【75】自民党の異常な体たらくを前にして思うこと/11-21

 寺田稔総務相が20日に辞任した。「政治とカネ」にまつわる、ずさん極まりない管理の責任を追及された挙句の末である。一ヶ月の間に、閣僚が更迭されるのはこれで3人目である。1人目は山際大志郎経済再生担当相。旧統一教会と密接な関係を持ってきていながら曖昧極まる説明に終始した結果だった。2人目は、葉梨康弘法務相。法務大臣とは死刑決定の判を押す時だけしか注目されない地味な仕事だとの放言を問われた。三者三様、見事なまでの政治家失格、大臣不適任の言動の実態である。これはどう見ても、岸田内閣が危機的症状にあることを示している。この状況を前に、私自身が恥ずかしいと思うことがある。それは、今夏の参院選が終わったあと、これで岸田自公政権は、次の参院選まで国政選挙はないと見る「黄金の3年間」を手にしたとする論調に便乗したことである。こんな体たらくで、ここから先の政権運営がうまく行くはずがない。よほどのことがない限り、早晩衆院解散に追い込まれることは必至であろう。「黄金の3年」などと、よくも言ったものよと、ひたすら我ながら恥じいるばかりである◆今、私は「恥」という言葉を使ったが、今回辞めた3人、テーマは違うものの、共通するのは、辞めた理由はこれ以上大臣を続けていると、国会運営に支障をきたすので辞めることにしたという言葉を使っていることである。関係者に迷惑をかけるので、申し訳ないからというのだ。そこには、有権者から選ばれた政治家として、国事を司る大臣として、恥ずべきことをしてしまったという倫理観がうかがえない。元衆議院議員としての私でも、政局の見方、政治の風向きを見誤ったことが恥ずかしいと思っているのに、である。人間、恥を忘れたらおしまいだと思う。政治家にせよ、企業経営者にせよ、誰にせよ、自身の職業倫理に照らして恥ずべきことはないとの確信なきところに、希望の明日はない◆自民党は本当にどうかしているというほかない。今回の3大臣の〝罪〟は重い。政治とカネの不始末、政治家の無責任な暴言という伝統的な不祥事に加えて、政治家と思想・宗教という根本的な問題について、きちっとした理解、認識がなされず、単に〝票欲しさだけ〟でなかったのかとの疑問に答えていないからである。こうした「大臣辞任劇」は、これまで見慣れた風景であるが、あいも変わらず続くのは、なぜか。それは、国民有権者を舐めており、政治家の責任を甘く考えている。──そこから帰結するのは〝恥知らず〟だということではないか。岸田首相は、緊張感を持って立ち向かうとの趣旨のことを述べているが、任命責任の重大さを感じているのかどうか疑わしい◆連立政権を組む公明党にとっても、人ごとでなく、他党のことだからでは済まされない。ここは重大な連帯責任を感じる場面であろう。コロナ禍に加えて、ロシアの「ウクライナ戦争」で「第三次世界大戦」への懸念さえ惹起され、国民生活は異常な物価高で危急の極みに瀕している。私が尊敬している某新聞社の論説主幹経験者は、私が先に上京して会った際に、「この場面は公明党の出番で、山口代表の首班もあり得る。取りに出るべきではないか」とけしかけられたことを思い出す。確かに、かつて「自社さ政権」で自民党は少数与党の村山喜一社会党委員長を担いだことがある。立憲民主党の元首相である野田佳彦氏を担ぐ声もあるやに聞くが、政権構成の常識からすれば、ここは連立パートナーの公明党の代表にとの話は決して夢想ごとではないと思われる。山口氏はことあるごとに、政権の「安定」を強調し続け、自民党を支えると発言してきている。色々差し障りはあっても、一声上げるのはむたいなことではないと思うのだが。(2022-11-21)

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