に斜陽化への屈辱感ーウクライナ戦争の100日から(上)/6-4

 

 〈この100日で世界は変わった。日本も77年前の夏以前の日々に戻りかねない。〉そんな思いが込み上げてくるなか、5月25日に日本ウクライナ研究協会の岡部芳彦会長(神戸学院大教授)から神戸・北野坂の異業種交流会の場で、戦争をめぐる話を聞いた。ウクライナへのロシアの侵略が始まった直後(2月25日)にも、この会に来て貰った。あれからちょうど3ヶ月。その間に日本だけでなく、ウクライナの新聞やテレビなどのメディアに登場すること67回という。数多のコメンテーターがいる中で、彼の発言が最も聞き応えがあり、信憑性が高いと思われる。というのも、この人は高校3年の時(1992年)に、初めてキーウ(キエフ)へ行っていらい、この30年の間、毎年訪れてきた(多い時で4回も)という。筋金入りの「ウクライナ通」だからだ。友人知人がかの国政府内にも多い◆1945年(昭和20年)生まれの私は、空爆を受けて逃げ惑ったことも、戦火を見たこともない。戦禍を強いて想像すれば、約20年前の阪神淡路大震災の時に、姫路から山を越え迂回して、神戸に入った際に目に飛び込んできたあの光景のようであろうか。長いトンネルを抜けると戦場だった、というほかないほど、そこは瓦礫だらけだった。そんな連想しか出来ない私が、テレビで見るウクライナの砲撃での住宅、ビルの破壊、火煙を見て不思議に思うことがある。惨劇の展開にも関わらず、ウクライナ全国土的には、普通の日常生活が続いていることだ。国外に避難せず残った住民はパニックに陥らず、淡々と防戦し、やり返し、押し返しているかに見えることは驚異という他ない。岡部さんにあえてそれを問うと、巨大な地震のあとに、余震が続いている様なものですとの答えであった。それにしても逞しい◆この戦争を起こしたプーチンを巡って、多くの民主主義国家から「ヒトラーの再来」との見立てを始め、それこそありとあらゆる非難や侮蔑の言葉が投げかけられている。弁護の余地など全くない。だが、なぜウクライナ侵略の選択を彼が取るに至ったかの心理背景については押さえておく必要があろう。「泥棒にも三分の理」といわれる様に、そのよって来る原因を把握しておかないと必ず火の粉は我が身にも降りかかってくる。それは、何か。一言でいえば、「国家、民族の受けた屈辱」に尽きる。ソ連崩壊後に、NATO諸国の東方拡大を巡って約束があったかなかったかは別にして、「NATO諸国がロシアの弱体化を利用して追い込んで行った」(ゴルバチョフ元大統領)ことは、その後の歴史が証明している。冷戦終了後のロシアの30年は、かつての「米ソ対決」の一方の旗頭の「栄光」は消え失せ、〝斜陽大国への道〟を転がり落ちる過程だった。元傘下の国々が次々とオセロゲームのように裏返る様子の不気味さは想像するに余りある◆20世紀の始め今から100年前の1922年に帝政ロシアは、ソ連になった。そして約70年後、他国との直接的な戦争の末にではなく、自壊した。その後の30年は屈辱の連続。今の状況を覆すことが出来るならと考えるのはそう難しくはない、と今頃になって思う。一方、その前身・清国が滅亡してちょうど110年。もっと直接的に自国の領土をあちこち野獣に食いちぎられるように奪われていった歴史を持つのが中国である。混乱と屈辱の30年余を経て社会主義国家に変身した、この国も建国以来70年余。臥薪嘗胆の末に今、軍事面でも経済的側面でも世界のトップの座に迫りつつある。指導者・習近平国家主席の口からはしばしば「中華民族の栄光」を取り返したいとの思いが発せられる。(2022-6-9  一部修正)

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