さる7月22日に朝日新聞のWebサイト『論座』政治・国際欄に、私が寄稿した『公明、自民両党が参院選後にやるべきこと〜内外に山積する課題を前に』が掲載されました。4回にわたって転載します。まず一回目から。
コロナ禍とウクライナ戦争➖世界共通の難題に喘ぐなかでの参院選。終幕寸前の7月8日に安倍晋三元首相が狙撃死した。最高権力者の余韻消えぬ人物が公衆の面前で、警護も虚しく命を奪われた。「国を守る」ことに、最も意を注いだリーダーが敢えなく瀕死の姿で路上に横たわった姿。これをテレビで見た国民の衝撃はたとえようもなく大きかった。
安倍氏と私の個人的思い出は二つ。一つは、新学而会という名の学者と政治家の勉強会で席を同じくしたこと。国際政治、安全保障分野の専門家の集いだった。塩川正十郎氏らを始め、少数ながら著名な保守政治家も顔を見せた。場違いながらも私が名を連ね得たのは、ひとえに学問上の師・中嶋嶺雄先生(秋田国際教養大学学長)の〝引き〟によるものだった。外交評論家の岡崎久彦さんと安倍さんという〝集団的自衛権コンビ〟との出会いもこの場でのことだった。知的興奮を覚えたものである。
もう一つは私がある社会運動団体の会合に出席した時のこと。「尖閣防衛」の発言をし終えて、途中退席した際にばったりと安倍さんに出会った。笑みを湛えながら「公明党の方がこんな処にきていいのですか?」と。余計なことをと思い、強がりを込めて「大丈夫ですよ」と、言い返したものの、彼の忠告が耳朶に残った。今頃になって、彼に対して、ご自身の立場と付き合う団体への距離を考えねば、と〝お返し〟をすべきだったと、後悔の念がよぎらなくもない。
安倍氏の狙撃死をめぐる様々の論評を前にして、私はものごとの掌握には、「光と影」の両面からのアプローチの重要さを改めて感じる。政治家・安倍晋三の足跡にも当然ながらそれが付き纏う。〝決められない首相〟による迷走が続いた後、決断と実行の差配ぶりは、米露中のトップと同等に渡り合った外交力の発揮とともに特筆されよう。一方、「もり・かけ・さくら」と揶揄された一連の強権支配の振る舞いは、多くの識者の眉を顰めさせるに十分なものだった。
人の世の常か、日本人の特性か。「死」はある意味で、全てを浄化してしまう。影の部分を押し隠し、光の側面を一段と美化してしまう傾向が強い。今回の事例にあっても、テロが民主主義を破壊し、言論を封殺するものだとの、非難・断罪に終始しがちになる。だが、今回のケースにあっては違和感が残る。つまり、安倍氏の主義・主張、行動に反対するが故の蛮行ではなく、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)に対する個人的恨みのはけどころとなったものだからだ。それはあまりにも虚しい。そこを見据えず、ただ「言論封殺、民主主義破壊」非難に終わるようでは、ことの本質を見誤ってしまう。だが、その危険性は高い。
要人警護は、正面3割、背面7割と聞く。にも関わらず、あの日の奈良県警は殆どそれを怠っていた。前日の安倍警護に当たった岡山県警の布陣は、犯人をして狙撃を思いとどまらせるほどの堅固なものだったというのに。また、長野での遊説を急遽変更した自民党当局の判断が現場に異変をもたらしたことと、無縁でなかったかどうか。検証が待たれる。(2022-7-27 つづく)