《49》安倍元首相の狙撃死に想うこと➖参院選を振り返って(上)/7-11

安倍晋三元首相の狙撃死から二日。参議院選挙が幕を閉じました。その結果に対する詳細な分析は後日に譲るとして、ここでは選挙戦を通じて私の個人的想いを中心に振り返ります。まず、安倍さんの死について。「日本を守る」ことに最も熱心だった同氏が、無惨にも白昼、公衆の面前で葬られ、自分を守れなかったのは、皮肉なことで、まことに残念なことでした。背景分析すれば、第一に警護についた奈良県警の杜撰な対応を挙げざるを得ません。背後がガラ空き状態だったことが各方面から指摘されていますが、あの日あの場所の様子を映像報道を通じて見るにつけ、後の祭りですが唖然とするのみです。前日、岡山での安倍氏の街頭演説に行こうとした犯人が、あまりの厳重な警戒でその中心地に近寄れなかったとされていることが、ことの真実を何よりも物語っています◆それにつけても、前日急遽同氏の街頭演説先を、長野県から奈良県に代えたことに対応の不備を招く原因がなかったかどうか。このような狙撃を可能にさせてしまった警備上の問題をまずしっかりと検証する必要があります。あの日の奈良県警の責任者3人は、薄ら笑いを浮かべたとさえ見られかねない、不謹慎さも漂う間の抜けた記者会見でした。一国の総理経験者をむざむざ殺さしめた警備担当の無念さが殆ど感じられない、お粗末な振る舞い姿だったと私は思います。加えて、今回の狙撃の動機が直接的には「安倍氏の政治思想、信条へのものでなかった」(犯人の弁)ことは重要です。某宗教団体から受けた家族の被害への恨みであり、その団体と深い関わりを持つ同氏を攻撃する対象に選んだ、との供述は聞き捨てなりません◆事件直後から、安倍氏の言論を封殺する行為は民主主義への挑戦であり、断じて容認できないとの主張が盛大に展開されていますが、いささか違和感を感じます。それは安倍氏の持つ裏の側面への反発で、表向きの日常的な政治信条へのものではなかったと見られることにあります。まだ全体像が詳らかになっていないので、詳述は避けますが、ある意味で、真正面からの言論封殺ではなく、余技としての彼の行動が偶々犯人の恨みを買ったことのようです。それだけに安倍氏周辺にとってはとりわけ無念さが込み上げてくるのではないか、と察せられます◆こう述べてきて、かつての会話が思い出されます。安倍氏と私の秘められた交流史です。私がある極右系団体の会合に出席して、発言を終え壇上から降りた際に、安倍氏とすれ違いました。その時に、彼が「赤松さん。公明党のあなたがこんな会合にきて大丈夫なんですか?」と、笑いを堪えつつ語りかけてきたのです。その時、わたしは「もちろん大丈夫です」と強がりを込めて言ったものの、その団体の持つ特殊性から判じて、誤解される向きがあろうことも胸中をよぎりました。安倍氏としては、私の党内的立場を慮っての忠告だったのでしょう。しかし、今から思えば、彼こそ、ご自分の関わる団体にまつわる誤解に十分注意する必要があったと思われます。今頃になってこうしたお互いの行動を巡る会話を思い起こしても、詮ないことでしょう。彼の私という友人への発言を通じて、その優しさを想います。その一方、非業の死を招く前に、私こそ注意をしてあげればよかったのに、と心から悔やまれます。(2022-7-11 つづく)

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