【72】混迷続く内外情勢めぐり東京で4日間の懇談/10-30

     久しぶりに上京することになり、折角の機会なので10月25日から28日まで、3泊4日の長逗留をしてきました。全部で15コマの出会いをこなしましたが、重大な問題意識を持つに至るとても貴重な刺激を受けた4日間でした。以下、時系列に沿って10コマの出会いについて大まかな報告をします。第一日目(25日)は、東京在住の姫路出身の仲間たちと六本木で懇談会。私が上京するたびに招集、「姫人会」と称して異業種交流をしています。この夜集まったのは、7人。そのうち5人が東大、京大卒。元高級官僚、医学博士、大学教員、元大企業役員といった多士済々の面々。それぞれの現況報告と明年の夢を語りあいました。私は『百人1冊』(仮題)という読書交友録を出版する計画を披歴しました◆第二日目(26日)は、昼過ぎに信濃町で、情報システム学専攻の創価大、事業構想大学院大学客員教授と懇談しました。彼は、英国で博士号を取得し、同国で長く生活をしてきた学者。日本の没落の原因は、デジタルシステムの決定的な遅れにあると指摘。政治の停滞、経済の混迷ぶりはもはや取り返しがつかない段階にあるとの厳しい現状認識を聞かされました。更に近未来の軍事、経済両面での「中国の脅威」から、日本を守るには、もう米国と合体するしかないとの「極論」まで吐露。私は自著『77年の興亡』に実質的な米国支配に甘んじている日本は、独立国家と呼び難いと書いています。改めて深い憂慮を抱かざるを得ませんでした。夕刻から夜にかけては、東銀座へ。かねて付き合ってきた新聞社の論説主幹、経済部デスク、Web担当デスクと意見交換。ここでも、崩壊寸前の日本の政治が話題になりました。コロナ騒動、ウクライナ戦争に右往左往するうちに、旧統一教会問題で、自民党はうろたえるばかりです。この党の統治能力がいよいよ疑問視されることに、大筋の意見一致を見ました◆第三日目(27日)は、昼前に日本カイロプラクターズ協会の幹部共々国会を訪問。厚生労働省医事課長に、恒例になっている同協会公認のプラクターズ名簿提出にI代議士と共に立ち会いました。終了後、しばし同氏とさしで現況の情勢について意見交換。政府与党が危機的状況にあることで意見の一致をみたしだいです。その後、神保町で某紙外信部記者に会い、中国情勢をめぐる最新の情報を聞きだしました。3年程前に私が訪台して当時同地駐在だった彼と懇談して以来でしたが、その成長ぶりに目を見張ったものです。次いで、泉岳寺近くにある神奈川歯科大大学院へ。統合医療の特任教授らと意見交換する中で、様々な刺激溢れる話を聞けました。四肢の衰えを実感する身として大いに参考になったものです。夜は、私が厚生労働副大臣をしていた頃の秘書官ら3人と赤坂で懇談。コロナ禍対応で苦労する後輩たちを慰労しました。様々な課題を聞くいい機会になったことは言うまでもありません◆第四日目(28日)は、朝は国会傍の憲法審査会事務局に立ち寄りました。衆院法制局長らから同審査会のこの一年の審議実態を聞くことが主目的でした。やや前進の傾向にあることに安堵したものの、まだまだのテンポに嘆息は否めません。安保法制成立後6年が経つ状況を踏まえ、具体的な質疑の進捗に向けて私の考える問題意識を述べておきました。このあと、お昼に内幸町で旧知の関学大大学院講師らと会い、この人が主導してきたメタバースの先進県・島根における展開状況を聞きました。一方、日本の危機を乗り切るために引退した国会議員の知見を活用すべきとの彼の提案を頂きました。一考に値するゆえ、熟慮検討を約束しました。その後、3時からは四谷で、核兵器廃絶に向けて世界を飛び回るNGO幹部のT氏に会い、種々意見交換をしたのですが、この人もまた、日本の現状を深く憂慮していました。ここでは若い世代への働きかけが喫緊の課題であることで合意しました。こう書いてくると、硬いことばかりの連続であったかに見えますが、息抜きの柔らかな出会いもそれなりにあったことも付記しておきます。(2022-10-30)

 

 

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