【71】「旧統一教会」問題の本質を問おう──予算委質疑、大臣辞任から/10-24

 「旧統一教会」をめぐる問題が安倍晋三元首相の死後、国会始めあらゆるところで取り沙汰されている。これまで、それなりに雑誌、新聞、テレビなどのメディアで報じられてきたものを目にしてきたが、あまり本質を突いたものに出くわさない。興味深く私が読んだのは『文藝春秋』10月号の統一教会に関する座談会記事と、毎日新聞夕刊10月12、19日付けの石破茂さんの「政治と宗教」の2つ。前者では、仲正昌樹金沢大教授の以下の発言が注目された。「自民党の支持基盤が縮小し、保守的なことを語っても、ネット右翼は別として、有権者があまりついてこないので、政治家たちは自信を失っているのではないでしょうか。保守思想を広げるお手伝いをしてくれる統一教会の団体が魅力的に見えるのでしょう。教団の狙いなどあまり考えないで付き合って、どうして付き合ったのかと、追及されるとあたふたする。(中略) 今の自民党の保守派は過激なことを言ってるようで、小心者が多そうですね。今回はよく分かりました」──「小心者が多そう」との指摘はそのものズバリだと思わざるを得ない◆もし、安倍晋三元首相が生きてたなら、「旧統一協会」問題にどう答えたか。「同教会とは反共思想を共有している。いわば同志である。かつての反社会的行為は行き過ぎであった。今はないと信じている。もしあるなら直ちにやめていただくよう申し上げる。関係を断つなどありえない」こう言うに違いないのではないか。それを今の自民党の皆さんは岸田首相以下、「関係を断つ」の一点張りなのは、解せない。そこは石破茂氏。さすがに違う。一切縁を切るのは簡単な話ではないとした上で、「縁を切るなら、その理由を明らかにする必要がある。法的な問題もあります。旧統一教会は宗教法人です。宗教法人とは公益性のある法人のことです」と述べる。公益性を持つと政権党としてお墨付きを与えておきながら、もう一方で、今後一切関わらないというのでは、論理的に成り立たないというのだ。これはまさにその通りで、今まで付き合ってきた理由と、これからその関係をなぜ断つのかについて明確な説明が必要である◆24日に、国会での予算委員会(集中審議)の後、山際大志郎経済再生相が旧統一教会と自身の関係を説明しきれないまま辞任した。記者会見で何が一番問題だったか?と問われ、「外部からの指摘で後追いになってしまった」ことを挙げていた。自分が同教会となぜ付き合ってきたか、今回どうして辞めるのかについて、正面切って触れなかった。要するに、辞めた理由は自分が何も説明出来ないから、これ以上大臣職についていると仲間内に迷惑かけるから、というのが強いて言えば理由であろうか。このこと自体、大臣の資格はないが、辞めて済むものではない。辞めると、国会答弁の矢面に立たずに済み、〝支持者へのお詫び行脚〟はあるにせよ、ご本人はこの上なく楽なのに違いない。だがことの本質は一歩も解明されない。こんな大臣を「任命した責任はある」と認めた岸田首相は、一体どういう料簡なのか。こうなることは一定の想像力があれば分かることだった。結局、この問題を舐めていたとしか言いようがない◆首相は、この期に及んでも、議員一人一人の説明に任せるとの意味のことを言うだけで、自民党としての責任は曖昧なままだ。被害者に対する救済と、政党として旧統一教会と関わってきたことのケジメをつけることは別問題である。石破氏が言うように、長く付き合ってきていながら、ここでなぜ関係を断つのかとの説明を、自民党総裁として行う責任が岸田首相にはある。僭越ながらあえて首相の代弁をすれば「我々自民党は、岸元首相から安倍元首相に至る保守派『清和会』の先導により、旧統一教会の反共思想に共鳴し、選挙支援もして頂けることから唯々諾々と従い付き合ってきた。だが指摘されるように、この教会は、反社会的行為はおろか日本の国益をも損ないかねない団体であることに気付いた。遅きに失するが、『過ちを改むるに憚ることなかれ』の故事に因み、今後は関係を断つことにした」ということなのだろう。仮にそう首相が言うとすれば、そんな政党にこの国をゆだねてきた有権者の立場は、一体どうなるのか?(2022-10-25)

 

 

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