【66】日本の「PKO 30年」とカンボジア、中国との関係について/9-22

 日本がPKO(国連平和維持活動)に参加して、カンボジアに自衛隊を送ってから、この9月で30年になりました。これは日本にとって「国際社会の中での国家の生き方」をめぐるとても大きな出来事でした。というのも日本は湾岸戦争(1990年)にお金を拠出するだけで、多国籍軍への自衛隊派遣などの人的貢献はしないのかとの批判が国際社会で根強く渦巻いてきたからです。これを機縁に公明党は野党でしたが、自民党を巻き込みPKO5原則を作り、平和憲法の枠内で自衛隊を紛争後の処理に出すことに尽力したのです。法案審議の動きに、当時の野党第一党だった社会党は牛歩戦術で徹底的に抵抗し、メディアも朝日新聞を中心に大反対の論陣をはったことが知られています▲しかしPKOは本来、戦闘への参加ではなく、紛争が終わった状況の中で、平和裡に復興に貢献することを目的とするものです。この活動参画はカンボジアから大層喜ばれ、国際社会でも大好評でした。以来、モザンビーク、東ティモール、ハイチ、南スーダンなどへ、延べ約12000人の自衛隊員がPKOに参加してきたのです。この間、各国のそれに比べて極めて制約の多い中での日本の活動(武器使用など)が、かえって自衛隊員を苦しめることになるなど様々な問題が惹起されてきました。6年前の安保法制の制定に合わせて、やっと「駆けつけ警護」が可能になり、世界標準に近づくようになったのです。これで自衛隊員と離れた場所にいる、国連や NGO関係者が武装勢力に襲われた時に駆けつけて守ることが出来るのです。長い間解決が求められてきました。それが遂に実現したのです。しかし、皮肉なことに、この間、日本の5原則に適合するようなPKOが殆どなく、日本の参加はゼロに近い状態(今は南スーダン司令部要員の4人だけ)が続いています▲他方、中国は21世紀に入ってから着々とPKOに参加する方向性を強め、大きな成果を挙げてきています。いわゆる「一帯一路」戦略は、PKO対応と裏表の関係で、特にアフリカ進出は目覚ましいものがあります。この30年間、日本もPKO協力をしてきたものの、中国に比べて人的規模においても、経済的貢献においてもその差は歴然としています。カンボジアはこれまで9カ国に9000人ほどのPKO 派遣をするようになり、地雷除去に当たるなど、日本の貢献が実を結んだことが明らかです。日本もその成功体験に長く浸ってきていますが、同国は日本ではなく、中国一辺倒の姿勢を強める一方です。中国の国家戦略とカンボジアのフンセン首相の支配構造のマッチングが功を奏し、カンボジアはいわゆる「チャイナ・アセアン」の優等生となっているのです▲国連は今、常任理事国・ロシアのウクライナ侵略という事態になすすべ実らず、瀕死に近い状態に喘いでいます。この時にあたり国連改革をどう進めるかとの問題に焦点が当たりがちで、ロシアの拒否権行使とそれに同調する中国の存在といった側面にのみ目が向いています。しかし、伝統的に国連の活動に非協力的だった米露のニ大国に比べて、中国はせっせとPKOのような基本的活動に取り組み、得点を稼いできたことは見逃せない事実といえましょう。日本は、その辺りを見ずに、自国の過去の成功体験や、中国の身勝手な勢力拡大といった既成イメージだけに捉われてばかりいると、足元を救われると思います。この点は、憲法をめぐる独自の制約をも含めた日本の国家ビジョンとも、深く関わってきます。これらを踏まえてどのように立ち向かうか、30年の節目を境に取り組むべき課題といえましょう。(2022-9-23 一部修正)

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